「暮らしの中の仏教語」
日常使う私たちの日本語を学んで見ませんか
奉行
 奉行というと、大岡越前守・遠山金四郎などの人名や勘定奉行・長崎奉行など昔の官職名を想起なさる人が多いでしょう。
 実はそのような奉行の用い方は、日本の武家政治時代に限って有効だった用い方です。奉行とは本来、「うやうやしく行う」事で、仏教的には、お釈迦様の教えを実行することを指してまいりました。皆様は「諸悪莫作(まくさ)、衆善奉行、自浄其意(ごい)、是諸仏教」という七仏通戒偈(しちぶつつうかいげ)を御存知ですね。この第二句目「衆(もろもろ)の善を行い奉れ」という奉行こそが、本来の奉行の用法に他なりません。
 鎌倉時代にはじめて開かれた幕府では、将軍の命を受けてその勤めを果たす事が善であるとして、この奉行を役職名にしたのでしょうが、政治的に善である前に、宗教的に善であることが必要でしょう。
 ところで私達は、意(こころ)で思ったことを口に出し、更にこれを身(からだ)で行って実現するという順を踏んで物事を行っております。仏教ではこれを身口意(しんくい)の三業(さんごう)と呼んでますが、意(こころ)と真正面に取り組むのが宗教であり、口に出し、身に行って具象的なものにしてゆくのが政治です。意の段階ではまだ個人的なものですが、口と身は社会的なものとなり、家庭を治めることから市制・県政・国政レベル、更には国際的な政治へと発展してゆくことになりますから、その点で宗教と政治はしっかり結びついていると言えましょう。だから宗教と政治は昔からそれなりの関係を保ってきたのですね。
 しかし、特定の宗教が政治を支配したり、政治や役人が宗教を支配するのは危険です。もし変な指導者が出てこの二つを支配すると、巨大な力で皆を破滅に導いてしまうからです。政教分離、三権分立などは、この支配力の一極集中を防ぐ意味で大切ですね。分けておいても、善い方向へなら、それらの力が終結して、物事を成してゆく事でしょう。衆善奉行を心がけたいものです。



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