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◆2000年 1月22日
 住吉人権センターからの要請で、同会館で行われた「人権の集い」に演劇で参加。
演目は転がるひとびとの出し物の中で一番評判のいい「モナリザの微笑み」。今回か
ら若干のキャスト変更があり、それにともなって脚本も一部手直しした。それでも相
変わらずの好評で、満員の会場(400人)の温かい拍手を浴びた。なによりも皆さま
(主催者をはじめ)に驚かれたのが、役者の演技力であった。一応、アマチュアでし
かもボランティア目的で公演をしている劇団だから、その程度のレベルと高をくくら
れているのでしょうな。ふふふ、うちの発声指導をしている小澤奈津子を甘くみなさ
んな。彼女は元N★K大阪放送局のキャスターだったのだ。アナウンス・スクールや日
本語学校で講師を務める小澤女史は、そんじょそこらの役者より、活滑にはうるさい
んだ。全員のセリフが、一語一句漏らさず聞き取れたと感激されている人もいた。こ
の人は普段、よほどセリフまわしの下手な役者の芝居を見せられているんでしょうな。
気の毒な話です。我々のセリフまわしが上手いのは、タダ単に日ごろの修練のタマモ
ノなのです。 

◆2000年 2月
 今年の秋の新作「シェルター 〜それから〜」の脚本が完成。今回は小澤奈津子の
脚本。大野家に待望のiMacが導入され、私はチラシ作りを開始する。

◆2000年 3月
 またまた「モナリザの微笑み」の公演依頼があり、稽古に入る。今度は住吉区の大
領中学校です。ここも松田先生という方が熱心にウチの芝居を後押ししてくださり、
公演を実現させてくれました。この芝居を通して、沢山のひとびとと知りあえました。
皆さん、私たち以上に熱心で、ホントに頭が下がります。
 また、新作「シェルター 〜それから〜」の公演が11月14・15の両日、扇町ミュ
ージアムスクエアに決定する。

◆2000年 4月15日
 住吉区の大領中学校の体育館にて「モナリザの微笑み」公演。当日は父兄の方も何
人か観えられていた。今回もみんな真剣に見てくれた。お喋りしている学生など、一
人もいない。ここはいつもこうなのかと思っていたら、父兄からのアンケートの中に、
「子供たちが、いつになく真剣に静かに観劇している姿に驚いた」とあった。学生か
らの意見にも「ボランティア公演していると聞いて驚いた。こんな大人もいるんだ」
ほかにも「今まで学校に来る演劇はバカみたいと思っていた。でも今日の芝居をみて、
僕も演劇がやってみたくなった」・・・・・・。ご用心めされ。見透かされておりますぞ。
だいたい33歳のオッサンの私でさえ「この人はうさん臭くて嫌な大人だな」と感じ
るのに、子供にわからいでか!私たちは一日も早く、芝居を食い物にしている下劣な
ひとびとが、舞台から去る日を心待ちにし、誠実な活動を続けているのです。

◆2000年 6月
 キャスティングが決まる。難航を極めたリサ役には、いつも受付を手伝ってくれて
いる中藤加奈子を強引に説得し、決定する。劇団を起こして三年目。今年もキャスト
とスタッフ合わせても、十数人にしかならない人数で公演に挑む。年に一度の新作発
表に巡回依頼と、劇団の活動は軌道に乗ってきているのに、劇団員は一向に増えない。
なぜ!?

◆2000年 8月
 「シェルター 〜それから〜」の稽古が始まる。

◆2000年 8月25日
 「転がるひとびと」のホームページ開設。

◆2000年 9月
 セット作りが始まりました。レンタルで済ませた前作と違い、今回は小道具から大
道具に至るまですべて製作しなければならない。手間の掛かること掛かること。毎年
この時期になると職場の倉庫が工房と化す。休日を利用してノコギリをひきまくり、
金槌を振るい回す。脚本兼演出を務める小澤の注文が厳しく、少ない予算と雀の涙ほ
どの私の知恵を搾り出し日々舞台セットの製作に勤しむ。公演まであと2ヶ月余り、
こんなに作るものが多くて本当に間に合うのか?!

