田舎でのネット環境(付:帰省日記抄)  

                                            (04/01/18 up)





田舎でのネット環境  





 帰省している。当然ながらネット環境は、東京とは違う。郷里の我が家には全 くネットに接続する環境がない。東京ではADSLの常時接続という環境にあり、 時折パソコンの不調などに見舞われるものの、細々とネットにつながっている限 りは、特に不満は感じない。別にネットで音楽をダウンロードしようという気も ないし、まして動画をダウンロードする必要も感じない。また、ゲームをパソコ ンでやりたいとも思わない。まあ、文章が書けて、いろいろなサイトを覗ければ それでいいわけである。 
 ただ、文章を書く際には、あちこちのサイトを覗いたり、また、データの確認 などで検索をすることが多いので、そこそこの性能のパソコンと、データの送受 信の早さもそこそこのものが欲しい。そして東京の自宅である限りは必要な条件 は整っているというわけである。
 それが田舎となると、そんな環境など皆無である。そもそもパソコンがない。 よって、外出の際に必要に応じて持参するモバイイルパソコンを田舎に持って帰 る。データの送受信は、最大で64kbsで、いらいらするほどに遅い。遅いだけ ならまだしも、部屋の中では使えない。電波が届かないのだ。
 よって、思いっきり窓際にパソコンを寄せて使う必要があるし、それでもダメ ならパソコンを窓を開けて若干なりとも外に迫り出させる形で使わないと、ネッ トとの接続が叶わない。また、つながってもすぐに切れる。
 結局のところ、田舎ではネット検索は一切しない。もう、諦めている。エッセ イなどを書く際に、さまざまなサイトを覗いてデータ上の補強をしたいと思って も、現実的に無理なので、最初から諦めている。
 どうせ書くなら、あるいは、せっかく読んでもらえるなら、多少なりとも内容 のあるもの、参照するサイトを覗けば、何かしら得るものがあるようにと思って、 参照サイトをできるかぎり示すように心がけているのだが、そんな配慮が叶わな いのだ。
 なにしろ、自分のHPさえ、なかなか開けないことがある。その中の掲示板と か日記となると、運を天に任せるしかなかったりする。時折、HPに久方ぶりの 来訪があったなら、返事をする前には、一通りでもそのサイトを一覧して、その 上で書きたいと思うのだが、人様のサイトを覗いていられれような余裕などなき に等しい。
 で、もどかしい思いをしながら、もしかしたらピント外れのレスをしているの ではないかと思いつつ、当たり障りのない返事でお茶を濁すことになったりする のだ。
 掌編を書くにしても、使う言葉を物色する際とか、季節を感じさせる表現など をネットを通じて探すことがある。そんな便宜上のこともさることながら、とに かく書き上げた文章をアップさせる際に、データの送信で躓くと、うんざりして しまう。送信している最中にネット接続が切れると最悪である。最初は下書きを 送信し、その文面を見て修正を加え、改行など体裁を整えたりするのだが、ぶち 切れのネット接続では、いつもの倍以上の労苦を伴ってしまう。ちょっとハンド ルネームを書き忘れたりしたら、せっかくアップしても、やり直しである。HN をちゃんと記入したと思ったら、今度は、接続が中途で切れて、やっぱりやり直 しになってしまったりする。
 文章を大体のところまで書き上げてから接続しないと、1分当たり幾らという 具合に接続料金が嵩んでくるので、アップする画面を表示し、そこで一旦、接続 を切り、出来上がった文章をカット&ペイストした上で、接続し、当該の画面を 表示しなおし、コピーし、送信のボタンをクリックする。この段取りのどこかが 滞ると(で、実際、大概は何処かしらで滞る)、そこがやり直しになり、最悪の 場合、修正を加えた文章が消滅してしまったりもする。
 さすがに下書き段階の文章は残っているので、その草稿を基にまた、アップの やり直し、あるいは改行など編集作業のやり直し、その際の数々のトラブルの再 現を体験させられるわけである。
 こういった、文章を練るとか構想を練るといった中身や表現、読みやすさなど にわたる為してしかるべき労苦や配慮とはまるで違う次元で神経を使い果たして しまって、しまいには肝心の内容への配慮が足りなくなったり、そもそもまず、 書く意欲そのものが減退してしまうことさえある。で、通常なら下書き段階で、 アップするつもりのないものでも、たまたま接続がうまく行っていたから、もう いいや、えいや、という感じでアップしてしまったりする。
 ともかく、田舎の現状のネット環境下にある家の中でモバイルを使ってネット 世界に参入しようとすると、なかなかに辛い障害を乗り越える必要があって、面 倒極まりないのだ。
 まあ、なにも慌ててどこかのサーバー(プロバイダー)にアップさせる必要な どないのかもしれないが、小生は、あれこれと書きたいし、その日に書いたもの はその日のうちにアップさせ、そして書いて公表した小文のことは、基本的には 頭から忘れ去り、次のエッセイ、次の題材に頭を切り替えていきたいのである。
 そのためにも、書いたものはすぐにアップして頭をまっさらにしたいのである。 日に最低、五枚分の文章を書くというのが、自分に課したノルマだという事情も ある。
 日に五枚といっても、タクシーの仕事で週に三日は通勤時間も含めると、22 時間は不在になるの、残りの四日で35枚を書く必要があるのだ(勿論、掲示板 や日記、メールなどの文章は計算に入らない)。
 通信事情・環境に恵まれないというのは、どうしようもない制約となってしま う。上記したように書く内容以前の段階で神経を消耗させてしまうのだ。
 それでも、もしかしたら一人くらいは読んでくれる人が居るかもしれないとい う一縷の望み・期待を抱き、またネットならではの特色であるその日(というか、 たった今)書き上げたものを即座にアップしえる長所を存分に生かしたいと思い、 今日も、せっせとアップ作業に努めるというわけである。

