「暮らしの中の仏教語」
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心ばかり
 先日ある家へ行きましたら、仏壇前に「心ばかり」と書いたのし紙付きの箱が供えられておりました。贈り主の名前入りです。
 最近は、のし紙に書く語も変わり、くだけた表現も登場するようになったのでしょうか。心ばかりとはもちろん人に金品を贈る時、謙遜の意を込めて口で言う語ですね。「ばかり」は副助詞で、物事を限定したり程度を示したりする語ですから、心ばかりとは心の段階で止まっていてそれ以上でないということになります。
 では、それ以上とはどうなることでしょうか。前にもお話致しましたように、心(意)があれば必ず語ことば(口)に出ますし、体(身)で表現することにつながります。例えば、怒ると口からは怒りの言葉が発せられ、暴力へとつながりますし、感謝すれば「ありがとう」と口で発しながら頭を下げる動作をするでしょう。
 仏教では三業相応と申しまして、身しん口く意いの三者の釣合いをとることが大切です。人間はこの三者で悪いこともすれば善よいこともするわけですね。悪いことは心(意)の段階で止めなければなりませんが、善いことは口から更に身へと進めましょう。心ばかり、口ばかりでは、いまいちなのです。
 ところで「心ばかりなのですが・・・」と言いながら相手に金品を贈る時は、すでに心ばかりではなくなって、実行に及んでいますね。金品の量が少ないので謙遜して言うのですから、これはこれでよいでしょう。のし紙などに書かれてきた語としては、同義語の寸志とか微意、薄謝などがあります。
 礼儀作法にうるさい人が語の使い方をあれこれ言いはじめると、その語は一般化されなくなってしまいます。間違うより無難な方を用いようとするのが庶民でしょう。
 のし紙に書かれる語も、時代とともに変化してゆくのでしょうか。


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