霧ヶ峰高原 ころぼっくるひゅって
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ヒストリー
ころぼっくるのおもてなし 「ころぼっくるひゅってならではのおもてなしをご紹介。」
ころぼっくるひゅっての歴史
ころぼっくるひゅっては1956年 (昭和31年)に創立しました。当時のこのあたりは無人境で交通手段はなく、山小屋で使うすべての物資は、約3.5km離れた西の霧ヶ峰(現在の強清水こわしみず)から背負って運んだものです。

山小屋で使う水は300m下の沢から運び、天水(雨水)も利用しました。郵便も新聞も届きませんし、電気、電話はもちろんラジオすらありませんでした。電気が届くようになっても明かりはランプを使っていました。

昔は霧ヶ峰でも遭難する人が多く、雪崩、吹雪、濃霧、落雷、寒さなどで死亡する人がいました。ころぼっくるに泊まる予定の6人の人たちが行方不明になり、そのうち1人が凍死したこともあります。ころぼっくるは、登山者の安全を守るための避難小屋の役目をしてきたのです。

2006年、ころぼっくるひゅっては創立50周年を迎えました。
 

棟上
ニッコウキスゲの咲き始めた中、棟上をする。
建坪(床面積)30m² にも満たない
文字通りの小屋だった。

昭和31年創立当時の山小屋
昭和31年創立当時のころぼっくる。
このころは「コロボックルヒュッテ」と
カタカナで表記していた。

水汲み
約300m下の沢(水場)から水を運ぶ。
「多い日は数回に及んだ。この仕事は山小屋の原点だから
辛いと思ったことはなかった。」(手塚 宗求手記より)

飲料水は
冬場は水汲みができないので、
飲料水は雪をストーブの火の上で溶かしてつくった。

ボッカ
全ての物資は3.5km下の霧ヶ峰バス停
(現在の強清水こわしみず) から、背負子につけて
ボッカ(荷上げ)をした。1日に2往復することも
あり、特に冬のボッカは大変な仕事であった。

昭和33年増築中
昭和33年11月5日
増築工事中のころぼっくるひゅって。
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昭和34年11月
ころぼっくるひゅっての歴史の中でも、昭和34年の
伊勢湾台風による被災は最悪の事件であった。
台風は全国で死者、行方不明者約5000人という被害を
もたらし、前年に増改築した小屋も一夜にして全壊した。
写真は昭和34年11月に再建した小屋。
越冬用の薪が積んである。

昭和34年ごろの車山肩
昭和34年ころの霧ヶ峰・車山肩。
ビーナスラインはまだない。

貴峰の山小屋生活
昭和36年5月、母に抱かれる手塚貴峰。
ここから山小屋生活が始まる。

スキー
霧ヶ峰の自然のゲレンデを滑走する手塚宗求。

昭和46年ごろ
伊勢湾台風を教訓に、強風に備えて石を積み上げて防風壁を
造った。このころ、車山肩にも電気が届くようになった。

平成5年
平成5年のころぼっくるひゅって。

新しい小屋
現在のころぼっくるひゅっての宿泊棟とオープンデッキ。
 
”ころぼっくる”にまつわるお話
コロボックルという意味は、アイヌ語で「蕗の葉の下の人」、つまり、蕗の葉の下に入るほど小さな人(妖精)ということです。
山小屋の名前をつける時、どんな名前にしたらよいかずいぶん迷ったものです。ある日、何気なく手にした雑誌の中に、コロボックルとい う字が目に入りました。何のことかわからないまま、山小屋の名前はこれだ!と決めました。
アイヌ語であることはすぐにわかりましたが、意味は知りませんでした。
詩人の石川啄木の親友であり、アイヌ研究で高名な金田一京助さんにうかがって、理解できました。
蕗のことをアイヌ語で「コロコニ」と言います。コロボックルの6文字の中には蕗、葉、下といった意味が含まれているのです。

不思議な偶然が起きました。大昔、コロボックル・ヒュッテのある車山肩のあたりを「コロボックル」と呼んでいたという風の便りがありま した。踊り場湿原のある池のくるみと霧ヶ峰最高峰の車山の中間。沢渡の奥のあたり一帯をコロボックルと言ったなどという話が、どこか らともなく伝わってきました。実に神秘的な出来事です。
車山の肩あたりにコロボックルがいたなどということはないのですが、黒曜石の一大産地が霧ヶ峰北麓にありますから、この黒曜石とコロボックルは関係があるかもしれません。

以上の話は、ころぼっくる・ひゅってが出来て40年も経ってからのものです。
古代のロマンを秘めた、霧ヶ峰の・・車山肩。
コロボックルにまつわるお話でした。

手塚宗求
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