息災
病気をせず、健康であることを無病息災と言いますね。息災とは無事とか達者と同様に、人の幸せを願う時の言葉ですが、いずれも仏教語であることを考えると、仏教がいかに人の幸を願う宗教であるかがわかるというものでしょう。
ところで息災とは梵語のシャーンティカの訳で「天才・疾病・罪障などの一切の災害を消滅させる」意を表しています。
仏教、特に密教ではこの息災を積極的に追求し、「息災法」という修行を行ってきました。仏さまの力で災害や病気などを除いてもらおうというわけですね。
今、息災というと、個人的に身体のさわりがないこと・個人生活に災いがないことを指すように思っている人が居ますが、皆の息災を祈ることこそ大切であり、それが息災の原点です。是非、利他を先とする菩薩行を行うことに致しましょう。
また、息災といえば、暦に「息災日」なる日がありますね。春は巳の日、夏は申の日、秋は辰の日、冬は酉の日というのですが、願わくは、毎日を息災に暮らしたいものです。心次第で毎日が「万事に吉」とされる息災日となるはずですから…。たとえ年月を重ねて年齢をとり、生老病死をうんと身近に感ずるようになったとしてもです。たしかに老齢化すると体に故障が起き易くなり、動きが鈍くなることから災害にも会い易くなります。若い人と比較すると自分の衰えが気になって情けなくもなります。
でも、「なんのこれしき!」とばかり精進してゆきましょう。自分よりもずっと大変な災害や病気に見舞われている同輩のことを思い浮かべれば「自分はまだよい方だ」と思えるはずです。人間としての仕上げの修行はちょっとキビシイかもしれません。仏さまになる為の修行と思い、最後までシッカリ生き続けようではありませんか。
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