「暮らしの中の仏教語」
日常使う私たちの日本語を学んで見ませんか
修業・修行
 たまたま私が修行のお話をさせて頂く機会を得、黒板に大きく「修行」と板書(ばんしょ)した時のことです。
 一人の教養ある御婦人から『修ギョウのギョウは業(なりわい)の字でないのか』という御指摘を賜りました。私は『坊さんの修ギョウには行(おこない)の字を用います』と答えたのでありましたが、私自身、使い分けがよくわかりませんでしたので、その後調べたことを皆様にもお話いたしたいと思います。
 今の国語辞典によりますと、「修業」とは学業や技術などを習い修めることであり、「修行」とはこの習い修めたことを身につけて実行することだとあります。そして「修業」には「修行」のような自分を鍛えるという深い意味はないのだそうです。
 ところで、この「修業」も「修行」も実は仏教語でありまして、「修業」とは業を修めること、「修行」とは仏道を修習行作することをいいます。
 自我偈には、仏の慧光(えこう)や寿命は久しく「修業」して得られたものであると説かれ、私達も仏道を「修行」して速やかに仏身を成就すべきことが示されておりますね。
 修行とは何か、ということになりますと解釈や方法がたくさんあって大変なことになりますので、ここではその一例を申し上げることにいたしましょう。
 修行とは行を修めることで身と口と意(こころ)をつつしみ、十の善い行いを実行することをいいます。即ち、殺生(ころし)・偸盗(ぬすみ)・邪婬(うわき)・妄語(うそ)・両舌(にまいじた)・悪口(わるくち)・綺語(ごまかし)・貪欲(むさぼり)・瞋恚(いかり)・邪見(よこしまなみかた)の十を遠ざけることですね。
 まあ、修業年限何年と表現される学校時代は「修業」の期間、あとの人生は全部年限の無制限である「修行」の期間と心得て、一日一日を精一杯生きてゆきたいものでございます。


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