「暮らしの中の仏教語」
日常使う私たちの日本語を学んで見ませんか?
ホーム

所見・所化


校や病院関係の書類に、よく所見欄がついておりますね。
所見とは見ての状態とか考えられる物事を言いますが、仏教的には
「凡夫(ぼんぷ)の妄分別(もうふんべつ)を以(もっ)て思い直すこと」を見と言い、
所はその受身を表します。
従って所見とは「妄分別を以って思いなされる物事」ということになってしまいましょうか。
所見の対義語は、もちろん、能見相となれば、真如に対する不覚によって妄想心が起こり、
それによって働く心の状態を言いますね。

なんだか面倒臭い理屈になってしまいましたが、相手を正確に見て、勝手に決め付けず、
妄想をもって見なければ良いわけでしょう。虎を見て馬というような事があってはいけません。
間違ってみることを「所見異」と申します。

こんな事を知ってしまうと、所見欄にやたらのことをきにゅうできないようになってしまいそうですが、
まぁ、これはこれ、それはそれという風に考えて良いのではないでしょうか。
私は所見欄を記入する時は、自分なりに見立てた事を書かせて戴いております。


ところで法華経の如来寿量品に「薄徳の人は善根を植えず、貧窮下賎にして五欲に貧著し、
憶想妄見の網の中に入りなん
」という条(くだり)があります。相手をよく観察すれば、案外良い
人だったり、素晴らしい物事だったりする事が多いようですね。
何事に対しても、自分の思いを押し付けることなく、広い大きな心で接してゆきたいものです。


 次に所化(しょけ、または、しょかとも読む)と言う言葉がありますが、この所も受身を表し、
<教化されるもの>という意味です。従ってお寺の修行僧から化け物に至るまで、私たち
みんなが所化であり、<教化するもの>つまり能化(仏・菩薩)の方々より化導して戴く事になりますね。
自分を買い被る事無く、謙虚に生きたいものです。


広大寺 住職へのメール    koudaiji@khaki.plala.or.jp

 
 

Copyright © 2002 koudaiji All rights reserved.
| サイトマップ