「暮らしの中の仏教語」
日常使う私たちの日本語を学んで見ませんか
立  派


 「子供が立派に成長した」とか「何々を立派にやり遂げた」とか使っておりますが、実はこの立派、普通の漢和辞典を引いても出てきません。それもそのはず、日本で作られた純然たる日本語なのです。
 平安時代の昔、京都の比叡山延暦寺はちょうど今日の大学のようなものでありまして、日本各地から優秀な学僧を集めておりました。そ
して都にある一流大学のこと故、教義の研究が盛んで、勅修の広学竪義という大開答が時々行なわれたのです。この公開の問答に勝つことを、派を立てる、すなわち立派といいました。いまでも禅問答をしてこれに勝つと、立派だと賞讃されております。
 皆さまご存じのように禅宗寺院の住職として一人前になるには、晋山結制を置いてこの問答という開門を通らなければなりません。住職の答える問答に台本などもちろんありませんし、誰から何を開かれるかは、その時まで全くわかりません。新命住職は大汗をかきながら皆さんの質問に即答し、じっとこの間答を見守っている審判長ともいうべき白槌師(びゃくついし)の「よくやった」という証明の槌を待つわけです。カチッという音を聞いてはじめてホッとし、はれて一人前の住職としての一歩をふみ出します。長い間の研究と修行が実り、人から認められてはじめて立派といえるのです。
 普通に使われている立派の意味は「みごとだ」とか「すばらしい」というようなことを総合的に指しているようですが、本当の立派となるためには、はかりしれない努力のあることを見落とすわけにはゆきません。正真正銘の立派になるよう、常日頃努力を重ねてゆきたいものです。




                


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