2004.3.20  第5回 大内討伐(1)〜川俣城(福島県川俣町) (1) (2)
 
1584(天正12)年伊達輝宗は隠居し、正宗に家督を譲りました。時に正宗18歳。この折、以前伊達家臣であり芦名方についていた大内
定綱が恭順を申し出たが、正宗に罵倒され再び芦名方に寝返った。これを討伐するために正宗は1585(天正13)年討伐の軍を催した。
正宗は一旦会津を目指し大内定綱の目を逸らした後、兵を杉目城(福島城)に入れ、陣を川俣城へ進め大内氏の支城や砦を次々と攻
略し小手森城、そして居城である小浜城を落とすたものの大内定綱は取り逃がしました。杉目城(福島城)は「第3回 初陣(1)〜八幡
神社(梁川町)・大森城(福島市)
」で行っているので、今回は川俣城を訪れることにしました。

◎川俣城(福島県川俣町)
川俣は東に相馬氏、南に大内氏の所領と接する伊達家の最南端の領地であった。川俣城(河股城)は待ちの中心地の南にある舘ノ山に伊達家臣桜田右兵衛尉資親が1584(天正12)年に築いた山城です。国道114号線バイパスのトンネル東口と、川俣町体育館脇から本丸・二の丸跡へと登っていくことができます。本丸跡は雑草が生い茂るばかりで当時をしのばせるものはありません。二の丸跡は見晴らし「桜田氏居城の地」の石碑が建っているようですが、今回は本丸跡から引き返し戻りました。
=>参照「川俣町」の「川俣町の山〜舘ノ山

◎JR長町駅〜福島駅〜川俣町

川俣町は福島市の南東にあり、昔は東北本線松川駅から川俣までの川俣線が1926年開業し、戦時中一時休止、以後復活し1972年
に廃止されています。現在は福島駅前から福島交通バスとJRバスを、松川駅からJRバスを利用することができます。

6時起床。いつものコンビニでいつものように朝飯を調達し、長町駅へ。いつものようにホームの待合室で手早く朝食を済ませ黒磯行
き7:09発の電車で福島へ。福島駅8:27着(運賃1260円)。駅を出ると駅ビルのリニュアールオープンのセレモニーの準備が進んでい
ました。それを横目に眺めながら築館経由川俣行きの福島交通のバスに乗り込みバスは8:45出発。国道4号線に出るとバスは一旦
北へ向い競馬場を過ぎて、右折し国道115号を一路東へ、霊山町に入り、そこから国道349号を南下し月館町へ。しばらくそのまま
南下し川俣町へ入ってすぐの「下の町」停留所に9:42着(運賃800円)。ここでとりあえず下車。「熊野神社」や「梅松寺」に「安養寺阿
弥陀堂」などバス停近くを散策し、さらに1キロほど南へ。「御霊神社」と曹洞宗小島山「興隆寺」など回りましたが、いづれも立派な建
築物でこの歴史の古さを感させられます。この後は距離は1.5キロほどですが新関バス停から頭陀寺前バス停までバスを利用(運
賃180円)。

◎頭陀寺
バス停傍には「頭陀寺」の看板が出ていたのでそちらの方の坂道を登っていくとこれまた立派な曹洞宗鶏足山「頭陀寺」が建ってい
ました。「頭陀寺」は1449(天宝元)年栽松青牛和尚によって開山された禅堂で開山の檀那として檀那として伊達稙宗の名も残ってい
るそうです。入口の山門は1747(延享4)年に建立されたもので、これをくぐり石段を登るとその左手に回転輪蔵を納めた建物がありま
す。ここに納められている輪蔵は高さ4.8m経4.1mほどの総ケヤキ造りで八角形八面に設けられた書架には一切経7,334巻が納めら
れているそうです。

福島交通バス 下の町 熊野神社 梅松寺 安養寺阿弥陀堂
御霊神社 興隆寺 頭陀寺山門 頭陀寺輪蔵 頭陀寺

◎河俣城跡(城ノ倉)
「頭陀寺」より南へ進むと「河俣城(城ノ倉)」と書かれた標柱が目にとまりました。何かあるのかと思い、そこから上に登ってみました
が今は墓地になっており特に当時を偲ばせる跡は残っていませんでした。こちらの城の築城は南北朝にさかのぼり以来250年間続
いたそうなので正宗の時代にはすでに廃城となっていたのでしょうか?

機織神社
南に下っていくと相馬へと繋がっている県道12号に出てこれを西へ。JRバスの川俣車庫前から北の山側に入った場所にある「諏訪
神社」に立ち寄り、県道に戻り国道349号との交差点角にある福島交通川俣営業所を過ぎ交差点を越えると右手(北側)に「機織神
社」があります。崇峻天皇の妃であった小手姫が行方不明の息子・蜂子皇子を探し求めて東北各地を回り、蚕を飼い絹を織ることを
教えたという伝説が川俣町や近辺の月舘町・飯野町に残っているそうです。なお、町中心部の中央公園には小手姫の立像が立って
いるそうです。

河俣城跡 JRバス川俣車庫 諏訪神社 福島交通川俣営業所 機織神社

2004.3.20  第5回 大内討伐(1)〜川俣城(福島県川俣町) (1) (2)