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2003年12月31日 (水) 3:05a.m. 日記(1)  





 なんとか指定席の切符も取れて、30日に帰省し、予定では年も明けた四日に帰京する。つまり、小生の休み目一杯を田舎で過ごすことになる。四日の次の日は仕事。四日の夜には年初のメルマガを配信するつもりでいるので、その夜は結構、厳しい日程となりそう。
 今回の帰郷、昨年のように越後湯沢で寝過ごし、終点の塩沢石打で目が覚めて(掃除の小父さんの作業の物音で目覚めた)びっくりする、なんてこともなく、順調だった。東京駅で「たにがわ」に乗って、少々読書すると、明けの7時過ぎに帰宅し、9時過ぎに寝入って、午後の一時頃起きたという慌しさで寝不足の小生は、さすがにすぐに居眠りしてしまった(らしい)。ウトウトをを幾度も繰り返し、越後湯沢に至る前には、すっかり眠気も遠ざかっていた。とにかく越後湯沢が鬼門で、そこで寝ていると、次のガーラ湯沢(終点)に行ってしまうしかなくなるのだ。
 越後湯沢で乗り換え、「はくたか」に乗り、富山へ。富山も終点ではないので、うっかり居眠りでもしていると、終点の金沢に行ってしまう可能性がある。一人で列車に乗っていると、そんな乗り過ごしの心配が常に付き纏う。
 自宅の近くでバスに乗り、京浜東北線で大森駅から東京駅へ、そして後の列車の中でも、目が覚めている間は、できるかぎり読書。前日の日記にも書いたが、伊藤整著の『変容』(岩波文庫)を持参。彼の代表作は、『氾濫』だが、それ以後の新境地を切り拓いた作品だという。熟年というより老年に入った男(そして女)の愛や性を描く。小生も身近な話題になりつつあるのだ。
 富山駅に着いたら、次は富山港線というローカル路線を使う。この電車の中でも読書。この東京から富山への移動の間に上掲の本を150頁ほど読めた。忙しくて読書する時間が取れないでいる小生は、移動時間を読書に使うしかないのだ。ライブにも、スクーターを使わないのも、この理由による。




2003年12月31日 (水) 3:21a.m. 日記(2)  





 さて、東京駅で「ひよこ」を買い込んでの帰宅。富山港線を最寄の駅で降りると、そこは住宅街なのだが、ろくに街灯もなくて、真っ暗。女性だったら、引ったくりとかが怖くて、ひとりでは歩けそうにない裏道かもしれない。昼間はそこそこに人の動きもあるのだが。モバイルパソコンなどをしのばせたボストンバッグと「ひよこ」を四箱買い込んだ紙袋を手の移動だが、最寄の駅からは数分なので、重い思いもあまりせずに済む。
 家には父母の二人。母は白内障の手術のため、つい最近まで入院していたとか。白内障の手術だけなら、手術時間は早ければ数分だったりするので、日帰りする人も多いのだが、白内障の手術だけなら、手術時間は早ければ数分だったりするので、日帰りする人も多いのだが、お袋の場合、糖尿病もあり、内科の治療を経ての手術なので入院せざるをえないのだ。
 手術そのものは順調だったらしいが、ただ、一ヶ月ほど入院していた間、体を安静に保つ必要もあって、それに目の容態もあるし、体を全く動かすことができなかった。その結果、年齢もあって、足腰が一気に弱まり、歩くこともママならない状態になってしまったのだとか。帰宅しても、お袋は炬燵に入ったまま、一切、身動きしない。働くのが好きなお袋なのに。
 そんなお袋のため、父が買い物も含め、家事をしている。小生が帰ると、食事の用意も父がしようとする。さすがに一人暮らしの小生は、父を制し、日ごろ、一人で食事することには慣れているし、自分で給仕などをやったが、父母のそんな姿を見ると、一層、感じるものがある。田舎で仕事が見つけられるなら富山で暮らすことも前から考えてはいるのだが、何の取り柄も能力もない中年さえも過ぎた小生には仕事など見つかるはずもない。




