摂取・抑止 仏様の慈(いつく)しみと悲しみは常に智慧に裏づけられ、その功徳(くどく)は広大無辺ですが、摂取と抑止という仏の衆生救済法にもその一端をうかがうことができましょう。
摂取とは仏の心光の中に、私共苦しんでいる衆生を全部摂め取って漏らすことがないという大慈悲を表わす語です。でも、いつも摂取してばかりではだめ。時にはこの慈悲を抑え止め、悪逆なるものを制し、戒めることも必要となります。これが抑止であり、昔から如来(にょらい)の抑止摂取(おくしせっしゅ)の二門として知られていますね。
仏は智慧をもって方便を用い、衆生が悪に走るのを防ぐ一方、慈悲をもって善悪一切を受け入れて漏らさないのだそうです。どっちをも救ってくださるのだから誠に有難いことと申さねばなりません。
現代の国語では、摂取といえば学問や技術あるいは栄養などをとり入れることに使い、抑止といえば「交通事故を抑止する」という風に使っていますね。仏教語も巷(ちまた)で使われ出しますとずいぶん違うことを表わすように変わってしまうものですが、本来は仏様の作用をいう高い内容の語であったことを知っておいてください。
そして世の先生や親には、是非仏様にならって、子弟を育ててほしいものだと思います。子供を退学処分や勘当にして教育を放棄するなど、仏様からみればどんなに情けないことに見えることでありましょうか。
観無量寿経には摂取不捨という句があり、阿弥陀仏は念仏の衆生を摂め取って捨てないと説かれております。差別・偏見を捨てて《喜捨》、衆生は絶対に捨てない《不捨》。阿弥陀様の不捨誓約(ふしゃせいやく)にならい、私達も子弟に対してはそのような態度でのぞみたいですし、私達自身は安心して仏様に導いてもらいたいと思う次第です。
法話目次八はこちら
サイトトップはこちら