|
ご祈祷無用 梯實圓(勧学)大乗03/1月号 |
|
法然聖人は『浄土宗略抄』のなかで、「いのるによりても病もやみ、いのちも延ることあれば、たれかは一人として病み死ぬる人あらん」と仰せられています。仏にいのることによって、病気もなおり、寿命ものびるのならば、誰一人として病むものもいなければ、死ぬ人もいないというのです。仏教といえば、公には鎮護国家の祈祷を行い、個人的には現世の安穏と死者の後生安楽を祈る宗教だという常識がまかり通っていた時代に、「ご祈祷無用」とズバリ言ってのけたところに法然聖人の本領がありました。 しかしそれは病みの苦しみに悶え、死の不安に怯える人々の切実な願いを、冷たく突き放した言葉ではありません。人間である限り、決して避けることも、逃れることもできない病と死の現実をしっかりと見すえて、それを超えていく道を本気で聞くことを切に勧められているのです。 苦難を超えていくのは奇跡ではありません。苦難に耐える力と、苦難の中に意味を見出して転換していける智慧がなければならないのです。その智慧と力を与えて救おうと願われているのが阿弥陀仏の本願なのです。本願を虚心に聞くものには、私が祈るよりも前に、私のまことの安らぎを願われている如来の大悲に気づくはずです。祈り求めなければ護らないような如来ではありません。祈らずとも護り導いて下さるから、私は生死も老病も総て如来のおはからいにまかせて、大悲の護念を感謝しつつ生きるのです。 |