2004年 7月 6日
補筆
歴史
高校卒業まで
大学時代
東京時代〜現在(工事中)
(製作検討中)
1975(昭和50)年
出生
前日の縁日で母が歩きまわったせいか、 9ヶ月児で生まれる。
住所は生まれた時から東京に越すまで京都府宇治市=実家。 名古屋生まれの父が、戦災・パン屋の失火と二回の火難にあった末、 京都市南区から現在地に移ったのが東京オリンピックの年。 地元育ちの母と結婚し、現在に至る。
1979(昭和54)年
市立の保育所に入所
低能児だったと思う。読み書きは既に出来たが、運動能力皆無。 自転車の補助輪が取れたのはかろうじて入学前だった。
1982(昭和57)年
市立小学校に入学
まだ低能児。泣き虫でどうにもならなかった。 5年生ごろからやや持ちなおす。
1988(昭和63)年
市立中学校に入学
中2の終わりにスポーツ系クラブを退部(=自然逃亡)。 正式に阪神ファンになったのはこの頃か。
1991(平成 3)年 4月
京都府立東宇治高等学校入学
勉強もしなかったし、対して遊んでもいなかった。 野宿旅行を年に1度はしたのと、高 2の終わりにボランティア活動?を始めたのを覚えている。
高 2ごろ、友人の文芸部(一応部室もあった)を手伝って、簡単な同人誌を出していた。 そう言えば、新聞社受験を前に文章が書けないスランプに落ちていた頃、「高校の頃の方がまだマシや」と、父に指摘されたのがショックだった。
それで卒業となると、同じクラスの連中に数人加えた程度でやっていたので後輩がいない。そこで、同好会活動を続けている2年生以下の女子生徒がいるという話が来て、看板を譲ることになった。純粋に活字だけだった同人誌の内容の多くが画像でしめられ、題名まで変わってしまった。
高 3(1993年)の 6月には、府高校生春季討論集会(第41回)の事務部長に総合司会までやる。 ただ、どうも「平和憲法記念」とか、その系の話が多かったように思う。 京都市上京区・平安女学院高校で開催。いろんな連中がいた。だが、残念ながら当時から付き合いが続いている人はいない。思えばおそろしくアウトローな空間だったようで、各高校の生徒会長とかも参加していたけれど、多くは卒業後の消息がつかみにくくなってしまった。
大学合格の報告に訪れた時に、企画を支えてくれた教職員組合の先生が、 「これで、この企画に関わっても大学に入れるて言えるわ…」と非常に喜んでくれた。
この発言で、ボランティアの類をやる高校生がどう見られていたかがよくわかる。当時は不良扱いされていた。まだ阪神大震災の前で、携帯電話も電子メールもない時代だし、「それでも集まる連中はおかしいのでは」と思われても当たり前だった。
夏休みのある夜、某女子高校に侵入した。相方は文芸部でも討論集会でもつるんだ男で、筋骨隆々ながら、妙に気が弱かったりする奴だ。それで、ジャンケンして負けた彼は用務員室のベルを鳴らすことになり、「絶対先に逃げるなよ」といわれたのを、押した瞬間全速力で逃げてやった。
この彼、実はあなどれない。園部方面に行ったはずが、深夜0時にかけてきた電話を取ると、なぜか逆方向の「天王寺経由で木津にきたがキセルがばれそうになって、何とか下車した」とか言う。その後、終電のない奈良線線路を30キロ歩いて帰ってきた模様で、さすがにその日は学校を休んだ。他にも、私と野宿をしたのがきっかけになって、東北の某国立大学を受験する際に、河原に作った「かまくら」で一夜を過ごし、ひどい風邪を退いて見事不合格になるなど、地元を代表する強者である。いまでは、結婚して良いお父さんになろうとしている。
受験勉強はできるだけしない方針を貫き、 11月から 1日 2時間以内と決めて大学の傾向と対策に熱中した。 すると、癖をつかんだのが幸いして、立命館に合格。 3年 2学期に英語 3科目すべてに「 2」( 5段階)の評定をうけたときは、 さすがに浪人を覚悟したのだが。
その後、合格安全圏の某大学から不合格通知が届いた…
1994(平成 6)年 3月
京都府立東宇治高等学校普通科卒業
高校卒業まで
大学時代
東京時代〜現在(工事中)
(製作検討中)
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