「暮らしの中の仏教語」
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分身・前身・後身
 「この小説の主人公は作者の分身ぶんしんだ」などと言いますね。分身はフンジンと読まれてきた仏教語です。分身とは仏、菩薩が衆しゅ生じょうを教化する為に身を変化させ、種々の形をとって出現なさること、又はその身のことで、この娑しゃ婆ばは世尊分身の所在の国土です。法華経の神力品には「能よくこの経を持たもたん者は我われを見、亦多た宝ほう仏ぶつ及び諸もろもろの分身者を見、我が今日教化せる諸の菩薩を見るなり」とあります。法を守り、十じっ方ぽう分ふん身じん三さん世ぜの諸仏に帰依し、皆仲良く暮してゆきたいものですね。
 一つの仏さまがいくつもの仏さまに分かれることから、一般に、一つのものが二つ以上に分かれること、又は分かれたものを分身と称するようになりましたが、仏さまのように、人を救う為の分身を実現してゆきたいと念じてやみません。
 次に、前身ぜんしんと後身こうしんですが、これらは対語です。「この大学の前身は師範学校だ」などと使われて、よく知られた仏教語となっていますね。前身とは「前世における身体」ということで、自己を形成する過去の身です。これに対して生まれ変わった身を後身こうしんと言います。後身という語はまだ一般にはよく知られていませんが、日蓮聖人が自分のことを「上行じょうぎょう菩薩の後身」と信じて法華経を広められたお話はよく御存知でしょう。
 前身と後身は、生まれ変わる以前と生まれ変わった以後を指すわけですが、生命の流れはそれを境にとぎれるわけでありません。生まれ変わりに死に変わりして続いてゆきます。師範学校が○○大学の教育学部となっても、同窓会員はそのまま続くように、仏さまが人間になっても、人間が仏になっても「永遠の生命」は続くでしょう。要は私達が何に生まれようとも「生しょうを易かえ身を易かえても三宝を供養し敬うやまい奉たてまつらん」と願い、日々精進することだと思います。即ち、世を救い人を救う生き方を貫くことです。お互い励むことに致しましょう




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