(04/02/05 up)
物干し台といえば(1)
物干し台と聞いて、懐かしいと思う人は、ある年代以上の方だろう。まあ、
東京には未だ、実際に活躍しているかもしれないので、懐かしいではなく、う
まくすればここにありますよと、写真の一つも撮ってもらえるかもしれない。
でも、知らない人には、何のことやらさっぱりかもしれない。物干しを「も
のほし」と辛うじて読めるとしても、下手すると、物欲しげの「物欲し」と勘
違いしたりして。
ただ、物干しに台が付いている事で、洗濯物を乾かす場なのだろうとは見当
が付くだろう。
と思って、「物干し台」をキーワードにネット検索してみたら、下記のよう
なサイトが冒頭になる:
http://www.fcoop.or.jp/apple-ef/yoyaku/monohosi/monohosi2.html
http://www.h5.dion.ne.jp/~home382/like/l-7.html
そうか、物干し台というと、今時の人が真っ先に思い浮かべるのはそうした
洗濯物の干す棹と石の台なのだ。となると、やっぱり一昔前まで東京の下町な
どでは風物詩というか、当たり前のようにして見受けられたらしい物干し台と
いうのは、馴染みではないということらしい。
ネットで小生が思う物干し台の画像を探したが見つからなかった。
まあ、簡単に言うと、多くは民家の二階から出入りする、せいぜい三畳ほど
の広さの今でならウッドデッキのようなスペースで、周りは腰の高さほどの木
の柵が巡らしてあって、その柵を手摺代わりにできたもの。民家の屋根は当然
のように瓦屋根。周囲を見渡すと、同じような作りの家々が軒を並べる。
そう、「時間ですよ!」というテレビ番組を見た記憶のある人なら、実際に
そうした物干し台に立ったことがなくても、すぐに物干し台のある家の光景を
思い浮かべることができるだろう。「時間ですよ!」というのは、今は作家と
して活躍されている久世光彦氏演出のTVドラマである。森光子や浅田美代子、
堺正章らが出演していた。「あの子は、どこの子。こんな夕暮れ…」と、浅田
美代子が「赤い風船」という曲を音程を外しながら歌っていたものだった。
物干し台というより、物干し場と言ったほうが相応しいのか。
時間ですよの舞台となっている家の仕事は銭湯。時折、お約束の女風呂のシ
ーンなどがあって、結構、楽しみだったものだ。当時は、気付くはずもないが、
久世光彦氏は、東京生れだが、高校までは富山で育ち、大学は東京大学へ入ら
れた。
ところで、富山といえば、銭湯である。少々強引だが、そうなのである。何
もお風呂場で馴染みで、小生もこのサイトで触れたことのある内外薬品(富山
の会社だ!)のケロリン桶が全国的に有名だからってことではない。最近、富
山でも24時間営業の健康ランドがやたらと増えているし、人気を集めているか
らでもない。
富山出身者で都会で銭湯を経営している人が、結構、多いから、富山といえ
ば銭湯なのである。富山にちなんで県外で活躍する仕事といえば売薬さんが有
名だが、銭湯(お風呂屋さんと富山では呼ぶ場合が多い)を経営している方も
多いのだ。
昔、小生がガキの頃、富山の藩が県外(特に江戸など)の情報収集をするの
に、一つは売薬さんという職業(これは各家庭に深く入り込んでいける)、も
う一つは銭湯の経営が奨励された(つまり、人が多く集まり、人が裸になるの
で、目の保養になる…じゃない、さまざまな人の裸の情報を集めることができ
るから)などと、まことしやかに教えられたことがある。小生、今もその教え
を正しいと信じている始末である。
で、話が戻るが、久世光彦氏が「時間ですよ!」というテレビ番組の舞台と
なる家の職業に銭湯を選んだのも、背景に富山で暮らした十数年の体験が反映
しているのではないかと思うのである。回りくどくて申し訳ない。
ついでながら、一昨年の映画杉森秀則監督の『水の女』の舞台も銭湯である。
無論、話の筋として察せられるように、杉森秀則監督の出身地は富山であるこ
とは言うまでもない(言ってしまったけど):
http://www.nikkatsu.com/times/event/021109_mizu/
さて、やっと本題に入る。なぜ、唐突に物干し台が話題に出たかというと、
過日、読了した本の中で物干し台が出てきて、とても懐かしくなったからであ
る。その本とは、芳賀徹著の『詩歌の森へ』(中公新書)である。ならば、ち
ょいと調べてみたいと思ったのだ。といっても、小生は物干し台のある二階家
の瓦屋根の家に住んだことはない。また、芳賀徹氏の名誉のために一言してお
くと、氏は「時間ですよ!」には一切、言及していない。見る暇も、その気も
なかったろう。
04/01/19
物干し台といえば(2)
芳賀徹著の『詩歌の森へ』(中公新書)の中で、どういう流れの中で物干し台
が扱われているかを、見てみよう。
「画狂老人葛飾北斎は嘉永二年(一八四九年)四月十八日、江戸の浅草で死んだ。」
その忌日にちなみ、「永井荷風は「四月十八日」と題し」た佳句を作った。
その一つは次のようなもの:
物干に富士やをがまむ北斎忌
「北斎だから富士。それを物干しからおがむところに荷風の下町趣味、江戸讃仰
の気持ちがよく出ている」と、芳賀氏。
その物干し台の構造を説明した上で、「洗濯物やふとんを干すだけでなく、親
に叱られた子供や、夫といさかいをした女房の恰好の逃げ場だった。そこで泣き、
隣近所や遠い空を眺めるうちに、気がまぎれたのである。」と続ける。
さらに後段があって、以下の通りである:
荷風から百五十年前、平賀源内の住む神田白壁町の長屋の屋根上にも物干し
はあったらしい。源内の戯作の門人、大田南畝の狂歌の仲間、新宿に煙草屋
を営んでいた変な文人平秩(へづつ)東作の一首に、「七月十四日福内鬼外
(源内の浄瑠璃作者としての戯名)が家にて溝口氏と三人物ほしにのぼりて酒
のむとて」と前書きして、こんな作がある。
大空の星もあはれとおぼしめせ金ほしげなる物ほしの客
(石川雅望編『万代狂歌集』)
(以上の項は、p.305-6)
「物干に富士やをがまむ北斎忌」という荷風の句で思い出したが、江戸小噺に
「富士山」がある:
http://www.ii-park.net/~chibaraku/kobanasi/edo002.html
前述したように、近年、江戸以来の様式での物干し台(場)は大きく様変わり
した。物干しそのものの材料も変われば、形も変わっている。それだけではなく、
この頃は、道路や他の建物から見えないように、物干しの場も物干し(竿)の設
置の仕方も変わってしまった。
何よりも景観が大事、というわけで、洗濯物などが青空の下、というか衆人環
視の下、風にひらひら揺らいでいるのは、持っての外というわけであろう。
時代の変化、ということなのだろうか。
ところで、最後まで読んでくれた方へのささやかなお礼として、小生がネット
で見つけた物干しの画像を見てもらおう。といっても、3Dの画像である。もっ
と言うと、バーチャル江戸、浮世絵3Dワールドとしての画像である。
http://homepage1.nifty.com/hakka/edo/3dedo/ukiyodoko/page02.html
とても斬新なアイデアのサイトで、小生サイト検索の甲斐があったというもの
である。
尤も、物干し台(場)がいつから瓦屋根の二階に設置されるようになったかは、
結局のところ判明していない。江戸の下町という建物の密集した環境が生み出し
た苦肉の策だろうとは推測されるのだけれど。
04/01/20

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