肉眼・天眼・心眼
今日(こんにち)では、『眼』をガンと読むのが普通になっていますが、仏教語としては呉音でゲンと読むのが普通であることをはじめに申し上げ、五眼(ごげん)の話を順を追って話してみたいと思います。
私達のこの体についている眼は肉眼といいまして、実のところ、あまり出来の良い代物ではありません。望遠鏡や顕微鏡の世話にならないと遠いものや小さいものは見えませんし、常識の域を脱せず、実利ばかり求めている眼です。
人の見えないものまで見たいと思ったら、まず天眼(てんげん)を開かなければなりません。運命まで見通そうとするものを天眼鏡(てんがんきょう)といいますが、天眼とは神々の眼であり、昼夜、遠近の別なく物象(ぶつしょう)を見つめることのできる眼です。最近では人間も科学の力によって、かなり物象の究明ができるようになってきましたね。
でも、天眼を得た状態で満足していてはいけません。実は慧眼(えげん)、法眼(ほうげん)、仏眼(ぶつげん)がその上にあり、これらも得てはじめて完全な眼を具(そな)えることになります。
三番目の慧眼とは縁起、実相を見る眼で、哲学的認識力があるということです。私達はこの眼を開いて空(くう)の理を悟り、自己を完成させなければなりません。又、法眼とは内観によって、真実を見ぬき正しい道理を示すことで、芸術や道義、礼楽はこれから生まれます。最後に仏眼とは、一切を知り一切を照らす宗教的な眼であり、救済を体認することですね。
仏様はこれら五眼を具有して私たちを導き、私達の心の眼を開かせてくださいます。心眼とは、この五眼をもって一切の事理を見ぬく力を得ることをいいます。
あなたは肉体についている肉眼だけしか開いていない人でしょうか。それとも五眼を全部開いて、その奥の心眼でものを見ている人でしょうか。
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