無 常
平家物語の「祀園精舎の鐘の声、諸行無常の響あり」という一節はあまりにも有名ですね。そのせいか、無常というと盈者必衰の理であって、ダメになること、死ぬことなどのマイナス面がまず頭に浮かびます。
その結果、諸行無常を教えの第一に掛げる仏教が暗い教えと受けとられやすいようですが、仏教者はこの世が無常だからこそ良いのだとも思っております。無常とは移り変わることですから、貧乏人が金持ちになり、病人が健康になり、赤ん坊が成長するのも無常なればこそ可能といえますね。もし、世の中のすべてのものが固定して移り変わることがなかったら、貧乏人は貧乏人のまま、病人は病人のままであり、赤ん坊が大人になることなど絶対にありえません。人間は、欲ばりですから自分がベストの状態であれば、今が常であってほしいと望みます。でも、どれをベストとするかということ自体が無常であることも知らなければなりません。たとえば、浦島太郎にとって竜宮城の生活は初めはベストでした。でも、ついには飽きて暇乞いもそこそこに逃げ出したではありませんか。世は皆、無常だからこそ良いのです。無常をプラス思考で考えた時、自分の死をも次に往生するためのバネと見ることができ、無常を恐れることもなく、いつも前むきに生きて死んでゆける思うのです。
「定めなき 世のありさまに目醒めよと 教えて帰る子は知識なり」
これは我が子を失った親御さんが、考え方をプラスに変えた時に達した心境です。
仏教の否定の思想の先には大いなる肯定があります。どんな無常の風にも吹き飛ばされることなく、逆に、この風に乗って我が人生を豊かに展開させてゆきたいものです。
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