「暮らしの中の仏教語」
日常使う私たちの日本語を学んで見ませんか
無  情
 ユゴーの長編小説『レ・ミゼラブル』は、黒岩涙香の邦訳『あゝ・無情』によって、日本中に有名になりました。原題は「みじめな人々」なのに、涙香がなぜ無情という言葉に置きかえたのか、分かりませんが、以後、無情をみじめと同義に感ずる人が多く出ていることは否めません。
 無情とは、文字通り情が無いことなのですが、情とはいったい何なのでしょう。実は、心を本体と作用の二つに分け、本体を性、作用を情といいます。人情・愛情・友情・同情などすべて思いやる心の作用ですから、情とは思いやりと考えてよいかも知れません。
 ところで仏教では、感情や意識をもつ一切の生物を有情といい、山川草木瓦礫のような感情や意識があると思えないものを無情(または非情)といいます。無情とはいっても心の本体「性」は、あるのだということをここで強調しておきましょう。しかも、自分勝手という我欲に支配されない純粋な性をそなえております。有惰も無情も生存、存在においては同等であり、衆生として本来の性がありますから、この性を仏に見たてて仏教では悉有仏性というのですね。野の草にも、私が使っている鉛筆にもみんな仏性がある。仏性がある以上仏さまなのだと考えたら、もう、あだやおろそかに扱うことなどできなくなるでしょう。人を大切に、物を大切にといくら力説してみても、この考えのない人には限度があろうというものです。
 無情にも心があり、薄情に見える行為も本当は惜深いのかも知れません。なにしろ相手は仏さまなのですから…。
「宿かさぬ人のつらさを情にて、騰月夜(オボロヅキヨ)の花の下臥(シタブシ)」。
これは旅の途中、野宿をしなければならなくなった太田垣蓮月尼の歌です。一切が仏の作用であることに気付きたいものですね。



               


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