.gif)
われら・みなともに
法華経化け城じょう喩ゆ品ぼんにある「願以比功徳、普及於一切、我等与衆生、皆共成仏道」の一節は、「願わくはこの功徳をもって普あまねく一切に及ぼし、我われ等らと衆生と皆みな共に仏道を成ぜん」と読み下されて、浄土門以外の宗派に代々伝えられてる有名に文言もんごんとなってますね。
わ・れ・ら・・み・な・と・も・に・の考え方は日本人の心に多大なる影響を及ぼしました。われではなくわれら・です。自分だけではなくみなと・も・に・です。仏教的に考えれば、われ一人だけが成仏したり幸せになったりすることはありえません。みんなとともに幸せになってこそ、自分も幸せになれるというものでしょう。
浄土教善導流の祖・唐の善導大師は、願以比功徳以後の句を「−、平等施一切、同発菩提心、往生安楽国」と応用なさいましたが(観経疏玄義分序)、「平等に一切を施ほどこし、同じく菩ぼ提だい心しんを発して安楽国に往生せん」というのですから、われら・みなともにという精神に変わりはありません。
ところで最近の社会情勢をみるに、どうもこの「われら・みなともに」の精神が欠けてきているように思えてなりません。人を押し退のけて前へ進まなければ、勝利も出世もしない・・・勝利や出世が損得に直結し人生を左右する。そんな考え方が受験競争を生み、幼い年齢層にまで深く浸透してしまっています。自分さえよければというような風潮が蔓延する一方で、悪いことがあると責任を転嫁する。自分がこんな目にあうのはあいつのせいだ。こいつのせいだ。この怒りをいったい誰にぶつけたらよいのだろう・・・となるわけです。大混雑の車内にあって「私も混ませている者の一人だ。」などと考える人はあまりいないでしょう。混雑して私を困らせているのはやっぱり、自分以外の者でしかありません。
このへんで原点にもどり「われら・みなともに」の精神をとりもどしたいものです。一人一人が幸せの運びやになりたいものですね。
広大寺 住職へのメール koudaiji@khaki.plala.or.jp
|