「暮らしの中の仏教語」
日常使う私たちの日本語を学んで見ませんか
安穏・不穏
 
 安穏とは平穏無事であること・解脱していて何の悩み煩いもないことを申します。
 今日「安穏と暮している」などと言うと、自分だけ楽をきめこんでいて、他に対して何も働きかけないことを指すようですが、もちろん本来の使い方ではありませんね。
 寿量品に「我此土安穏」とあるとおり、仏国土は常に安穏ですが、安穏であれば必然的に他者にもこの安穏を味わってもらいたいと思い、他者救済に向かって動き出します。
 仏さま達は、この仏国土で「あんのん」としていることなどないということです。「何を以ってか衆生をして無上道に入り、速かに仏身を成就することを得せしめん」とばかり、常に娑婆に出て救済活動をしておられるのです。
 だから、もし私達が往生しても「仏国土へ行ってみたら、仏さま達は出張してどなたも居られなかった。私も成仏した以上、先輩の仏にならって、娑婆へ救済に出かけることにした」。そんなことになるかもしれません。自利・利他の道を安穏道と言い、人々を安穏に導く善行を安穏業と言うことも申し添えておきたいと存じます。
 ところで平成七年三月二十日に、東京で地下鉄サリン事件が発生しました。その前後に起きた類似事件も入れて、多くの人々が殺傷されたことが大問題になっています。警察はこのサリン事件を追っているうちに、ある宗教団体にぶつかりましたね。この小さな宗教団体が連日のトップ報道記事になり続けているのは、世界を震憾させる不穏な団体だからと申せましょう。安穏の反対が不穏です。宗教は人々に安穏を与えるものでなければなりません。私達は、宗教の仮面をつけて人々に不穏を与える悪魔につけ込まれることなく、本当の宗教、本当の仏教、本当の解脱に向かって精進したいものです。今こそ人々に安穏なる世界を知ってもらう時ではないでしょうか。




               


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