2003年12月31日 (水) 3:22a.m. 日記(3)  





 一方、たとえば、檀家となっているお寺が新装したのだが、そのために結構なおカネを寄付(寄進)した、その返礼のささやかな、あまりにささやかな品を見ると、田舎の旧弊な陋習にうんざりしてしまう。こんな貧乏な家から寄進を募る(カネを毟り取る)お寺の神経が、たまらなく不愉快である。何台も車を持ち、ハーレーなどを乗り回す裕福な生活をしているお寺さん。クソッ食らえと思ってしまう。でも、田舎で暮らすとは、こんな浄土真宗の古臭い土壌、自民党王国という目先の利益しか視野にない閉じた感覚など、無数の理不尽な事柄にも我慢が強いられるということなのだ。無論、お寺のことは一例に過ぎない。
 食事した茶碗を片付け、電気釜の釜も洗い、お米を研いで水に浸し、お茶を煎れ、お菓子を出し、つまらない正月番組を見、親戚などの近況などを聞き、ダラダラと過ごすと夜半に。
 何の展望もなくぼんやり生きてきた小生だが、結構、切羽詰っているのだ。父母らのことは、多くを、というより全てを姉たちに依存している。小生は何もしないできた。また、なんの頼りにもならないロクデナシでもある。そんな自分でも焦りを感じないわけにはいかない。どうするのだ、これから?!
 自分の中の、自分のことさえも傍観視する、自分の人生でさえも他人事のように眺めてしまう性分。自分のことは、自業自得なのだから別にどうこう言うつもりも文句もないが、父母らのことは不憫というか申し訳なく感じてしまう。後ろめたさと言ったほうが正確なのかもしれない。




2004年1月2日 (金) 9:48p.m. 我が町のこと  





 元旦の夜、居間の消灯の時、父からちょっとショックな話を聞いた。前から話には出ていたのだが、今年はとうとう田植えをしないというのだ。直接の切っ掛けは、稲刈りのための機械が事情により使えなくなり、小さな田圃とはいえ、父らの手だけでは稲刈りも侭ならないということがある。
 数年前には我が田は人手に渡ってしまっていて、ただ、田圃のある場所が表の道路から直接は入れない場所にあって、利用が今のところ適わないため、田圃を借りる形で(土地を維持管理する名目で)田植えだけは細々とやり続けてきたのだが、その稲作も昨年で終わりとなり、今年は、近隣の誰かが畑作をやるなら自由に使っていいという形になっているらしい。
 実際、<田圃>を覗いてみると、一部は畑になっている。今日、まだ暗くならない時間、雨の止み間を使って家の周辺をデジカメで撮り捲った。家の外観も、庭も、家の前の33地蔵堂も、無論、かつての田圃、つまりは今は一部が畑と成り代わった土地も。
 ついでなので、前から撮っておこうと思っていた、子供の頃に描いた絵をデジカメに収めようと思ったが、屋根裏部屋にあるはずの絵が全く、一枚も見つからない。昨年の夏にはあったのに...。幻の名作たちよ...。
 ところで、エッセイなどで我が家の周辺が昔は砂利道だったのがアスファルト舗装されたとか、近くに工場やテレビ局(FM局も)ができたとか、マンションやアパートが建ち並ぶようになった云々と書いた。昔の面影よ、何処へ、という趣旨で。
 が、今では、大規模な開発により、ここ十年余りの大変貌を遂げつつある富山市の北口側、幹線道路が新たに整備されたりして、また帰省の際にも使ったローカル線である富山港線が路面電車化され(計画が決まった)、わが町を含む一角を避けたかのような大き地域が開発の波に乗っている。
 つまり、我が家のほんとの近隣の町(というか村のような按配だ)は、すっかり開発の波から取り残されてしまって、ここ十年ほどに関しては、置いてきぼり状態だという現実がますます顕著になっている。わが町だけが光の届かない一角になっているような気さえする。