空 白 の 頁

                                           (03/09/16 up)





 あれはいつのことだったろう。遠い夏の日のこと。もう、夏休みも終わりだっ たかもしれない。ボクは、なんとなく家にいるのが億劫になって、行く当てもな く家を出た。外は眩しいほどの光に溢れていた。その頃は舗装されていない家の 裏の道が照り返しで直視できないほどだった。
 それでも、どこか光の切っ先が丸まっているような感じがあった。理由など 分からないけれど、日差しがあんなに強いのに、夏の終わりを感じさせる。不思 議だ。
 ボクは、たった一人で夏の終わりの日々を過ごすのにとっくに飽き飽きしてい た。でも、自分ではどうすることもできない。友達は、みんな家に篭って宿題を 親とかに手伝ってもらっている。だから、誰もボクの相手をしてくれない。
 ボクはというと、宿題は夏休みに入る前に片付けてしまう。別に勉強が好きだ からではない。無性に心配性なのだ。もし、夏休みになって病気になって、何も できなくなったらどうしよう。親達は田圃の世話やら畑の見回りやら、仕事に家 事に近所付き合いにと、やたらと忙しそうだし。
 宿題なんて、正解を書かなくたって構わないと思うと、これほど楽なものはな い。とにかく空白を埋めればいいんだ。空白を埋める作業はボクの得意中の得意 なんだ。いや、空白があるなんて許せないんだ。
 だって、毎日が空白なんだもの。
 訳の分からない寂しさがあって、胸が痛くてならない。でも、ボクにはその理 由が分からなかった。友達がいないから。いないことはないけれど、確かにボク が心を開く相手など一人だっていない。
 それっていうのも、ボクが疑り深いからだと思っている。ボクは、ボクのよう な奴に誰も好き好んで付き合ってくれるわけがないと感じてきた。ずっと。ずっ とだよ。ずっと昔の、記憶など何もない頃からずっと感じてきたんだ。
 保育所に日中、預けられていた頃、病気で入院して、退院してきたら、保育所 で書くことが決められているボクの日記帳が、その間、ずっと真っ白だった。ボ クは、保育所では、鼻血をよく流したことと、初恋の相手のミナちゃんのことと、 日記の空白の続く頁のことしか覚えていない。
 で、何故なのか、自分でも分からないけれど、ボクは、みんなに置いてきぼり を食らったような気がして、とにかくその空白の頁を急いで埋めないといけない と思い込んでしまった。そうしないとみんなに追いつけないし、友達にもなれな いし、そのうちお喋りの相手にもされなくなると感じたんだ。
 ボクは、その日記帳の30日ほどの空白を、毎日、家で埋めようとしていた。 自分が家にいたとして、保育所にちゃんとその間も通っていたとして、どんな風 に過ごしたのかを、懸命に思い出そうとしていたんだ。あるはずのない思い出を 引っ張り出すのって、なかなか大変なんだね。
 ボクは、段々、迷路にはまり込んでしまったみたいだった。一日、二日、三日 くらいは、なんとか埋まったんだけど、そのあとが続かない。どうしても何も浮 かばない。何をしたのか、誰に会ったのか、まるで思い出せなかったんだ。
 もちろん、誰に聞くわけにもいかない。誰も教えてくれるはずもない。空白は 埋められない。ボクは、そう、決めてしまった。それならそれでいいじゃないか とも思った。
 ところが、のっぺらぼうの日記が怖くって、自分の気持ちに反して、ボクの中 の何かが、書け、書けって迫るんだ。書かないと、お前は、泥沼に落ちてくぞ、 ふかーい、ふかーい井戸の中をどこまでも落ちてくぞ、そんなところに落ちたら、 誰も助けてくれないどころか、お前がそんなところで足掻いていることを誰も気 付いてさえくれないんだぞ、そう、脅すんだよ。
 もう、ボクは尻に火がついたような苦しさを味わっていた。空白の頁に夜毎、 何かを書き綴った。ボクの空っぽの頭を振り絞って、ああ、あの近くの野原へ行 ったな、あの時はミヨちゃんと一緒だったな、なんて、妄想を弄くるしかなくな ってしまったんだ。
 御免ね、ミヨちゃん。ミヨちゃんは一日だって、一度だってボクの相手をして くれたことなどないんだもんね。そんなことはボクはちゃんと分かってるんだよ。 ただの作り話だと、このボクが一番、分かっているんだ。
 でも、何かを書かないとダメだ。空白の頁はどんなことがあっても、ダメだっ て、誰かが言うんだから仕方ない。
 そんな日々が何ヶ月か続いたような気がする。すると、仕舞いには、ボクは、 空白のあとの病院を退院したあとの日記も、作り話で埋めないとならなくなった。 ここがボクがよく分からないところなんだ。多分、空白の日記を埋めたら、その つながりを保つ必要があったんだと思うけど、でも、これは今になっての推測に 過ぎない。
 そうだ、今になって思えば、どうして空白の頁を埋めなければならないかと思 ったかのか分かるような気がする。ボクは、読んだか聞かされたかした浦島太郎 の話に怯えたんだと思う。病院が竜宮城だったとは到底、思えないけど、とにか くどこかのみんなから離れた場所にずっと暮らして、戻ってきたら、誰とも話し が合わないような気が、一瞬したんだと思う。ほんの数日のことのはずなのに、 ボクは、我慢できなかった。そのことを大袈裟に受け止めてしまったのだと思う。
 ああ、でも、今となっては繰り言に過ぎない。ボクは、気が付いたら、日々の 現実から食み出す人間になっていた。目の前の現実が、まるで出来そこないの話 に過ぎなくて、妄想の中で作り上げた話のほうが現実味を帯びているように感じ る、そんな人間になっていたんだ。
 そうして、恐らくは小学校の二年か三年の頃、どうにも堪らない気持ちがして、 家を出たんだ。別に家出しようと思ったわけじゃない。ただ、家の中の空虚が辛 かったんだと思う。だからといって、外に出たなら、心の透き間が埋まるとは思 っていない。とにかく、焼けた鉄板が熱いから、じっとしていられないから、そ の場を離れる、ただそれだけのことに過ぎないのだと思う。
 まだ、その頃は、傍目には友達と呼べる奴等もいたんだ。こんなボクを毎日、 遊びに誘ってくれたりするんだ。不思議でならなかったけれど。だから、毎日、 日中は結構、忙しくしていられたんだ。
 でも、そいつらは夏休みの宿題を片付けるのに必死だったらしい。途端に、ボ クは、宙ぶらりんの自分と向き合うことになってしまった。ボクは居たたまれな くなった。何処かへ行く必要を感じた。とにかくここではない何処かへ。
 そしてボクは、今になっても同じことをバカみたいに繰り返しているのを感じ る。まっこと、三つ子の魂、百までだね。今となっては、空虚があまりに肥大し 過ぎて、埋めるのなど、とっくの昔に諦めている。
 だから、いっそのこと、のっぺらぼうの空間が勝手に膨張するのに任せようか と思っている。そのほうが楽だしね。
 そしたらボクは、その際限なく増長した圧倒的な空虚に、きっと間違いなく押 し潰されるに違いない。
 これって、ボクの空虚を無くする、最高の知恵だと思わないか?
 だって、自分じゃ何もしなくていいし、何もしなくてもいいようになるのだし。



