親切
昔、ある家へお参りに訪れた時のことです。白い息を吐きながら読経している私の足元に何かが触りました。そのあとチョット足が暖かくなりましたが、知らんふりでお経を読み終えて後ろを振り返ると、なんと私の足元に毛布が掛けられていたのです。そういえばさっき座布団に座ったときも冷たくありませんでした。きっとおばあちゃんが前もって火のところで暖めておいてくれたのでしょう。
「寒かろう」と思って、ここまで親切にしてくださる!!これは若い人ではできません。大体気が付かないでしょうし、気付いたところでなかなか行動に移せません。
老婆となればこそ出来る底抜けの思いやり、有り難いことではありませんか。
禅宗では老婆がよく子や孫を慈しむように、修行者をあたたかく導く指導が求められますが、これを老婆親切と言ってまいりました。老婆心血滴々の仏法とは親切の仏法です。
ある人が「親切という言葉を日本語として最初に使ったのは、道元禅師ではないか」とおっしゃてましたが、そうかもしれません。アラユルコトヲ、ジブンノカンジョウニ入レズ、只、相手を理解し、相手と密接にするのでなければ本当の親切はできないでしょう。
「山河の親切にわが知なくは、一知半解あるべからず」と坐禅箴にありますが、山河大地と密接に親しくし、自他ともに成道して救い救われてゆきたいものですね。
ヨクミキキシワカリ…東ニ病気ノコドモアレバ行ッテ看病シテヤリ 西ニ 南ニ 北ニ…と菩薩行を歩み続ける賢治の法華経の世界は、老婆親切の禅の世界と一味です。
覚りの明るい世界、親切にしあう暖かい世界に住んでいきたいものですね。
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