「暮らしの中の仏教語」
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末期
 先日長岡の地で、「末期医療に求められるもの」と題して、医療のこころを考える第二回公開シンポジウムが行なわれました。人間一生の末期をどのように過ごすか。現在では七十五%の人が病院で末期を迎えて亡くなるということで、それにともなう末期医療ターミナルケアの問題が浮上してまいりました。今までの病院は「病気を治すところ」でしたが、「死ににゆくところ」ともなったんですね。病苦や老苦に苛まれてのことと思いますが、人生の総まとめを病院でする時代が来たのでしょうか。 ところで末期はマツゴとも読み、死に際のことをいいます。末期の水といえば、人の臨終に際してその唇を湿すことですね。筆先や脱脂綿に水を含ませ、軽く濡らす風習ですが、起源はどこにあるのでしょう。臨終行事の多くはお釈迦さまの入滅時にならっているのですが、これも例外ではありません。お釈迦さまは入滅の直前に「水を飲みたい」とおっしゃいましたが、あたりの水はみな濁っておりました。弟子の阿難さまが困り果てていると、鬼神があらわれ、はるかヒマラヤから清水を運び捧げてくれたということです。 また末期とは末後とも書き、人生の総仕上げとともに遺言を残す時期でもあります。末期の一句といえば臨終で述べる一句ですが、一方では大悟の境地に徹していう句のことをさします。生身の体を持っているうちは、いろんな欲があって悟りきれませんが、人生を卒業すれば、みんな悟って仏の世界へと入ってゆくのかもしれません。いまわのきわで悟るにしても、不断の精進が大切です。 私たちは何時自分の死に直面するかわからないのですから、毎日を末期だと思って悔いのない目送りをすることが、即、上手な生き方をすることにつながるのではないでしょうか。






               


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