「暮らしの中の仏教語」
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宗教・宗師・教師
 先日タクシーに乗った時のこと、運転手さんが私の坊さんスタイルを見て「私は宗教は嫌いだよ」と話しかけてきました。私が返事に困っていると「お寺さんが一番いいよね」とのことでした。「どうやらこの人の宗教とは、最近新聞を賑わしている新宗教のことらしい」と、私はホッとして乗り続けました。
 それにしても「宗教」という言葉から連想されるイメージは多様ですね。広義から狭義までたくさんある上、最近は、犯罪者を偉人視する価値観倒錯現象まで、宗教の仲間に入れられてるようです。気狂い・カリスマ・教祖は皆宗教者に属するのでしょうか。
 ここで宗教の本来の意味を考えてみたいと思います。まずリリージョン(神との契約)を宗教と訳したことから、宗教の定義がおかしくなり出したと思ってください。頭を古き昔の時代までバックアップさせて、字の成り立ちから考えると、宗とはウ(家)の中に示(神)をまつるみ・た・ま・や・のことだと解ります。神とは祖先神のこと、それが転じて物事のおおもとを表わす意となりました。儒教ではこの字をソウと読み「万物の宗」などと使いますが、仏教ではシュウと読み、おおもとの教え、第一義を指します。宗は言語で表現できませんが、これを説けば教となって人を教え導くことができます。中国の宋そうより明みん時代には、宗・と教・が並べられ、宗は禅門を、教はその他の仏教を指したことがあるそうです。
 お釈迦様は宗を悟り、教をもって人々を化導なされましたが、その後の僧侶はどちらかに片寄り、人々に尊ばれるだけの師=宗師と教化に力を入れる師=教師に分かれることが多くなったようです。宗師も教師も坊さんのことですが、現今ではお寺と無関係の教師がやたら増えたようですね。
 とにかくこのように、宗教とは本来大切なものです。「宗教お断り」のはり紙を見かける日本は、どこか歪ゆがんでしまったのではないでしょうか。


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