◆2000年 10月
 扇町ミュージアムのスタッフと打ち合わせ。事前に劇場で配布してもらうチラシを
預ける。今回も他の劇場や劇団の公演への挟み込みはナシ。基本的に私たちは芝居な
んかやってる奴は嫌いなので、横の繋がりはまったくない。だから演劇好きのお子様
など相手にしてはいないのだ。そんな人、うちの芝居を観ても意味がわからんでしょ
うな。我々はあくまでも大人の鑑賞に堪えうる演劇を目指しているのです。

◆2000年 11月
 小澤の花博時代、一緒に仕事をしていたイベント屋のSさんが大量にパンチ(舞台
上に敷くカーペット)をくださった。東大阪にある事務所まで取りに行くと普段大阪
城ホールなどでイベントを行っているだけあって、あるわあるわ。10年ぐらい芝居
が出来そうな量で、色もより取り見取り。「全部持ってっていいよ」とありがたいこ
とをおっしゃってくれたのだが、そんなに大量に収納出来る倉庫があるはずもなく、
25m巻のものを2本もらった。あまりの我々のおくゆかしさに「せっかく倉庫の整理
が出来ると思ったのに・・」と肩を落とされていた。でも助かりました。ありがとう
ございます!!

◆2000年 11月6日
 公演の1週間前になってトラブル発生。天井の高さが低いため、セットの一部手直
しを余儀なくされる。本番直前までセット作りに追われ、心身ともにストレスの頂点。
おまけに風邪まで引いてコンディションも最悪。チケットは売れてるのか?現時点で
私が捌いた枚数はゼロ。他の劇団員は大丈夫か?売れてるのか?当日は閑古鳥の大合
唱を聞くことになるのだろうか・・・。

◆2000年 11月14日
 いよいよ本番当日。午前8時30分に扇町ミュージアムスクエアに到着。これから
まさに戦争が始まる。今迄上演してきた劇場と違って、ここには客席はおろか舞台さ
えないのだ。すべて扇町側の平台を利用して自分たちで組まなければならない。良く
言えば空間を自分たちが好きなようにプロデュース出来る、ストレートに言えばとっ
ても邪魔臭い、舞台もないくせに何が劇場じゃ!です。
 普通は舞台設営のために公演の前日を余分に一日借りるそうだ。しかし我々にはそ
んな余分な金はないし、あったとしても払う気はない。劇団員の数もよその5分の1
ほどしかいないが、この3年間幾多の修羅場を生き抜いてきた猛者の集まりだ。何が
なんでも開場の午後7時前までには仕込みから場当たり、ゲネプロその後の本番とい
う過酷なスケジュールをこなしてやろうじゃねぇの、べらんめぇチキショウメ!
 でもちょっとだけ心配なので小澤の花博時代からの友人、つ▲ら工芸のKさんとSさ
んに応援を頼んだ。何しろ2人はイベントのプロだ。実際、想像以上に仕事が速い。
あれよあれよと言う間に客席が舞台が設営されていく。その間に舞台セットの仕込み、
設営に金槌を振るいまくる私、平台を運びまくる劇団員。すべての設営が終了したの
が11時30分。ギネスに申請したくなるような速さだ。みんなで楽しくお弁当を食
べ、午後からは照明のシューティングに場当たり、音響・照明の切掛けを合わせるた
めの本番さながらリハーサル(ゲネプロ)が行われる。ゲネプロの時これも毎年恒例
で、いつも受付をしてくれている金井わかなのパパが写真を撮りに来てくれる。わか
なのパパはプロのカメラマンなので、とてもありがたい。ホームページに載っけてる
写真はこのときに撮ってもらったものです。
 一部セットの手直し、スタッフとの細かな打ち合わせ。何とか開場の7時にギリギ
リ間に合った。後は本番で大暴れするだけだ。何しろここまで漕ぎ着けることのほう
が大変で、実は本番を演ってる舞台上が一番、楽なのです。一回目のお客さんの数は
72人。観やすさを考えて、あらかじめ客席を90弱しか用意していなかったのでほ
ぼ満席に見える。しかし、この劇場の真ん中にある2本の柱は邪魔ですな。何とかな
らんものか。切断するのが無理なら、せめてスケルトンにしてくれ。今はパソコンで
も携帯でも透けてる時代やぞ。

