平成16年研修会講話

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講題 「感謝の心は神心」

講師  金光図書館 次長 金光英子先生
場所  御本部 修徳殿

全部におかげをいただいて、ご大祭が迎えられる


 皆様、こんにちは。よくご参拝でございました。皆様とここで、このようにお会いできることを、ありがたいことと喜んでおります。

まず、ここで、私が皆様とお会いできるということは、私に「いのち」があるということ、皆様方にも「いのち」があるということ。そして、ここまで参拝できる健康がある 、そして、ほんの少しのお金があって、そして、様々な関係におかげを頂いている。仕事がだめでもいけませんし、家族がだめでもいけません。そして、何より 、ご本部参拝をしよう、お参りをしよう、という精神的な心のおかげをいただいて、皆さんがここにいらっしゃるということに、私はうれしいものを感じさせていただいております。
 
 私の父(金光眞整)が歌を詠っております。皆様のお手元にもお配りしておりますけれども、

  「あめつちに 生きとし生けるもの みなと祝いよろこぶ 今日のみまつり」

  「わがいのち 今朝もめざめて ご大祭迎え奉りぬ もたいなきこと」

 この二つの歌を読んだら、父がどれほどよろこんで、このご大祭を迎えているか、 わかっていただけると思います。いのちがあること、そして、関係におかげをいただいていること、お金もあって経済的に困っていないこと・・・ 全部の上におかげをいただいて迎えられるご大祭である 。そして、生きとし生けるものみなと喜び合うお祭りである。そう云う気持ちで詠んだ歌です。

 お道にご縁があると、こういうご大祭をお迎えすることができるんですね。とてもありがたいことだと思いませんか。私は、いつも、ご大祭を迎えながら、「父ほど 喜んでいなかったなあ」と、いつも反省するのです。

 では、父は、このとき、どのような状態だったかといいますと、「あめつち」「今朝もめざめて」の歌の間に、もうひとつ歌があるのです。
 

生死の間をさまよっていても、生かされていることがありがたい


  「きょうの日も 生死のあいださまよえど 生かされてあり ありがたきこと」

 実は、今から26年前、私の父は大変重い病気に侵されていました。そして、このたった3ヵ月後に、もうこの世の人ではなくなるのです。このときは手術の後で、酸素マスク をつけ、管が静脈に刺されていて、それから何本もの管が出ていて、そういう状態の父でした。

 その ときに大祭を迎えて 、「天地に生きとし生ける」「今朝も目覚めて」という歌を詠んでいるのです。だから、そういう状態でさえ喜ぶことができる、父のように生死の間をさ迷っていても、生かされていることがありがたいと思えるこのお道のご信心にご縁があったことを、本当に喜ばせていただきたいなと思うわけです。

 私は、若い頃は 「何もありがたくない、うれしくない、もっともっと欲しい」というようなくだらない人間だったのですが、この神様にお会いすることによって、金光教にご縁があったことによって、 「私ほど幸せ者はいない」と思うような人間にならせていただきました。そのキーポイントは何かと言いますと、今日の講題に「感謝の心は神心」と書いてありますけれども、「感謝」だと思うのです。
 

無くなってからではない、あるときに感謝する


 お手元の資料の
2枚目の一番最後に、四代金光様のお歌

 「ありがたいと 思いうることは しあわせと 涙ぐましく しみじみ思ふ」

と詠んでいらっしゃいますけれども、その前の2首は私の父が亡くなるときのお正月に詠んだものです。

私は、その年に父が亡くなるなどとは思っておりませんでした。父は、この世にまだまだいて下さるものだと思っていました。うかうかと過ごしていた訳なんですけれども、お正月に参拝したあと、父は

「雨あとの 清らな道を 家族らと いのちのありて 初詣する」

と詠んでいます。

 普通の人は、健康体の時には当たり前でなんとも思わない、若い時には何とも思わない、健康でなくなったとき、健康を失ったときに、「あれはありがたかったのだ 」、お金がなくなってみて、「お金ってよかったな」と思う 訳です。そういうのが普通の人間なのですが、この金光教の道では、ある時にありがたいと思う、これは素晴らしいことだと思うのです。

