「暮らしの中の仏教語」
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まごころ・信心・洗心


 他の人の為につくそうとする純粋で美しい心を「まごころ」と言いますね。
まごころを漢字にすれば「
真心」となり、これをシンシンと読めば、仏・菩薩
の持つ慈悲の心即ち仏心を指します。
 一方、マコト(真)ノココロ(心)と読んで更に縮めれば、「マコトゴコロ」→
「マゴコロ」とまごころに戻ります。
 又、まことの心と言えば、浄土真宗では「
信心」の字をあて、凡夫が阿弥陀様
の真実心を領受したものをサシマス。領受すれば同じ心ですから、仏心も
信心も真の心も同じものを違う角度から指し示したものと言えましょう。

なんだかわかったような、わからぬような話になりましたが、仏さまと私達の
間や私達お互いの間に「まごころ」を通わせることが大切ですね。まごころを
通じ合わせるには、お互いの心がきれいでなくてはいけません。

しかし残念ながら、私達凡夫の心は、煩悩という塵芥にまみれ、それが絶縁体
となってお互いに通じ合わないのが現状です。

そこで常に心をきれいにしておくよう心がける必要があります。私達が何か
美しい光景に出会った時、心洗われる思いをすることがありますが、自分から
積極的に心を洗ってきれいにする姿勢が望まれますね。心を洗う事を「
洗心
と申します。

洗心という言葉はよく知られた言葉ですが、今のところ国語辞典を引いても出て
おりません。洗脳や洗礼が出ているのに洗心がないとは変な現象だと感じましたが
そのうち辞典に取り上げられるでしょう。

とにかく、自分で洗心して、仏様や皆様と、まごころがうまく通じ合うようにして
おくことに致しましょう。心にたかる塵・芥・垢を離せば、そのまま仏に成れると
いうものです。洗心法は念仏や坐禅、読経などたくさんありますから、自分にあった
方法でトライなさればよいのではないでしょうか。


広大寺 住職へのメール    koudaiji@khaki.plala.or.jp

 
 

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