命ある限り
病んでいく体・・・・
8月の最後の日曜日、スポーツクラブで姉を見つけたので昼食に誘った。
「この前おごってもらったから、今日は僕がおごるよ、大貫のラーメン食べに行こう」
大貫のラーメンは尼崎ではいちばん美味しい、小さい時によく母に連れてきてもらった
記憶が残ってる。
「調子はどうなの」
「最近スポーツクラブ行ったあと2,3日は動けなくなるぐらいしんどいの、前はこんなことなかったのに」
「ぜったいに無理はあかんよ、一週間に1回ぐらいにせな」
「ここのラーメン、美味しいね」
姉と二人での食事はこれが最後になった。
母に聞くと、最近はほとんど疲れて寝ているらしい。
それでも、スポーツクラブが生き甲斐だといって、出かけるらしい。
9月に入り、姉の体調不良が続いた。
母が電話してきた。
「あかん、またお腹が大きくなってきた、便秘も・・・・・・」
「先生はどない言ってるの」
「もう手術はできないし、風邪だけは引かさないようにって」
そんな体でも姉はスポーツクラブへ通い続けた。
誰にも止められなかった、彼女の生き甲斐なのだから・・・・・・・
9月26日、小学校1年の右京の運動会、姉が母と見に来た。
かなりしんどそうな顔をしていた。
母と並んで、右京に声援を送る姉を見て、ふと、これが見納めになるんじゃないか・・・そう思った。
母と娘・・・・いろいろとありすぎた・・・・高校2年から悩み始めて、その後20数年共に悩みぬいた
人生、あげくの果てが末期がん・・・・神様はなんという悪戯をするのだ。
急変
10月に入っていた、3ヶ月の宣言から1年になろうとしていた。
右京の運動会を最後に姉は病院以外外出しなくなっていた。
がん細胞は確実に大きくなり、姉のお腹を埋め尽くそうとしていた。
10月5日(水)自宅へ帰ると妻が「お姉さん、調子悪いみたい、明日でも帰りに実家へよって」
翌6日(木)夜10時に実家へ寄った。
「姉ちゃん、調子悪いって?」母に聞く。
「ちょっとふらふらして様子がおかしいのよ、頭も痛いって、あんたちょっと見てきて」
母と姉の部屋へ行く。
「知子、敦也が来てくれたよ」
姉が床から起き上がり、うつろな目で私と視線を合わせる。
私はこれはだめだ、素人目でも瞬時にわかった。
姉の顔はどす黒く、まるで死人の顔つきそのものだった。
「しんどいんか?どこが痛い?意識は大丈夫?」
姉はしゃべることができず、ただ下を向いてうなずくだけだった。
「病院や、病院に連れて行かないとえらいことになる、すぐに電話して」
母は躊躇している、父に相談に行った。
「敦也がすぐに病院に連れて行けって言うんやけど・・・」何かやり取りをしている。
姉はうつむいたまま、動かない。
母が帰ってきた。
「あんた、今日はもう遅いし、明日は担当の先生も休みやし、週明けの月曜でも連れて行くから・・・」
「何を言うてるんや!このままほっといたら、死んでしまうぞ!!」
私は本人を目の前にして、叫んでいた。
母はびっくりした表情で、病院へ電話をした。
夜の病院は引き継ぎ等うまくいってないので、病状やいつ手術したのか等聞いてくる。
やっと事情がわかってもらえたので、連れてきてくださいということになった。
ただし、産婦人科のベッドしか空きがないとのことだった。
そんなことはどうでもよかった。急がないと・・・・
「救急車を呼んだほうがいい」
母は躊躇している、もう押し問答している時間がなかった・・・・・
私の車で行くことになった。
私は急いで自宅へ車を取りに帰り、妻に事情をつげて、家を飛び出した。
姉はまだ歩くことができた。
姉と母を乗せ、県立A病院へ急いだ。病院までは15分。
正面入り口は当然閉まっており、夜間入り口は裏手、50メートルは歩かないといけなかった。
私は駐車場に車を入れに行った。
夜間入り口のかなり手前で、母と姉が肩を組んで立ち止まっていた。
姉がもう歩ける状態ではなかった。
「ちょっと待って、看護婦呼んでくる」私は走った。