だから、「いのちのありて 初詣する」というのは、「いのち」があることを感謝している。普通の時に、「いのち」があるとか、目が見えるとか、耳が聞こえるとか、足が動くとかは言わないで、ここがいけない、人間関係が悪い、学校の成績がどうだ、お金が儲からない、もっともっとと思うのが普通なのですが、「いのち」があるときに、「いのちのありて」というのが、この道の信心ということですね。

 それから、もう一首。

 「あたらしき いのち賜はり この年も よりよく生きむと 祈る切なり」

 お正月に神様から「いのち」を賜った、新しい「いのち」 。父は64歳で亡くなりましたけれども、64年間使い古した「いのち」ではなく、たった今賜った新しい「いのち」を大切に 、よりよく生きよう、と思っているわけですね。

 
ですから、あるものに対して感謝の気持を持つことが、いかにありがたいか。
 

「悪性です。直ぐ手術を」、「ありがたいな、うれしいな」


 私は今から
14年前に、癌になりました 。そのときに、先生が気の毒そうにおっしゃったのです。私は癌になりそうなのはわかっていましたし、それまで40年間 いただいた「いのち」をありがたいと思っていましたので、どうなってもかまわないと思っていました。 先生は「悪性です。すぐ手術しましょう。明日入院してください」とおしゃいました。そのことに対して、私は、実は「ばんざい!」と思ったのです。「ありがたいな。うれしいなあ」。たった今 、「いのち」がなくなってもいい人生だったなと喜べる。この平和な日本で治療を受けられる、手術を受けられる体になっている。

そして、検査を受けながら、「何人の方がこの検査を受けられただろう、いやな思いをされたことだろう、私はありがたい気持で検査を受けられる」そう思い、これから後も 、この検査を受けられる人のことを祈らずにはおれませんでした。不安とか、心配とかがなかったのです。それがなんともありがたくて,私がこの話をしますと、「違うんじゃないの」と言われますが、正直なところそうだったのです。

その12年前に父を亡くしていましたので、その時に同じようなことを経験しているのですが、父が癌だと わかったときは、「どうして父が癌にかからなければいけないの? 何が原因だったの?」と無駄な心を使ったのですが、私自身が癌を宣告されたときは、心の無駄使いではなく、感謝の「こころ」がすぐ出てきて、それで対応ができたのです。

 入院した同じ病室に、年配の方がおられ、その方が私の方をご覧になって、その人よりも私が若いといって、横をぷいと向かれてしまいました。私はこの方のお役に立とうと思いまして、お世話をさせていただきました。お掃除をするとか、ご飯を運ぶとか、いろいろさせていただきました。その方は枕もとに吉備津神社の大きなお札を掲げられていて、そこに向かって、ぽんぽんと 二拍手され、深々と頭を下げられる。そのあと私の方に頭を向けて「あなたのような若い方に、生きる勇気と希望を頂きました」とおっしゃいました。私はびっくりしまして、ベッドから飛び降り、その方の手を握り締めました。
 

あなたはお礼ばかり云っている


 その方が泣いておっしゃるには、「私ほど我慢できる人はいないと思って生きて来ました。結婚したら舅、姑に仕え、夫との関係、合わせに合わせ、一生懸命頑張って、そして、息子に妻がきて、その妻とぜんぜん合わない。何とか合せるようになって同居し、そして癌になりました。そして手術でしょ」。

私(英子)は、ごく普通にありがたいと思って、入院生活を送っていました。例えば、とても暑い日、病室は冷房がきいていまして、「ああ、ありがたいな」と思いまして、食事が出てまいります。普通なら自分で作らねばならないものを、作ったおいしいものが出てくる。それから看護 師さんがきちんと熱を測って下さるし、なんにもしなくていいんですから、「ありがたい。ありがたい」と連発していたんですね。

