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その四 |
| 権田栗毛 (ごんたくりげ) |
その昔、榛名山のふもとにある、上野国(こうずけのくに)権田村(現在の群馬県倉渕村権田)は名馬の産地として有名でした。 熊谷次郎直実もそのうわさを聞きつけて、良い馬を求めて家臣を権田村に派遣しました。 なんといっても戦で手柄を立てるためにも良い馬は欠かせません。 家臣は村中を巡って、大きくてたくましく、毛並みも見事な栗毛の馬を見つけて、手に入れてきたのです。 直実は一目見てこの馬をたいそう気に入り、「権田栗毛」と名づけて片時も離しませんでした。 その後、直実は戦のたびに権田栗毛にまたがって戦場を駆け巡り、たくさんの手柄をたてたのです。 そして、一の谷の戦いでは、平敦盛を討ち取るという大変な手柄を立てました。 しかし、いいことばかりではありませんでした、この戦いで権田栗毛は深い傷を負ってしまったのです。 死に至るほどの傷ではなかったものの、もう戦には出られません。直実はやさしく手当てをし、傷口を自分の母衣(ほろ)で巻いた後、たてがみをさすりながら、 「長い間よく戦ってくれた、このことは決して忘れない、余生は故郷で達者に暮らせよ。」 と言い、故郷に帰したのです。 権田栗毛が帰ってみると、「名馬を出すと三代で家が絶える」ということわざのとおり、生まれ育った家はもうありませんでした。 権田栗毛は嘆き悲しみ、屋敷跡を激しくいななきながら三回も回りました。 そのとき、傷口を巻いていた母衣が落ち、中から一寸八分の金の観音像が出てきたそうです。 それから権田栗毛は主人の直実のいる熊谷を目指したのですが、心労と疲れのため傷はますます悪化し、故郷の村からいくらも行かないところで倒れ、力尽きてしまいました。 しかし、村人たちは権田栗毛のことを知っており、そのなきがらを手厚く葬り、そこに馬頭観音堂を建てて冥福を祈ったということです。
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