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正道を受行する 梯實圓(勧学) |
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聖徳太子は、「上宮聖徳法王帝説」等によりますと推古天皇の三十年(六二二)二月二十二日、世を去られたといわれています。四十九歳(数え年)でした。太子の撰述といわれる『維摩経義疏』に次のような言葉があります。 仏はことさら威を建て伏せんと欲したまうことなし。その正道を受行せしめたまう。ただ正を立つれば、すなわち諸の邪は自然にザイ伏す。 仏陀は邪悪なものを打ち砕き、降伏させるために破邪の剣を振るうといった威力を行使することを望まれない。みんなが安らかになれるような、正しい道をご自分も歩まれ、人々にも実践するように勧められるだけです。正しい道がはっきりと示されるならば、さまざまな邪悪な思想と行動はおのずから崩壊していくものであるといわれるのです。 太子のこの言葉は、十四歳の時、正義を振りかざした蘇我馬子と連合して、物部一族を滅ぼし、敵味方に多くの死傷者をだした戦争の苦い経験が秘められているように思えてなりません。正義が行われなければ社会の秩序は保たれませんし、秩序が乱れたならば人々の安全な生活を保障することは出来ません。正義は立てられなければなりません。しかし、武力をもって正義を行使することが、どんなに深い傷跡を残すかということを知り尽くしていたから、太子は、「和らかなるをもって貴しとなす」ではじまる「憲法十七条」を定めて、自ら正道を受行しようとされたのでしょう。 大乗 02/2月号 |