それで同じ病室のその方が「あなたの生き方を見ていましたら、あなたはいいところを見つけて 、お礼ばっかり言っている。私は我慢ばっかりしてきた。辛いところ、嫌なところを我慢してきた。あなたを見ていて、何十年も思わなかった実家での楽しい思い出、親からかわいがられたことを思いで出して、結婚するまではこんなに幸せだったと思えた。そして、私が 頑張って、この家を支えていたのだと思ったけれども、入院するまでは元気だったから、私に力があったから、おかげを受けて皆を支えることが出来たんだ。そういう風に見方を変えることにした。すると 、とってもうれしくなってきて、どうしても神様にニ拍手したくなった」とおっしゃったのです。
 

その人の中に神心が生れた


 私は金光教の「こ」の字も、神様の「か」の字も「あいよかけよ」の「あ」の字も言わなかったのに、ただ感謝の心を示していただけですのに、その方の中にも神心が生まれたのです。それまで 、その方は、医師が「どうですか」と尋ねると、「私はここが痛いし、食欲がないし、調子が悪い。どうにもならない」と言われていましたが、お医者さんが来られると、「食欲がないし、ここが痛いんだけれども、梅干がおいしかった」と、こうおっしゃったんですね。そして、にっこり笑われたんです。すると 、お医者さんが「あなたがそうやって笑ってくれたら、私が救われる」とこうおっしゃったのです。

今までは、本当に愚痴・不足・不平・不満をおっしゃっていた方ですので、お医者様は救われると言われた。看護師さんにも「注射が痛い」といろいろ言っていたので、看護 師さんも緊張していました。それが今度は、注射を打って終ったら、「ありがとう」と云われたので、看護師さんの方が「えっ?」と驚いて、「何かあったの?」と尋ねたので、どう答えるかと聞いていたら、「いや別に」と言われたのですが、それまでの様子がまるで変わって、まるでぱっと花が咲いたような病室になったのです。

 それから、私は5日間一緒にいたのですが、いよいよ手術に向かうことになりました。当日は7人の患者さんが手術を受けることになっていました。私の癌は転移をしていて一番激しかったので、一番最後にすることになりました。
 

ええ話じゃ、お聞きんせえ


 手術する前の晩でした。私は家族に向かって感謝の手紙を書かせていただきました。「ありがとうございます。ここまで育ててくださって」と母あてに感謝の手紙を書きました。「それから 、もし、ここで亡くなるような事があったとしても、私は神様への感謝の気持を持っているので、嘆かないでほしい。苦しまないでほしい」というような手紙を一人ひとりに書いていました。

すると、明日手術をする一番目の方が、週刊誌をいっぱい抱えて、「もう落ち着かん。寝られん。ベッドにすわってもおれん」と言って来られました。

「私は手紙を書いてるのよ」と言いますと、「へえ。手紙が書けるん? まあ話を聞かせてよ」と隣に座られたので、いくつかお話をさせていただきました。そうしましたら、次に手術をする人が来られて、「あんた、ええ話じゃ。お聞きんせえ」と、その人を座らせる。すると、「何、何?」とまた次の人が来られて、面会室が同窓会みたいになりました。

そのうち夜9時になりまして、消灯時間がきました。それで、お一人おひとりの手を握り、「あなたのことをお祈りしていますから」と言って別れました。

翌朝になりました。私は一番目の「眠れない」と言った人のことが心配で、その方の所まで参りましたら、もうストレッチャ−にのっていました。まわりに家族がいっぱいおられて、「末の娘がお嫁に行くまでは死なれんのよ」と言っていたその娘さんもおられ、みんな心配そうな顔をして、死にそうな顔をしておられたのですが、そのご本人はにっこり笑っておられたんですね。

私を見つけるや、「行ってまいります」と手を振ってくださった。私はなみだが流れました。その方もとてもいい一晩を過ごされたのでしょう。これから神心をいかして、いい時を過ごして下さるに違いない。私は神様に感謝の心を伝えました。そのように神様に感謝の心を伝えることは、すべてのことを溶かしていくように思います。
 

