| 妙好人・心に響くことば 「六連島のお軽」大乗02/10月号 |
|
重荷せおうて 山坂すれど ご恩おもえば 苦にならず 六連島は下関(山口県)沖合にある周囲5キロメートルほどの小島だ。お軽同行は江戸時代の終わり頃、この島の農家で生まれた。姉が一人あったが、まだ幼いうちになくなり、以来一人娘として大切に育てられ、十九歳の時に村の実直な青年、幸七を婿養子に迎えた。 二人は島の高台にある畑で野菜を育て、それを島の外で売って生計を当てていた。裕福ではないけれど、夫婦仲もよく、子どもにも恵まれた平穏な暮らしだった。 が、夫の幸七がしばしば家を空けるようになる。北九州のある町に愛人をつくったのだ。 夫の裏切りを知って、お軽さんは不幸のどん底に突き落とされる。激しい嫉妬に身を焼かれる毎日。憎しみ、苦しみのあまり、いっそ夫と愛人を殺し、自分も死んでしまおうかとまで思い詰めることもあった。一方で夫が愛人と別れて戻ってくるのではないかと期待する気持ちも残っている。諦めきれず、憎しみきれない。そんな千々に乱れる心をもてあまして悩みに悩んだあげく、お軽さんは村の寺、西教寺に通い始める。仏法を聞いてなんとか心を落ち着け、嫉妬や憎悪の苦しみから逃れようとしたのだ。けれども、なかなか安らぎは得られない。心が落ち着くこともない。絶望したお軽さんは一度は自殺を図ったことがあると言われている。 悩みながらの聞法は続く。そのうちに自分を裏切った幸七や夫を奪った愛人のことよりも、人を憎み呪い、怨み妬む自分自身のことが心配になってくる。罪悪深重の凡夫という言葉が切実に胸に迫ってくる。こんな私でもすくわれるのだろうか・・・。 しかし、なかなか如来の慈悲を素直に受け取ることはできなかった。「お慈悲が聞こえてきません」 悲痛な叫びを放ちながらもお軽さんは聞法を続けた。 どうで他力になれぬ身は 自力さらばと暇をやり わしが胸とは手たたきで たった一声聞いてみりゃ この一声聞いてみりゃ この一声が千人力 四の五の云うたは昔のことよ じゃとて地獄はおそろしや なんにも云わぬがこっちのねうち そのまま来いよのお勅命 いかなるおかるも頭がさがる 連れて行こうぞ 連れられましょうぞと 往生は投げた 投げた お念仏の生活が始まった。お軽さん自身の言葉で言えば、「六字のうちにすむ」毎日だ。やがて、夫の幸七が愛人と別れ、お軽さんのもとに戻ってきた。夫も仏法を聞き始め、夫婦連れだって寺に参り、ほどなくお念仏を喜ぶようになった。 己が妻に満足せず、遊女に交わり、他の妻に交わる。 これは破滅への門である。(スッタニパータ) 釈尊もこんなふうに邪淫を戒められている。幸七も時がたつにつれ、不倫を楽しむよりも妻と愛人の間で感情や欲望をもてあまし、苦しむようになっていたのだろう。妻の聞法に励む姿、お念仏をよろこぶ姿が、幸七に自分が生きている地獄に目を向けさせ、仏法へと導いたのだ。のちに二人は互いを如来の慈悲に遇わせてもらう導き手となった善知識だと思っていると述べている。 お念仏をよろこぶ人は磁石にくっついた針が近くの針を引き寄せ、数珠繋ぎになるようにまわりの人をお念仏に引き寄せる、とある和上はおっしゃった。お軽さん夫婦はその格好の例だろう。妙好人の言行に多くの人が魅力を感じ、関心を寄せるのも、この磁力がはたらいているからに違いない。 重荷せおうて 山坂すれど ご恩おもえば 苦にならず この歌を最初に聞いた時、思わず、ああとため息にも似た声を漏らしていた。ご恩を思うからと言って、荷の重さが消えるわけでも軽減されるわけでもない。荷の重さは変わらない。重荷は重荷のままで、けれど、それまで苦にしていたものが苦にならなくなる。なんと素晴らしいことだろう。これが仏教を体現することなのか・・・。 苦にしない、と心に決めていても、重荷を背負って山坂する間に体を押し潰すような重みに耐えきれなくなり、知らず知らずに苦にするようになる。気力、体力には限界がある。限界を越えれば、苦に押し潰されて歩みを止めていしまう。ご恩を思えば、苦にならない、とお軽さんは言い切っている。お軽さんだって超人的な気力体力の持ち主ではないはずだ。如来のお慈悲が深く深く至り届いた結果、苦にするかしないかが、苦になるかならないか、に捉え直され、重みと苦に結びつきが絶たれ、苦が不能化されている。 お念仏は人間にこんな事を可能にさせるのか。人生も重荷を背負って山坂するのと同じだ。如来の呼び声を聞きながら、軽やかに、そして力強く、充実した生を生きていきたい。そう心から思った。 川西蘭 |