「暮らしの中の仏教語」
日常使う私たちの日本語を学んで見ませんか

滅相
 「滅相もない」といえば「とんでもない」とほぼ同義で、あるべきことでないものに対して否定的に使われる語となっていますね。また「滅相もない」と「滅相な」が似たような意味なのは、とんでもないことなのか、それともとんだことなのか……とにかくここでは滅相について考えてみましょう。諸行は無常であるというのはお釈迦さまの教えの第一条項ですが、無常の姿をよく観察すると、生・住・異・滅の四つの相に分かれていることが分かります。つまり、この世のすべてのものは@生じたあとAしばらくはその状態にとどまるが、Bやがて状態が変化してC消滅してゆきます。私たち人間も生まれ、成長し、老化して、死んでゆきますね。 これが因縁によって生じた一切のもののたどる道なのです。滅相とはこの四つの相の姿で、有為法が現在から過去となってゆくのを成立させる原理です。有為法とは現象界の一切の事物のことで、私たちはその因果関係によって輪廻し生存しているといえましょう。 ところで仏教のめざすところはこの滅相を滅し己ることで、いろは歌の三句目「有為の奥山けふ越えて」は、このことを言っています。そして第四句目「浅き夢みし酔もせす」は、有為の世界から無為の世界、すなわち寂滅という絶対的存在に入り、もう輪廻することも迷うこともないところに達するということでこの境地がいわゆる不退転位であり、涅槃ということですね。そこは明るいお悟りの世界です。 私が滅相の話をするなど本当に「滅相もございません」と申し上げたかったのですが、多少なりとも功徳となれば幸いです。
諸行無常 いろはにほへとちりぬるを
是生滅法 わかよたれそつねならむ
生滅々已 うゐのおくやまけふこえて
寂滅為楽 あさきゆめみしゑひもせす






                


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