百一歳の祖母が入院


 私の祖母は、百一歳と九ヵ月で亡くなりました。祖母が亡くなる前に、私は祖母のところに参りました。本当に心配でした。とてもいい生活をしていまして、百歳までは いとこ の結婚式にも、スピーチをして写真におさまるという元気な心の方だったのですが、百一歳三ヵ月になって骨粗しょう症になって骨折をしてしまいました。

四角いベッドの中でどんな生活をしているかなと、心配で心配で、見舞いに行きました。金光様から頂いたご神米を持って、病室に入り「英子が参りました」と言うと、祖母はニコニコしていました。なんでニコニコしているのかなと思いながら、近づきますと、

「英ちゃん、あのね。今朝からいいことがある気がして、それを楽しみに待っていたの。そしたら、英ちゃんがやって来てくれたのよ」と言ってくれました。
 
 普通の人なら「あなたの来るのがわかっていたのよ」と云うかも知れませんけれども、「朝からいいことがある。それを楽しんだ」と。「ご神米を頂いてきました」と枕もとのご神米たてにおかせて頂こうとしますと、「ご神米を置くとは何事。ご神米はお祭りして、お祈りしなさい」と言われましたので、「はい、はい」と言われるように 致しました。
 

私には生き甲斐があるのよ


 その次の言葉が、驚きでした。

「英ちゃん。私には生きがいがあるのよ」。

百一歳が過ぎて、病気になって入院し寝たきり。その祖母になんという生きがいがあるのでしょう。私はびっくりしました。

「おばあちゃん。何が生きがいでいらっしゃいますか」と尋ねますと、「あのね。家にいたときはね、あなたたち孫のこと家族のこと、みんなのことをお祈りしてたのよ。それが入院したらね、お医者様のこと、そのご家族のこと、看護 師さんのこと、そして、お料理をもってきてくださる方、お掃除をしてくださる方、その他、もろもろ、入院なさっている方、そのご家族の方のことをお祈りしていると、いくらでもお祈りすることがあるのよ」と言いました。

コンコンとドアがノックされまして、看護師さんが入ってきました。年をとって血管が細くなっているのか、若いその看護師さんは注射がなかなか入りません。何度もなんども針を射すのですが、血がにじむほどになりました。やがて注射をおえて看護婦さんが部屋を出て 行きますと、「英ちゃん、ありがたいなあ。私のように寝たままになっても、看護婦さんの練習台に使うて下さる」と感謝をしているのです。

「最後にあなたに看てもらったね。みなさまによろしくね。さようなら」

傍にいた叔母がそれを聞きまして、最後になったら困ると、親族みんなに電話をかけました。母の兄弟姉妹は、だいたい東京近辺に住んでいます。それで早速駆けつけてベッドのまわりに集まりましたが、その時はもう、意識不明でした。

 叔母から電話を受けた金光の母は、驚いて金光様にお届けをし、ご神米を握り締めて、5時間後に祖母のところへ参りました。すると、祖母の目が開いているように思えたのです。「私、誰だかわかる?」と母が祖母の顔をのぞきこんで尋ねました。すると 、「雅雄はどうしとる?」と聞いたのです。私の弟・雅雄は重度の障害者です。その弟を抱えている母を心配してのことだったのでしょう。「元気にしてますよ」と言いましたら、「佐保子はおかげを受けているなあ。色は白いし、しわはないし」とこう言ったのだそうです。
 

みんな難儀を抱えている、感謝することが大切ね


 七十歳を超えた母が笑うと、

 「おかげを受けている。どんなに幸せそうに見える人でも、みんな難儀をかかえている。欲望には限りがない。もっともっと。足ることを知ること。そして感謝をすることが大切ね。感謝をすれば、その人の心が救われる。まわりの人が助かる。よく してくれてありがとう」

