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グラフィティ
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◆1997年 6月初旬
 大野隆麿と小澤奈津子の両氏は人権啓発を目的とする劇団で活動していたが、劇団
内に充満する、うさん臭さと演出家の方向性の無さに行き詰まりを感じ、三年間在籍
していた劇団を退団。人間の生と死をテーマにした自作自演の演劇公演を目指す。そ
の第一作目として、死刑囚と教戒師の交流を描いた大野の脚本による「雪のしずく」
の制作に取り掛かる。

◆1997年 6月下旬
 キャスティングが決定。主役の死刑囚・林貴夫に藤原 望、看守に田中真一、被害
者の男に池田充志を巻き込む。劇団名を「転がるひとびと」とし、会場は8月にテイ
ジン・ホールで2日間、11月に近鉄小劇場で2日間という暴虐無人な上演を予定。
本当は神戸オリエンタル劇場でも演りたかったのだが、スポンサーである妻に怒り飛
ばされ、止むなく断念する。

◆1997年 7月
 舞台セットの製作開始。
「精神の腐った人間に、俺の芝居では釘一本打たさない」
 という大野氏の信念のもと、ナント平台までも製作。30度を越える炎天下の中、
連日、仕事もそっちのけで金槌を振るい続ける。

◆1997年 8月初旬
 「雪のしずく」稽古開始。奇しくもこの日、事件のみ参考にした永山則夫氏の刑が
執行される。出演者一同、少し神妙になった。

◆1997年 8月13日
 今回の芝居は死刑囚と看守、シスターに神父という、持ち合わせの衣装では上演不
可のため、専門の東▲衣装に衣装のレンタルを依頼。しかし業者側のいい加減な対応
に立腹した大野氏が、東▲衣装事務所内で従業員3名に対し、30分に渡り猛烈に説
教。以後、出入り禁止となる。結局ほとんどの衣装は自作となる。特にシスターの衣
装作りは困難を極め、参考資料の「サウンド・オブ・ミュージック」をテープが擦り切
れるまで見た。

◆1997年 8月25日
 テイジン・ホールにて「雪のしずく」上演。定員300人の会場に詰めかけた観客
は55人。世界一の暑さで知られる大阪の夏。表は相変わらずの残暑が続いていたが、
ガラガラの会場はヒジョ〜に寒かった・・・。精神的に少し凹む。

◆1997年 9月
 死刑廃止を訴える「カタツムリの会」の坂口さんの紹介で、「デッドマン・ウォー
キング」の著書で知られるシスター・プレジョーンさんの講演会場で「雪のしずく」
のチラシを配布。11月の公演にはアムネスティの人たちも来られるそうだ。

◆1997年 11月25日
 近鉄小劇場にて「雪のしずく」上演。なぜか当日、聞いたこともない劇団がチラシ
の挟み込みを依頼してきた。人間としての器の大きい大野氏は、快く承諾した。しか
し、そのチラシを見てショック大吉。「平安コント絵巻」とある。当日のお客さんの
平均年齢は40歳代と高く、しかもその大半は死刑反対の団体や司祭、アムネスティ
の人たちなのに。この人たちがそんなもの見に行くと本気で思っているのだろうか?
しかも大和高田まで。それとも演目も調べずにやって来たのだろうか?謎は深まるば
かりである。
 今回は2回公演で200人を突破。しかしテイジン・ホールの公演と合わせて計4回
の公演で180万円というロシアの国家予算に匹敵する赤字を出し、妻の貯金をほとん
ど使いきった。おかげで大野家の台所は、タイタニックの沈没なみに傾く。劇団は一
時、休止状態へと突入。肉体労働者の大野氏はレ・ミゼラブル、あぁ無情!ジャンバ
ル・ジャンを彷彿させる重労働に。妻のフリー・アナウンサーは口から血が出るほど喋
り続け、損失の穴埋めに躍起になる。

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