「暮らしの中の仏教語」
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制止・停止
 今は「相手の言動をおさえとどめる意」に用いられている制・止・ですが、本当に制止しなければならないのは何でしょうか。仏教辞典には、「欲望を制し止めること、戒の異名なり」と出ておりました。欲望を制止することは、自分本来の姿にたちかえることであり、その為には戒を保つことが一番です。制止の状態とは右にも左にも傾かず、前にもくぐまらず、後ろにもそり返らず、中道実相と一体になることであり、座禅の姿に一致します。
 制止も戒も中道も座禅も同じことだと言われたって解わかりづらいですが、同じことを違う角度からとらえたと考えたらどうでしょう。
 本来の制止をすれば解るかもしれません。
 次に停止とは一般に呼吸が停止するとか、車を停止線上に止めるとか使われてますが、これも本当に停てい止し(仏教読みはちょうじ)しなければならないのは私達の邪心に他なりません。煩悩にまみれた心をしばし停止してみましょう。仏教では五停じょう心観と申しまして、邪心を停止する五種の観法があります。つまり 外界が不浄だと観じて、貪むさぼりの心を停止する不浄観 相手の立場に立って瞋いかりの心を停止する慈悲観 物事の道理をよくみて愚痴ぐちの心を停止する因縁観 広い世界をよくみて我見を停止する界分別観 呼吸を整ととのえて散乱の心を停止する数す息そく観です。貧、瞋、痴、我見、散乱という五つの心の過あやまちを停止して得られる仏道修行の成果を五ご停じょう心しん位いと言います。
 私達凡人はわかっていてもなかなか本当の制止や停止ができません。自動車を制止したり停止したりすることは結構得意なんですが、自分の心にブレーキ操作することはむづかしいですね。運転手が事故を起こさない為には、アクセルよりもブレーキに注意するように、人生に事故を起こさない為には、心の中の煩悩というアクセルよりも、戒というブレーキに意を注そそぐことが大切ではないでしょうか。


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