病棟へ内線して事情を話して、看護婦二人が車イスを持って駆けつけた。
「もう大丈夫やで・・・・」
姉はこくりとうなずくだけだった。
処置が始まった、私とは母病棟の廊下で待つしかなかった。
夜間の担当女医が出てきた。
「小山さん、説明しますので入ってください」
「いつからおかしくなったのですか、もっと早く連れてきていただかないと、
血圧は今は安定してきましたが、運ばれたときは危険な状態でした。
すでに敗血症ショックの状態です、血液を通して細菌が体中にばらまかれて
多臓器不全をおこす可能性があります。できる限りの手は尽くします」
がんの影響で免疫力が弱まっているところへ、何らかの要因で血管に細菌が入ったのだった。
姉は産婦人科病棟の個室に入った。
ここしか空いてなかった、周りはすべて、生命の誕生を待つお母さんばかり。
なぜ、こんなところへ・・・・・・
姉の部屋へ行こうとしたら、若い看護婦に止められた。
「ここは産婦人科なので、規則でひとりづつしか入れません」
「ばかなことをいうな、病状がわからないのか」
無視して母と病室へ入った。
姉は寝ていた、もう少し早く気づくべきだった。
このまま誰か付き添いしたかったので、看護婦へたずねた。
「ちょっと、お待ちください」頼りない看護婦だ。。
「今日のところは、お帰りください、また明日いらしてください」
母と顔を見合わせたが、先生の指示だろうと思い
「よろしくお願いします」と言って家に帰ることにした。
しかし、これがとんでもない若い新米看護婦の勘違いだった・・・・・・
敗血症
とにかく帰ってくださいと言われたので、私と母は姉の容態が安定したと解釈するしかなかった。
もう午前1時を回っていた、帰りの車の中で私はほんとに帰っていいのだろうかと、自問自答していた。
「敗血症」ってなんだろう?あまり聞いたことがない。
母は明日は私に会社へ行ってくれたらいい、帰りに病院へ寄るように言って別れた。
自宅に帰って、ネットで検索してみた、「敗血症」クリック。
内容を見て私は驚愕した。
「敗血症とは血液を介して全身に細菌がばらまかれる、ときにショック状態となり死に至る、敗血症
ショックを起こした場合予後は極めて悪く、致死率は20〜90%、平均40%」
やっぱり姉は危ない・・・・
ここであの看護婦のことを思い起こしてみた、対応がはじめからとんちんかんだった。
患者の様子も省みず、規則どおりの対応しかしていなかった・・・・
ひょっとして、先生に聞くこともできず、自分で判断したんじゃないか・・・・
明日は会社へ行ってる場合じゃない、姉が危ない・・・・・
翌朝、母へ電話して、会社を休んで、姉のところへ行くと伝えた。
「あんた、そうしてくれたら助かるわ、知子も喜ぶ」
9時に病院へ行った、姉の病室が変更になってた。
姉は思ったより元気そうだった。
「どう、具合は?よう寝れた?」
「うんよく寝たけど、少し頭が痛い」
「トイレにいきたいの」
「おしっこなら、管が入ってるから、そのまましたらええんやで、大きいほうか」
看護婦を呼んだ、今度はしっかりした看護婦だった。
「知子さん、歩くと疲れるから、トイレ持ってきますね」
ポータブルトイレを持ってきた。
私と母は病室を出た。
ナースステーションから、昨日の担当医がいる外来へ行くように言われた。
「先生、昨日はありがとうございました、その後どうでしょうか」母が切り出した。
すると、担当の女医から思いもしないことを言われた。
「昨日はどうして帰られたのですか、一時的に安定はしましたが、危険な状態にはかわりないのですよ」
私と母は唖然とした。
「看護婦さんに帰ってくださいと、言われたんですよ」
「そんなことは私は指示してません、何かの間違いでは・・・」
これ以上押し問答してしょうがない、大切なのはこれからどうするかだ。
「もうその件はいいです、姉はどうなんですか」私はさえぎった。