◆2000年 11月15日
 2日目、午前11時。音響さんと照明さんは前日の手直しに追われていたが、私た
ちは午後2時の公演まで特に何もすることがない。お弁当を買いに行き前日のアンケ
ート結果を見ながら、ワイワイガヤガヤとお昼ご飯を楽しく食べる。いつも思うのだ
が、どうしてチョコッとでも芝居をカジったことのあるお馬鹿さんは、ああも生意気
なことをお書きになるだろうか?やたらと欲しくもない、しかもお門違いなダメ出し
(アドバイスなのか?)をしてくださる。以前「雪のしずく」という芝居を上演した
とき、やっぱり劇団を旗揚げしたんだから他の劇団の人にも観てもらわなくてはいか
んかな?と思い招待券を沢山送った。あんまり観には来なかったが、お越し下さった
人の意見はもうクソミソだった。「現代の演劇を理解していない」だの「舞台と言う
空間の利用が○▲◇」など。でもお芝居って、自分の中に訴えたい確かなテーマがあ
り、それを表現したい欲求に駆られるから上演するもんじゃないのだろうか?現代の
お芝居にそんなものがあるのだろうか?何も言いたいことが無い人は、芝居なんかす
る必要ないでしょう。一番奇妙だったのは「曲が合っていない。選曲ミス?」と書い
ていたお馬鹿さんです。そんなもん、ワシが書いてワシが選曲してワシが演じとるね
や。選曲ミスもヘチマもあるかい!だいたいこういうことを書く輩に限って住所も名
前も書いていない。そのくせアンケート用紙にびっしり寝言みたいな嫌言を書いてく
ださる。だから私は芝居やってる人なんか大嫌いなんです。人間が低劣でいらしゃる
のにその自覚が無く、おまけに自分が何者なのか知らしめる度胸もない。せめてお名
前ぐらいお知らせくださいませ。探し出して私の得意の右フックをボディーにお見舞
いさせて頂きますので。
 話は戻ってお昼の公演。お客さんの数は29人だった。もともとお昼に何もせず劇
場を空けておくのはもったいないし、昼間しか時間がない人もいるだろうからという
ことで始めたお昼の公演だから、これでいいのだ。
 夜の最後の公演には80人のお客さんが来てくれた。この後はこれまた過酷な撤収
が待ち受けている。10時までにすべての作業を終えないと追加料金を取られる。た
だでさえ金がない我々としては、ナンとしてもそれだけは避けたい。終演予定時間が
8時46分。客だしに10分掛かるとして実質1時間弱。やっぱり本番よりもこっち
のほうが大変だ。出番を終えた役者から順にメイクをおとし、撤収準備へ。終演と同
時に作業に取り掛かれる用意を整える。だから「転がるひとびと」の舞台では、カー
テンコールは行われないのです。もともと嫌いですが。
 午後9時。鬼のような撤収作業が始まる。ノルマンティー上陸作戦、昨日の仕込み
以上に現場は戦場と化している。持ち込んだ舞台セットの積み込みも終え、扇町を後
にしたのが午後10時10分。残念でした。驚異的なスピードではあったが、10分
オーバー。あぁ無情、しっかりと1時間分の延長料金を取られた。2日間、3回公演
での総入場者数は181人で評判は良かった。総支出額104万9円、そして今回の
赤字48万9円。よって大野家がお正月に予定していた香港旅行は・・・・・・中止!

◆2000年 12月
 大野隆麿作・演出による次回作の執筆が始まる。今回は原点回帰、「雪のしずく」
より重い話になりそう。乞う御期待!!

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