心の病をとともに生活している私達の本当の心のうちです。
もしあの時、夫の転勤がなかったら…
精神病がこの世なら消える時代がこないかなあ…
大学卒業後入った会社で直面したギャップ
遅刻と人慣れが私の課題
「4年寝太郎」で卒業した夜間大学
誰かが追いかけてくる!恐怖に逃げまどう私
もしあの時、夫の転勤がなかったら…
私が発病したのは28歳。というよりも、私の様子がおかしいからと両親に病院につれて行かれたのが28歳のときでした。
精神科では、私の病気に気付くのが1年遅かった、もう完治は出来ないでしょうと医師に言われました。
ちょうど結婚適齢期だった妹は「あなたが姉でいる限り私は結婚できない」と泣きました。
私がなぜこの病気になったのか、医師は、東京育ちだった私が、結婚後全く環境の違う関西に行き、そこでの生活が合わなかったからだと言いました.
東京から私達が移り住んだ家は、家数50戸ほどの古い歴史を持つ村にあり、乳飲み子と私、それに主人の3人の生活が始まりました。
バス停から歩いて30分もかかる田舎のこと、土地の人々には畑つきの100坪ほどの借家に落ち着いた我々親子のことが最大の興味の対象でも、生活習慣も違えば、言葉も違う。朝5時に起きて9時には寝てしまう人達と。宵っ張りの私とでは合うはずがありません。
家に隣接した畑も、それまで畑仕事などしたことのない私は放りっぱなしで、たちまち畑は雑草でボーボーになりました。それが、近所の主婦たちには主婦失格と移ったのでしょう。
朝、主人を送り出した後、9時頃庭で布団を干していると、隣の人がわざわざのぞきに来ます。「おはようございます」と挨拶すると、「挨拶だけは一人前にできるんだから」と近所の人に聞こえよがしに言います。
裏の人が妙に親切にしてくれるなと思っていると、化粧品を売りつけられました。そんなことが続くうちに、近所の人達が家の前で話をしているだけで、私の噂話をしているんだと思い込み、外へ出られなくなってしまいました。
その頃2人目の出産を控え、お姑さんが手伝いに来てくれました。誰にも人当たりのいい彼女は、長男を連れて近所に出かけては、あがりこんで仲良く話してきます。
私にもよくしてくれたお姑さんだったにもかかわらず、電話をしていると、近所の人に私のことを聞いているんだと思いこんだり、しまいにはテレビに見張られてると言い出すに至り、東京の私の両親もあわてて飛んできました。
そんな中、主人が再び東京勤務となり、場所が変わればとみんな期待したのですが、結局は好転することなく、私だけ両親の家に戻り、病院通いが始まりました。ところが、私自身に精神病という認識がなかったため、薬を飲まなかったり、逆に不安から一週間分を一度に飲んでしまったりで、病状はますます悪化。
4年にわたる入退院で、疲れ切ってしまった主人とは結局離婚。私の両親は下町の狭さもあり、娘の病気をひたすら隠し、親戚にもひた隠しです。
病状が落ち着いてからは家族のためにもと一人暮らしを始めました。一人の追いつめられた生活の中で、誰も頼りにできない思うようになると、次第に病院にもキチンと通うようになり、今は先生の出してくれる薬をお守りだと思い、みなと工房に通っています。
今では父は亡くなりましたが、母や姉妹は「あなたの入院費で世界旅行が5回もできた」と笑い話にしています。そして、「薬さえ飲み忘れなければ、みんなで楽しく旅行もできるんだから」と言っています。
(1994年10月「コミュニティみなと」第3号収録)
精神病がこの世から消え去る時代がこないかなあ!
17,18歳の頃発病し、その頃は大学へ通いながら治療を受け、就職。9年間仕事に就いたものの、入院期間がトータルで10年と長期にわたったため、再就職ができない。
今や中年になり、嫁なんかもらえない。病気にさえならなかったら、ずっと働いて家庭を持てたかも知れないのに。私の人生は無駄になっている。
入院中出会った人を見るにつけ、精神病になる人は心の優しい人なのかも知れない。でも、精神病はなぜ起きるのか?私にとっては毎日が薬漬けで、入院生活となると心身共に飽きてしまう。
私の病気は分裂だったり、そううつだったり非定型なので、Dr.に確定した病名をつけてもらえない。両親も自己負担で私を何回も入院させ、金欠病になっているだろう。
入退院を4回繰り返し、それに続く通院とで、最近良くなったと両親はほめてくれたが、この病気は一生治らない。どうも文句が重複してしまう。精神病がこの世から消えたり、「自分は病気だ」という者がいない時代はこないかなあ!?
