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| 日常使う私たちの日本語を学んで見ませんか | ||
私達は恥ずかしい言動をしてしまった時、「慚愧に堪えない」と言いながら陳謝したりしますね。慚(慙)も愧もはじるという字ですから、意味ははずかしいの二乗かもしれません。仏教語としては「自己に対して恥じ、人に対して恥じ、自ら罪を作らず、他に教えて罪を作らせない」ことがこの慚愧です。
又、無慚といえば「所造の罪に於て自ら観じて恥じなき」ことで、はじしらずを指す語です。仏教教団の中に破戒無慚な僧侶が居ることは困ったことですから、仏教では無漸な者を教団内に残さないという意味で、無残罪をもうけてきました。
無残罪とは、原語パーラージカ(波羅夷)と言われるもので、この大罪を犯すと教団を追放されました。即ち、
@人殺しをする(殺生)
A盗みをする(偸盗)
B婦女と淫れる(邪姪)
Cまだ悟っていないのに悟ったと言い触らす(大妄語)がそれです。
現今、無慚と無残が同じ意味に用いられていますが、慚愧を知らない無慚な者の引き起こす罪が無残罪であることから、同化してしまったものでしょう。「無慚(残)な死をとげた」「夢が無慚(残)についえた」等と、無慈悲で非道いさまの形容に使われておりますね。
ひるがえって、私達は絶対にこのような無慚な状態であってはなりません。慚愧に堪えないことなど、はじめからしないことです。
人間が他の動物と違う点の一つは、この慚愧を知る・恥を知るということです。はじしらずな人間の仲間に入ってはいけません。最近、六法全書を片手に、法をくぐりぬける研究をする輩が増えました。法はごまかせても人間の良心はごまかせません。人間らしい言動、いやそれ以上の仏のような言動をしてゆきたいものです。
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