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戦後は急速に欧米の、特にアメリカの文化の影響を受けるようになり、更に、 小生の印象では、バブルで過激なほどに日本の文化が変化したように思われる。 それでも、洋食やスナック食品はともかく、和食が廃れたわけではないし、 それどころか、欧米、これまた特にアメリカで和食の人気が高まったこともあ ってか、近年、改めて日本においても、和食に対する評価が高まっているよう に思われる。 恐らく、きっと、相当に将来に渡って和食、そして和食文化が廃れることは ないように思うのだが。 仮に、日本で消滅することがあっても、海外では残っていくことだろう。 さて、和食ということになれば、思い浮かぶことは少なくないだろうが、ま ず、小生が重要な比重を持っていると考えたのは、御飯茶碗と箸の文化である。 これが、日本独自の文化なのかどうかは、小生は知らない。 ただ、マイ御飯茶碗、マイ箸ということになると、日本独自の風習のようで ある(但し、断言出来るほどの根拠があるわけではない)。 茶碗も箸も、例によって、お隣りの中国から渡来した文化であるようだ: [お箸の謎 http://member.nifty.ne.jp/markmaeda/ohasi.htm ] [ご飯茶碗と陶器商人 http://www.yakimono.net/kotohji/imari/imari10.htm ] これらのサイトによると、箸を使う文化圏は、中国の文化の影響を受けた、 「日本・韓国・北朝鮮・中国・台湾・ベトナム・シンガポールの七カ国」に渡 るらしい。 但し、例えば、お隣りの韓国にしても、茶碗も使うし箸も使うのだが、その 風習ということになると、いろいろ違いがある。 下記のサイトに詳しいので、参照願いたい: [韓国と日本の文化の違い −食文化を中心に− 朴 美淑(パク ミスク) http://www.joho-kyoto.or.jp/~lions/benron98/t98-9.html ] [ご飯茶碗と陶器商人]というサイトに書かれてあったように、「民俗学者の 神崎宣武氏は、『「うつわ」を食らう』(NHKブックス)という著書の中で、中国 東南部や台湾の家庭では、日本と同じように碗と箸を使って主食を食べるが、家 族それぞれが専用の碗をもつ習慣は見られないと述べている。客が訪れても、特 別のご飯茶碗や箸を出すこともなく、家庭内の食器はすべて家族も客も共有する というのである」 これらのサイトを巡ってみても、御飯茶碗と箸が、日本では(少なくとも家庭 においては)各自で日常使用するものが決まっているという風習が、日本だけの ものなのか、そしてまた、現在、かなり一般的になっている風習が、一体、いつ 頃からそのようになったかが、よく分からない。 一般庶民はともかく、平安の世には、御飯茶碗などの食器があり、箸も使って いたようだが、既にその頃はもう、御飯茶話と特に箸の個人使用という文化があ ったのだろうか。 あるいは、[お箸の謎]というサイトに推測が述べられているように、大嘗祭 のような太古の昔に淵源する、何か相当に深い謂れのある文化なのだろうか。 ところで、ネットを巡っていたら、[箱膳の話]という興味深いサイトが見つ かった: http://izumigou.lighthill.org/hakozen.htm 「箱膳とはかつて、商家や農家などで用いられた膳である。大きさは大体1尺 (30センチ)四方か8寸(24センチ)四方。箱膳の中には飯碗(ごはん茶碗)、 汁碗、箸、湯飲茶碗が収納されていた」とのことである。 「この膳が使われるようになった時期は、このセットの中に飯碗(ごはん茶椀) が含まれていることから、近世以降と考えられている。また、この膳での食事に ついては一人づつ、この膳を所有するため「食器はそれぞれ個人に所属する」と いう日本的な考え方を反映するものとされている」という。 ということは、マイ御飯茶碗、マイ箸という文化は、近世には地方にも広まっ ていたということなのか。 このサイトによると、「かつては水が貴重であったため、箱膳の中の茶碗やは 毎日洗うわけでなく、時折洗うだけであった。中には大晦日しか洗わないという 家もあった」という。 茶碗も箸も毎日洗うわけではないので、各自の汚れが付着している恐れがあり、 それゆえ、自然に茶碗や箸の個人使用という慣習が醸成されたとも考えられない こともない。 このことに関連するかどうかは分からないが、日本人の奇妙な潔癖主義が関係 している可能性もないとは言い切れない。日本人は、集団主義の国であり、世間 体の国であり、何かを決めるに際しても、その事柄が自分自身に関わることであ っても、周囲の目を気にしつつ決定する。 