まだら まんだらげ
まだらを漢字辞典で引きますと、斑・偏・駁・駮などの字が出てまいります。でもそれぞれの字意をよく見てみると、どうやら私たちのいうまだらの意とは、少し違うような気がしませんか。私たちがこれらの字を、訓でまだらと読む裏には、「まんだらの図絵によく似た模様」という見方があるようなのです。
まんだらは、梵語の曼陀羅からきており、日本では観想のために使う「祭壇に祭った仏・菩薩の境地を絵にしたもの」をさします。この図絵が、画面いっぱいにいろいろな色や形でさまざまな仏・菩薩を描いていることから、種々の色がところどころに入り混っていることを、これに例えて「まんだらのような」=「まだらな」というようになったんだそうです。
まんだらは、仏の姿を借りて、仏教の本質である悟りの境地を絵図にしたもので、金剛界と胎蔵界の両界まんだらがありますね。
ところで、曼陀羅華という聖花があります。これは、仏さまが説法をなさる時や、私たちの前にお出ましになる時、天から降ってくるという華で、これを見ればみんなが悦楽を感じるという美しい華です。一説にアサガオの仲間だとか、白い蓮華のことだというのがありますが、これは間違いですね。天から降ってくる華なのですから、地中から出て地上に顔を出すという性質のものではありません。如来寿量品(にょらいじゅりょうぼん)の仏国土を描写する条に、こんな文章があります。
「……衆生(しゅじょう)の遊楽する処なり、諸天天皷を撃ちて常に諸の伎楽をなし、曼陀羅華を雨ふらして仏及び大衆に散ず。」
曼陀羅は仏の悟りの世界、曼陀羅華は仏国土に咲く華といえましょう。私たちの心の世界にも是非仏国土を建設して、美しい曼陀羅華を咲かせたいものです。
法話目次十二はこちら
サイトトップはこちら