こう言って目をつむったのだそうです。これが、祖母がこの世に残した最後の言葉になりました。皆様からは「百一歳まで生きたのだから、長寿を重ねて万万歳 」と皆様から言われるのですが、私にとっては「もっともっと祖母にこの世に生きていてほしかった。何で、この世に死があるのだろう」と辛くて心の底からそう思いました。
 

感謝とは神徳


 しかし、一年祭のとき、祖母と母の手記があるのですが、感謝に満ちた言葉に感激しました。

 「感謝 佐藤照子」

と祖母が書いたものですが、

 「そう、どんなに幸せそうに見える人でも、
  みんなみんな悩みや難儀はあるものだ。
  人間の欲望にはきりがない。
  足ることを知ること、そして、感謝することが大切ね。
  感謝すれば、その人が救われる。
  同時に、まわりの人が助かる。
  ありがとう。よくしてくれて、ありがとう」

私は書を習っていますので、それを書いてみんなに配っていました。
 
 この「感謝」という言葉は、「のちの世までもってゆかれ子孫までも残るものは神徳じゃ」と言われる「神徳」だと思います。私を含めて、多くの方々が助かるのではないか、と思っています。

母は祖母を亡くしたあと、父の二十五年祭を昨年させていただきました。それが終ったあと母が傘寿御礼の会というのを行ないました。普通は子どもや孫が「おめでとう」とお祝いをするものなのですが、母は子ども孫ひ孫、そして弟、妹、その子供たちを招いて御礼の会を開いたのです。

「生まれてきてから八十年、結婚して六十年、夫を失って二十五年、私が現在一粒のお薬を飲むのでもなく、こうして元気で過ごさせて頂いているのは、あなたがたのおかげです」

こう云って、一人ひとりに頭を下げました。特に障害者の弟には、トイレに連れて行ったりするので、「あなたのおかげで筋肉ができた。ありがたい」と申しました。そ して、「皆様、私のような人生を歩みたいと思う人は、この世にひとりもいないでしょう。しかし、私は、一度もつらいと思ったことはなく、辛抱したとも思ったことがない」 と云ったのです。

ある時、金光キクヨ姫が、「手を切ったからといって、おしめが洗えないのではこまるでしょ。分別しなさい」と言われたことがありました。母は包帯をして指手袋をして、料理を続けたそうですが、そのこと 一つとっても、重度の子どもができたことを考えてみても、大変過酷な人生だったと思うのですが、母にとっては、その一つひとつが神様からの賜物であり、み教えであったのでしょう。

いろんな人からの言葉をみ教えととらえて、心を神様に向けて、「ありがとうございます。教えていただいて」と云って、父と過ごした六十年を喜びました。

一日八時間休んだことがない母。八十年ぶりにはじめて八時間休むことができました。それは弟が、八十年目にはじめて「青空」という施設に泊まることができた日なのです。途中で起きることもなく、ほんとうに熟睡できるということはこういうこと
かと、喜びました。
 

神心を引き出す稽古を

 
 あるとき、文化財保護委員会の活動が辛いことが
ありました。
 ぐずぐずしていると母が、

「あなたはいくつになたの?」
 「五十歳になりました」
 「あなたは運動が嫌いでしょ。一回でも佐方竜王に登ってごらんなさい。
  筋肉がつきますよ。運動になりますよ。楽しんで行ってきたらどう?」

へとへとにくたびれていた身体が、その一日で、私は休めた気がしました。母は私の「嫌だ。やりたくない」という心から、感謝のこころ、ありがたい心を引き出してくださった のです。

人間として、この世に生まれてきた限り、 すべての人が神様から感謝の心を頂いています。ところが、人間心がいっぱいにあり、なかなかうまくいかないのですが、私たちは、このお道にご縁があって、お結界取次ぎで自分の神心を引き出していただける。感謝の心を引き出して頂ける。これは稽古によってできるのです。神心を引き出す稽古をさせていただきましょう。

本郷教会百年のご比礼を、とも共にお祈り申し上げます。本日は、はるばようこそご本部にご参拝でございました。  
 

                        (文責・高崎教会 佐藤毅正先生)

 

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