無造作・造作ない
造作とは読んで字の如く、造り作すことです。つまり、自然にそうなったものではなく、人為的、意識的に作ったということですね。雑作はあて字です。今日、無造作というと、慎重さがないままに物事をすることであり、造作もないといえば、手間をかけずにたやすく物事ができるという意味に使っておりますが、「意識的にするまでもない」ということから変化したものでしょう。
とにかく造作とは、人が遣り作したもので、不自然のカが加えられております。私たち人間の行は、自分の我が入いり込み、「覚ろう」とか「善いことをしよう」と意識的に心がけるのでなければ、なかなか修行ができませんが、仏さまのはたらきには何の造作も加えられておりません。仏さまは常に無造作であり、すごいことも造作なくやってしまわれます。
『正法眼蔵』仏教之巻に、菩薗乗について書かれている所があるのですが、ご紹介しておきましょう。「(菩薩は)六波羅蜜の教行証によりて阿棒多羅三貌三菩提を成就す。その成就といふは造作にあらず、無作にあらず・…:無為にあらず。ただ成就阿据多羅三貌三菩提なり云々」。
六波羅蜜(布施・持戒・忍辱・精進・禅定・智慧) の波羅蜜とは到彼岸ということで、阿糎多羅三貌三菩提とは、無上正等覚と訳されとますね。私たちも仏・菩薩にならって、覚りの岸へゆく六つの修行徳目を実践してみましょう。はたして無造作に実践し、造作なく覚れるか。
覚りは意識して追いかけるものではなく、いつのまにか覚っているのだといいます。仏教の教理 (教) を実践 (行) してこれを証すれば、自然体で無上のお覚りに到ることができるでしょう。カをぬいてまずやってみようではありませんか。
法話目次十一はこちら
サイトトップはこちら