「暮らしの中の仏教語」
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心・心田・心水・心証


心とはなんでしょうか。
一般に、体の中にあって広く精神活動を司るものを、そう呼んでいますね。
そしてその精神活動に従って体が動かされてゆくことになります。

仏教で言う心は普通、
@集起を義とするチッタ(心)
A思慮を義とするマナス(意)
B了別を義とするヴイジュニャーナ(識)の三つに分けられ、
仏教徒はこれら心意識に惑わされない静かな世界(悟り)を求めようとします。

心はまったく生滅無常なるものであり、木をつけて扱わないと
大変なことになってしまうんですね。
遺経に
「当(まさ)に好(よ)く心を制すべし。心の恐るべきこと毒蛇・悪獣・怨賊より甚だし」
と警告しているとおりでしょう。
私は「
己が心に気をつけよ、地獄・極楽思うままなり
という句を作りました。
何事も心次第で、自分が極楽の住人ともなれば、地獄の住人ともなるということです。
自分の心は自分で制する以外にありません。三界唯一心です。
心に心したいものですね。

ところで心は体内のどこにあるのでしょうか?
心臓にあるのか、頭にあるのか、肝にあるのか、それとも腹にあるのか。
いいえ、心の在り処は定まることを知りません。
体内を駆け巡るばかりか、体外へも出てゆきます。
心が留守の時には
「心ここにあらざれば見れども見えず、聞けども聞こえず」という風に、
体のどの部分も機能致しません。心の置き所をシッカリ定め、シッカリと制して行きたいものです。

また心はいろんなものに喩えられますね。
心は善悪の苗を育てるから心田、
心は万象を映し、功徳を積む事によって良き苗を育て、素晴らしい心証に達しようとしなければなりません。
心証は法的には<裁判官が弁論や証拠から得た確信>を指しますが、
本来は仏教語で<真理を会得すること>を指す言葉です。



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