「やはり敗血症を起こしてまして、予後は悪いと思ってください、今点滴で一時的に血圧を上げてますが
全身に細菌が回るので、予断は許さない状況です、今夜が山と考えてください、ご家族、ご親戚には
今のうちに連絡を取ってください、できる限りの治療はさせていただきます」
「よろしくお願いします」
覚悟はしていたが、母も私も全身の力が抜けていった・・・・
父、兄家族、私の家族、叔母に午後から来るように連絡をした。
母はいったん、実家へ帰ることになった。
病室へ帰った、姉は横になっていたが、起きていた。
姉と二人きりになった、精一杯話をしようと思った・・・でも・・でも・・・・言葉が出てこなかった・・・・
終止符
「調子はどうや」
「頭・・が痛い・・・・頭・・・が・・痛い・・・・・」
姉はこの言葉を何度も繰り返した。
「何か欲しいものはある?」
「喉が・・・か・わ・い・た・・・」
「何か買ってこようか?何がいい、ジュース系、炭酸系?」
「キ・・リ・ン・レ・モ・ンが飲・・みたい」
姉の言葉がだんだんと途切れるようになってきた。
目もぼんやりしている、私の目と焦点が合わなくなってきた。
地下の売店へ走って、キリンレモンを買う。
「はい買ってきたよ、飲めるか?」
「・・・・・」
もう起き上がれる体ではなかった・・・・・
私はスプーンにキリンレモンをすくって、姉の口元へはこんだ。
2度、3度・・・・・
姉がもういいという仕草をした。
「お・・い・・しい・・・・」
姉は満足そうな顔をしていたが、少しずつ意識が薄れていく感じだった。
「これ指何本かわかるか?」
私はVサインをした。
「えー・・・・・・・2本かな・・・・・」
私はなんとか姉に刺激を与えようと考えていた。
「そうそう、足の裏マッサージしてあげるわ、この前ヨガで習ったやつ」
姉の右足を少し持ち上げて、不器用な手で足の裏を指で押していった。
「気持ちいいわ・・・・・・」
次に左足、姉の足はいつのまにか、細い細い足になっていた。
ごめんね、もっと早く気づいていれば・・・・
私は指先に力を込めた・・・
すると姉はしっかりとした口調で私にしゃべった。
「敦也・・・・今までいろいろとありがとう・・・・・」
「・・・・・・・・・」
私は言葉を返せなかった・・・・
この時、姉は自分の終止符を覚悟したのだと思った。
私はただ、うつむくしかなかった・・・・
姉の最期の言葉だった・・・・
命ある限り・・・
午後から、母、兄夫婦、叔母がかけつけた。
やっぱり父は来なかった・・・・・・
そのころ姉はもうほとんど話せない状態で、問いかけにうなずくのがやっとだった。
医師が頻繁に姉の様子を診るようになってきた。
「お話したいことがあるので、詰所まできていただけますか」医師が言った。
私、母、兄の3人で詰所へ行った。
「ごらんのとおり、知子さんの様子が変わってきてるのは、家族の皆さんもお気づきですね、
容態はきわめて悪い状況になってます、やはり、今夜が山だと思います、ただ、目を離した隙に
逝ってしまわれるケースもありますので、注意して看護されてください。それと万一の場合の延命措置
ですが、どうさせていただきましょうか」
「延命措置といいますと・・・・」
「まず気管切開です、これで本人の呼吸は楽になりますが・・・・・、あと心停止の際の心臓マッサージ、
電気ショック、強心剤投与等です」
「それをすることによって、どのくらい延命できるのですか・・・」
「15分〜30分です・・・・」
母と顔を見合わせた・・・・もう語らずとも意見は一致していた。
「もう娘の苦しむ姿はみたくありません、今まで散々悩んで苦労してきた娘なんです・・・・・
やすらかに眠らせてやってください・・・・・」母は涙を流しながら医師に告げた。
「お母さんのお気持ちよくわかりました、最期まで精一杯治療させていただきます」
夕方になり、私の妻と子供3人、兄夫婦の子供二人も駆けつけた。
「ともちゃん、がんばってね」