(1994年10月「コミュニティみなと」第3号収録)
>
大学卒業後入った会社で直面したギャップ
1999年11月20日、私は入院しました。
そのいきさつについて少し説明しますと、こういうことです。1983年に大学を卒業し、大手の食品会社に入社したものの、すぐ退社することになってしまったのです。
なぜ退社したかというと、自分の考えていることと、会社の在りようにひどいギャップを感じたのです。そして約2年間というもの、職にもつかずじっと家に閉じこもる生活が続きました。しかし、これではいけないと思い就職活動を行ったものの全て失敗し、仕方なく親戚が経営する会社に入ることになりました。
そこでもいろいろ問題に直面しましたが、周りの人の理解で何とか持ちこたえ、しかし、最後には人間関係に破綻をきたし、ついに入院ということになりました。入院とはいってもわずか2ヶ月間でしたが、最後のほうは地獄にいるようなつらさでした。
そこで、すぐに退院。また、親戚に会社に戻ったのですが、長続きせず、精神科の先生に相談すると、仕事を辞めて完全休養することを言い渡されました。そして芝保健所のデイケアに参加することになりました。そこでみなと工房を紹介されたのです。
今は、まわりの人の温かい目に見守られ、日々の仕事を行っています。
(1995年4月「コミュニティみなと」第5号収録)
遅刻と人慣れが私の課題
私はのぼせ症で、不安症で、のろまなのでそれで仕事はみんな失敗してしまいました。もう一つは遅刻です。時間までに行こうと思っても体が動かず、あせればあせるほど約束の時間に遅れてしまうのです。
また、不安症のため、ある日病院のデイケアで映画を見ることになったときは、無性にこわくて一人でいることができず、スタッフの方にそばについてもらって映画を見たこともありました。
今はおかげさまでそれは治りましたが、まだ人が大勢いるところに行くとポーッとしてしまい、一瞬相手が何の話をしているのか分からなくなるのです。そのため、人にも場所にも慣れるのに時間がかかります。
今はみなと工房のお世話になりながら、遅刻と人に慣れない点を治そうと思っているのですが、なかなか思うようにいきません。でも、最近とても嬉しかったのは、作業で頑張ったと指導員の高橋さんにほめられたことでした。今まで私は何をするにも遅いと思っていましたから…。これからも頑張りたいと思います。
(1995年4月「コミュニティみなと」第5号収録
「4年寝太郎」で卒業した夜間大学
あれはちょうど17歳の春のことだった。大学受験に際して、理工系か文化系か迷い、当時信頼していた数学の先生に相談したところ「そういう悩みは人生に一度か二度はあるものだ。そういうときは一番困難な道を選びなさい。」と言われた。
今思うと、なるほどなと思うが、当時は「しんどいな。俺にできるかな」という思いだけがあった。それでも理工系の薬科大学に何とか補欠で入ることができた。しかし、これが間違いのもと!入学してから突然遊び狂いが始まり、クラブ活動を7年間のうちで3つもやってしまい、それも長くて1年しか持たないありさま。だから、せっかくできた友達とも別れ別れ。
あの時突然遊び始めたのは、今思うと病気の発現だった。中学、高校と男子校だったのが、大学へ入ると突然女の子の出現。青春といえばカレーライスに福神漬のごとく、人は恋するものであり、私も青春の名に恥じずに恋をしたものの、病気で失恋。そのショックは今でも心の底に残っている。そのため今だに独身でいる。
今思うと、最初に”それ”が起きたのは12歳の頃だった。神経症といわれ、6年生の時には卒業間近にインフルエンザにかかり、いつまでも微熱が続いたという。
さて、薬科大学では留年を繰り返し、7年間在籍した後にとうとう中途退学。その後は昼間働いて夜間学校へ通おうと思い、家から歩いて通える大学の文化系夜間学部に籍を置いた。結果は、4年間一度も働かず、「3年寝太郎」という落語の上をいく「4年寝太郎」をやってしまった。
毎日6時くらいに家を出て、10時頃に帰宅、夜寝て、朝起き、再び夕方まで寝ている始末で、当時の主治医はいったい何を考えていたのだろう。それでも夜間大学での生活は充実していて、クラスメートに「○○さがすにゃ苦労はいらぬ。図書館へ行けばいい」といわれるくらい図書館にいりびたりで、無事卒業することができた。
それにしても、若い頃には私にもたくさんの夢があったのに、結局は人生の一番いい時代を入退院の繰り返しで、夢をひとつとして育てられず、今だにこのテイラクで残念だ。こんなはずではなかったと、職安の帰り道、半泣きで家まで帰ったこともあった。
(1995年7月「コミュニティーみなと」第6号収録)
誰かが追いかけてくる!恐怖に逃げまどう私
私は外に出ると誰かに追いかけられると言う恐怖に襲われ、本当にこわくてたまりません。早く治りたくて、先生にもお願いしているけれど、なかなか治らず、発病から今年で5年になります。
いまは少しよくなりました。けれど、最初は毎日毎日大きな声で泣いて、家中の人を本当に困らせたそうです。早くよくなってほしいです。
(1995年7月「コミュニティーみなと」第6号収録)
ご意見は
minato@pop06.odn.ne.jp
まで