03/09/14 20:54





[注意!: 以下の文は、本作を読了の上、参考にしてください。当然のことながら、一つの読み方の可能性をS・Y氏が示してくれているものと思います。氏は、決して小生の小説のファンというわけではなく、あるサイトで目に付く全ての(虚構)作品に目を通し、且つコメントを寄せるという方なのです。その意味で一定の第三者的立場を確保された上での批評なのだと思っています。]



S・Y氏の評






 無精庵さん、こん**わ。
「空白の頁」拝読しました。

 回想で綴る、空白の心を埋めていく妄想もの。

 なのですが。
 ここから先は"キレテ"ますので、絶対に本編を読んでからのネタバレ改行

 ピンとくる人には間違いなくピンとくる、非常に張りつめたテーマが込められていま す。
 うわぁ来たよ来たよ勘弁してくれよ締め切りなんて言葉は聞きたくないんだ電話のベ ルも玄関のチャイムもひたひたと迫りくる足音も丸印のついたカレンダーもみんなキラ イだ大嫌いだなんでこんなに空は青くて海は澄みきっているんだこの広大な宇宙の片隅 で布団を引っ被ってブツブツと独り言を呟く二流作家の存在なんか忘れてくれてもいい じゃないかあなあそうだろうそうは思わないか思わないってあんたはオニだっ!

   …閑話休題。

 人はなぜ「書く」のか、その原点としての強迫観念を綴った作品として捉えておりま す。孤独感、空虚感を埋めるために、書かなければならない、どんな事でも、なにがな んでもという切迫感が、同じ志を有する自分としても、真に迫るものがあり、胸がしめ めつけられる思いがします。

 一つだけ共感できないとすれば、夏休みの宿題はギリギリになってから仕上げるもの であり、それこそが、社会に出たときに切羽詰まった時のラストスパートの手法を体で 覚えるための貴重な経験だという事でしょう。
 といっても、ただ空白を埋めるだけと思えばいいのだと断言する主人公の堂々たる態 度は中々の大物ぶりでしょう。友達と呼べる人がいるなら、見せてあげれば大層喜ばれ るはずなのですが、そんなイージーなものを見せられても逆に迷惑というものでしょう し。この辺の「分かち合おうとしない、できない」性格こそが、孤独感の原因なのでは ないかと思われます。
 が、その精神的傷痕から生み出される作品は、極めて興味深いものがあるというの も、確かなものでしょう。傷つけられた樹木が甘い蜜を出して多くの昆虫の喉を潤すよ うに、強迫観念的に空想、妄想を綴ろうとする彼の精神構造は、まさしく物書きに必要 不可欠な要因なのではないかとさえ思えてきます。

                  〜 ・ 〜

 「子供時代の回想」で、さらに「ミヨちゃん」「幼なじみ」とくれば、過去の関連作 品がなにかありそうです。
 調べました所、7「閃光花火」で、主人公圭介が、幼なじみ のミヨちゃんを思い出していました。小母さんに連れられたミヨちゃんの後をついて いったとありますので、圭介が本編の主人公と同一人物かもしれないという可能性は充 分にありえます。
 ただし、「閃光花火」では、圭介は恵と付き合っていますので、示されている孤独感 とは無縁でしょう。男性遍歴の多い恵に振られた後か、彼女と出会う以前の状況なの か、という時間軸的な推測が出来そうです。
 圭介のモンモンとした性格ぶりを考慮に入れますと、本編にあるようなドツボにハマ リ状態というのも、充分にありえそうだと思えるのですが。
 無論、全くの「マトハズレ」というのが正答率50パーセントを優に超えてもいるの です。



                                  S・Y

03/09/16 06:12