何もわからない三男右京が声をかける、もう姉はうなずくこともできない状態だった。
午後7時になって、姉の胃から溜まってる水?を抜くことになった。
腸閉塞の状態だった。
チューブを通して、容器一杯にどす黒い液が出た。
姉は意識もうろうとしていたが、少しは楽になったように見えた。
午後8時、妻が子供を連れて帰ることになった。
姉はすでに昏睡状態に入っていた。
「お姉さん、がんばってね、お母さんも、右京もみんな応援してるからね・・・」
妻が泣きながら声をかけた、みんなもらい泣きしていた。
8時30分、姉は肩で息をするようになった。
医師がかけつけて様子を診る、もう手の施しようのない状態だった。
この時私はきわめて冷静に状況を見守っていた。
私の心の中では、午前中に姉と話したときにすでに別れは終わっていた。
「敦也・・・いままでありがとう」私にはこれがすべてだった。
午後9時が過ぎ、姉の呼吸が今にも止まりそうになってきた。
「そばへ寄ってあげてください」看護婦が言った。
「知子、知子!!・・・・・・」
皆が声をかける、母は手を握り締めてただ祈っている・・・・
次の瞬間だった、呼吸が止まった・・・・・
その時、姉は閉じていた瞳を大きく開けて、一瞬天井をみつめた・・・・・・
医師が聴診器、脈拍、瞳孔をしらべる。
「午後9時8分、ご臨終です・・・・・」
「あんた、こんなにはよう逝って、どうすんのよ、親より早く逝ってどうするの・・・・・・」
母が泣き崩れた・・・・・
42歳あまりに短すぎる生涯だった。
姉の体を清め、化粧をする準備に入った。
いったん皆、外へでた。
私と姉は二人きりになった。
私は姉の額にキスをした・・・・
「よくがんばったねえ、ほんとによくがんばった・・・・・・」
今までこらえてきた涙があふれて、止まらなかった・・・・
それぞれの思い・・・
父へは母が連絡した。
声の出ない父は「・・・・・わかった」と独特のこえで答えた・・・・
実家で葬儀をすることになったので、父と妻、私の長男、次男は家の片付けに入っていた。
姉の帰宅の用意ができたのはもう10時30分だった。
静かに病室を出る、途中公衆電話で女性が楽しそうに電話をしていた。
でも姉の姿をみて、顔が引きつってしまった。
病院を出る場所は地下室だった。
おそらく、普段は使うことのない専用の出口なのだろう。
担当医師、看護婦が丁寧に頭を下げて、お別れをした。
葬儀屋の寝台車で姉は実家へ戻った。
家は几帳面な父が着々と葬儀の準備にとりかかり、きれいに整理整頓されていた。
姉は座敷中央へ運ばれた。
長男にお別れをしなさいと、言うと彼は一目散に玄関を出て行った。
長男は一番姉に可愛がってもらった、だから彼には信じられないことだったと思う。
しばらくして帰ってきた長男の目は真っ赤だった・・・
葬儀屋を呼んで、あまりにてきぱきと事をすすめる父に母が切れた。
「病院に一度も来ないで、なんなのよ・・・・・・」母は泣いていた。
父はばつがわるそうに、ただ、母の横で立ったままだった。
母は一着の着物を持ってきて、葬儀屋に頼んだ。
「これを着せてやってください・・・」
姉が成人式に着た振袖だった。(姉の想い出で姉が着ている着物)
嫁ぐこともなく、晴れ姿を見せることのなかった姉への母の精一杯の気持ちだった。
通夜には姉の高校時代の友人男女8名が来てくれて、夜遅くまで姉の昔話で盛り上げてくれた。
姉にはこれだけの友人がいたんだ、なのにどうして心を閉ざしたのか・・・・
葬儀は母の意向もあり、3加持で行った。
盛大で立派な葬式となった。
最後のお別れとなった、私も花を姉の胸元へ捧げる、涙があふれて止まらない。
その時、父を見た、父の目に涙があった。
父が泣くのを見たのははじめてだった。
姉をいちばん可愛がっていたのはおそらく父だったかもしれない・・・・
父と娘、言葉ではお互い敵対していても、本心はお互いを求めていたと思う。
葬儀はとどこおりなく終了した。
PART3完