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epilogue1:社会に適応していくチカラ

 
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この前金八先生の再放送見てて、さすがにいいコト言うなって
思ったんですけど、
「親と言うのは子どもに、自分よりシアワセになって欲しんだよ!」
ってセリフがあって、あぁホントにそれって親としての実感だなぁと
思ったんですよ。
 
で、いまの資本主義社会の中では…
おっしゃる通り確かに自分が大好きだったり、
生きていることに価値を見出せれば、どんな仕事をしていても、
どんな環境にあってもシアワセだって言うのはわかるけれど、
でもやっぱり親だから、自分の子どもには
それなりに裕福な生活をして欲しいと思うし、
それはたとえばイイ学校に入ったり、起業するなり、
イイ会社に入って欲しいと思うわけじゃないですか(笑)。
 
逆に言うと、ちゃんと自分の心の中に根が生えさえすれば、
勉強したりとか、自分をどんどん前に持っていくような
生活に対応できるようになる、と思っていてもいいのかな?
 

天野

イヤ、オレも親としては我が子にシアワセになって欲しいと思ってるよ。
どんな子だって、生きていくうえで苦しいことはいっぱいある。
生きるということは簡単なことではないからさ。
どんな人間だって、思った通りのことばかりはやれないよね。
だけど、どのような局面にあたっても、
自分自身に根を下ろすことができた子というのは、
自分自身の中にその危機を取り込んで、
ちゃんと「仕舞える」と言うかさ。
そのことも一つの糧に換えて生きていかれるんだよね。
 
それが物質的な、お金をたくさん儲けることができるとかね、
たとえば経済的に良いとされるポジションにつくことができるとかね、
それはわかんないけれど。
だけど、自分が出会ったいろんなことときちんと折り合いをつけて、
自分を否定的にとらえるのではなく、
そのことを自分自身の中に肯定的に仕舞うことができるチカラ
というのは、シアワセな人生を歩む上では
物凄く大事なものだと思ってるのね。
 
 
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自分に起こった色んなことを自分自身の中に肯定的に仕舞うというのは、
たとえばどういうことなんでしょう?
 

天野

うーん、たとえばね。オレが竹とんぼを削ってたらさ、
横ッちょに座ったやつが、小学校5年生ぐらいの男の子なんだけど、
やっぱり竹とんぼを削り始めたんだけど、
ものすごい勢いよく削ってるんだよね。
 
「大丈夫か?あんなに景気良く削っちゃって」と思って見てたら、
案の定羽根削りすぎちゃって、羽根の幅が狭くなっちゃってさ。
そしたらそいつ、じっとこう欠けた羽根を見つめてさ、
一言つぶやいたのね。
 
「ま、いっか。おでんの串にしよう」
 
って。オレはそれがすっごい面白くてさ。
わぁとか思って改めて見てたのね。
そしたら、そいつまたそれを気前よく削り出してさ。
「いくらおでんの串ってったって、あんなに気前よく削って大丈夫かな」
と思ってたら、またやっぱり削りすぎちゃって…。
そしたらまたじーっと見ててさ、
 
「ま、いっか。つまようじにしよう」
 
って、胸のポケットに仕舞って帰ったの、その日。
オレはそれが生きる力の本質だなと思ったんだよね。
 
生きる力の本質。
 
今教育で教えてるっていうのは、「竹とんぼの作り方」で、
竹とんぼをちゃんとつくるためにどうやって材料を揃えたらいいか、
どうやってナイフを持ったらいいかってところからはじまってさ、
削り方とかって教えるわけじゃない。
とすると、もしそういうふうに羽根が半分になったら
「失敗した」っていう言い方になるわけだよね。
つまり正解が先にありきだと、失敗したときというのは、
もう一度やり直しをするか、或いは挫折をするかなんだよ。
 
竹とんぼ出来なかったから、オレがやったことは失敗だって
思い悩んでさ。オレにはその力がないとかさ。
でも、そんなの思い通りにならないことなんて生きていく上では
いっぱいあるわけでさ。とんでもない失敗をしでかしたときだって、
「ま、いっか」の方がさぁ、ずっと人生前向きに生きられるじゃない?
 
「ま、いっか」って言って、欠けた羽根から発想を建て直して
新たな価値を吹き込むことができる力というのは、
物凄く重要な力だと思うんだよね。
 
それまでの物とは違う、全く新しい価値を失敗した状態から
見出すことができる。
これって、とても柔軟でしかも本質を捉えてないと
できないことだと思うんだよね。
 
例えば、結婚だって似たようなモンでさ。結婚する前にはさ、
相手のそんな一面見たことがなかったして、一緒に暮らしてみたら
「えっ?!こんなはずじゃなかった・・」みたいなことあるわけじゃない?
でも、そんな時も「ま、いっか」みたいなね。
「いやぁ、知らなかったけれど、こういう姿もなかなか魅力的だ」
「するめを噛むみたいに味わいがある」みたいにね、
そういふうに考えるか「詐欺だ」と思うかで
自分の幸福感も全然違うと思うんだよね。
そういう感覚というか発想はさ、
自分に対する基本的な信頼感がないと多分できないんだよね。
 
自分に対する基本的な信頼感は、目的通りできた、できない。
計画通り進めた、進めない。
そういう外から評価出来る基準とは別物なんだよね。
 
自分に起こった色んなことを自分自身の中に肯定的に仕舞うことができる
というのはそう言う事だと思うんだよね。
 
 
 

自分に起こったことを自分自身の中に仕舞う、ということ。
「教育」という視点で見たら、
「失敗」とひとくくりにされるかもしれない様ざまな経験の中に、
そのキーワードが隠れているとしたら、
私たちはいろんな可能性を知らないままに
握りつぶしているかもしれません。
次回の更新では、失敗と成功に際しての大人の対応について、
はらっぱWEBが天野さんに突っ込みます。