「暮らしの中の仏教語」
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論議(義)
ある事柄について意見を戦わせることを論議と言いますね。
議論することです。
今は民主主義時代ですから、この論議は大切ですし、論を
競うデベート大会まで開かれるほどになってまいりました。
しかし「相手を言い負かす」ために、言葉だけが巧みになるのは
考えものです。
言い負かされた相手が、論では勝てぬと見て、暴力に訴えて
くるかもしれません。
言い負かされて手をあげる人、言い負かされてヒステリーを起こす人、
言い負かされて刃物で迫る人、強盗に変身する気の小さい泥棒等等、
いくらでも困ったことになる例はあげられましょう。
道元禅師は
「たとい我道理をもっていうに、人ひがごとを言う理をもって攻めて言い勝は
悪しきなり」とおっしゃいました。
論に巧みであるより誠実な言葉で話すことに致しましょう。
相手を尊重し、慈悲の心で対処する方が賢明です。
元来、論議とは論義のことで
「経論の要義を問答によって説き明かす」ことでした。
それは仏教の布教方法の一つであり、仏教が日本に入ってきた頃より
盛んに行われてきたようです。
勅命によりこの「論義」が行われ、問者と講師が入堂後に法要し、
経釈(きょうしゃく)を終わった後に論義する風もあったそうです。

仏教はこの論議という方法で教線を広げていったのですが、
現代では一般的なことで論義(論議)がなされる時代となりました。
仏教では『どこからつつかれても堂々と正論で対処し正論で対処し、引き下がらない。
相手の人格を傷つけず、諭して利益(りやく)を与える』
というもので、かなり力量が求められます。

しかし、慈悲の心と行動が後ろ盾となっていれば、そう難しいことでないかもしれません。

私たちが色んなことで論議する時も、是非この精神を忘れずに対処してゆきたいものですね。



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