一人、誰も居ない部屋の中で考えをめぐらしても、最後の決心・決定の際は、 家族や親族や近所や世間を考慮に入れないでは居られない。どう考えても個人主 義の国ではないのだ。 しかし、では、全てがなし崩しに世間に流されるままかというと、そうでもな い面もある。御飯茶碗やマイ箸もそうだが、極端なくらいに清潔好きであり、他 人との肉体的接触を嫌う。肌の触れ合いを許すのは、かなり限定的な状況でしか ありえないようである。 西洋では他人が腰掛けた後の便座に平気で腰掛けるようだが、多くの日本人は、 他人が腰掛けた後は、それがたとえ家族であってさえも、気軽には腰掛けられな いのではないか。 ここでは、小文のテーマから逸脱するので、これ以上は論及しないが、日本人 は個人主義ではないが、孤的主義とでも呼びたいような心性があるような気がす る。 マイ御飯茶碗も、マイ箸も、そうした肉体的潔癖性と無縁ではない、少なくと も相関はしているような気がするのだ。 [この点に関して、やはり「お箸の謎」の著者のエッセイを参照願いたい: http://member.nifty.ne.jp/markmaeda/syokutaku.htm ] 憶測はともかく、縄文式土器など古い時代から、食器に関しては我々は土に親 しんできた。金属の食器とか、NASAが開発したロケットなどにも使用された特殊 な磁器など、新しい素材の食器は、最近も色々登場している。 しかし、我々は韓国とは違い、御飯茶碗は手に持ち、口に運んで食事する。つ まり、茶碗が直接唇に触れるのである。 だから、金属や高いところから落としても割れない、まして汚れもしなければ 傷も付かない高性能な磁器で出来た食器、御飯茶碗というのは味気なく感じる。 プラスチックの食器も、幼児用はともかく、多少は分別が備わり、そんなにしょ っちゅうは落としたりしなくなるようになると、陶器や磁器の食器を好んで愛用 するようになる。 長年、使っていくうちに、幸いにして落としたりして割れたりしなくても、何 処かしら縁(ふち)の辺りなどが傷ついたりするし、あるいは落としきれない汚 れが目立つようになったり、あるいはいずれにしても経年変化(劣化)は免れな い。 けれど、磁器などの割れる可能性のある食器を愛用するのである。こうした日 常の中に、縄文時代以来の土の文化への郷愁のようなものが垣間見られるのでは ないかと言ったら、憶測を遥かに超えているのだろうか。 箸もそうだ。口に触れるものだ。茶碗以上に肌に触れる。唇に、そして指先に。 箸を巧みに、少なくとも人並みに使いこなせるかどうかというのは、あからさま には非難めいた物言いはしないとしても、映像や、実際に、箸を不器用に握って 使う人を見ると、違和感めいたものを覚えるのは、どうしようもない。 御飯茶碗や箸に拘るのは、米の文化への拘りの故とも考えられるが、それだっ たらアジアの米作文化圏共通のものであるはずだ。 何がマイ御飯茶碗、マイ箸文化を醸成させたのだろうか。それとも、本当は新 しい文化に過ぎないのだろうか。分からないことが多い。 結論めいたものさえも出せないままに、この小文を閉じるのは心残りがある。 02/09/21 [以下の一文は、上掲のエッセイに寄せられたMさんのコメントへの返事として 書かれたものです。Mさんは、漆の箸を使うようになり、水で洗うと漆が落ち るのが困る中で、各人の汚れと馴染みの染み込んだ箸への愛着が増すようになり、 やがて今日のような各人毎の箸や茶碗を所有するようになったのではという推測 を述べておられました。] Mさん、こんにちは。 コメントをありがとう。 漆の箸や漆の椀。確かに、古来より馴染み深いものですね。 特に漆というのは、縄文時代から既に使われていたようで(箸や椀に使われて いたかどうかは、知らない)、まさに日本文化の特長を示すものかもしれないで す。 ただ、漆というのは、かなり高級な、多くの庶民には縁遠い技術であり文化で もあるようです。 下記のサイトによると、「塗箸が登場するのは江戸初期のこと」だそうです。 「白木造りの柳・檜箸の清浄さを大切にする独特の根強い美意識があった」せい だということです: 「箸使い」 http://www2.ocn.ne.jp/~who/syoku/hashidukai.html でも、確かに漆の箸が、茶の間に入った段階で、箸を水で洗わない風習が一般 化したのかもしれない。 日本的な潔癖感というような大仰な意味合いではなく、単に水で洗うと、漆が 剥がれるのが勿体無いという躾(しつけ)や習慣が、当然、他人の口に触れた汚 れが残った箸を使うことを忌むようになり、結果として箸や茶碗を各自のものに したというのは、ありうることです。 でも、なかなか確かめるのが難しいですね。 02/09/26 |