[特にこの頃というわけではないが、演歌や歌謡曲がむしょうに聞きたくなる。カラオケなどではファンの方は歌っているのだろうが、できれば演歌ファンの方たちは、もっとテレビやラジオでの演歌・歌謡曲に触れる機会を増やすべく声をあげて欲しいと思う。尚、平井賢さんは演歌というジャンルの方ではないだろうが、演歌の心が彼の歌には感じられるので、ここに収めさせていただいた。ご本人、お嫌かな。04/05/23 up]
1.松原のぶえと蒼い月のこと
2.愛の終着駅…
3.平井賢の「大きな古時計」に思うこと
1.松原のぶえと蒼い月のこと
小生は先週、ブルームーンという掌編をアップした。その直後だが、車中でラ
ジオを聞いていたら、「蒼い月」と題された演歌が流れてきた。歌うのは、小生
の好きな歌手の一人、松原のぶえさん。昭和54年に「おんなの出船」で衝撃的
なデビューを果たした。以後、「演歌みち」などのヒット曲を飛ばした。
ブルームーンという作品を書いた小生としては、タイミングよく「蒼い月」が
出たものだと、聴き入っていた。
すると、仕事が終わって帰宅しシャワーを浴び、御茶で就寝前の一時を過ごし
ていたら、テレビのワイドショーから、彼女の顔が。なんたる偶然と思っていた
ら、なんと、彼女は泣き顔ではないか。注意して視聴したら、「夫が借金で失踪
?」という内容だった:
http://www.yomiuri.co.jp/hochi/geinou/may/o20030521_10.htm
彼女は歌唱力が抜群である。けれど、彼女は容貌で損していると思う。別に美
人じゃないとか、そんなことではなく、わりとふっくらした体型と顔立ちをして
いる。演歌を歌うためには、どこか不幸の影がよぎるような陰のある顔立ちが似
合うのである。
でも、彼女の艶福そうな容貌を見ている限り、健康に満ち溢れているように見
えてしまう。人間として女としては申し分ない長所も演歌歌手としては欠点にな
りかねない困った人なのだ。悲しい歌を歌っても、画面を見ている限り、必ずし
も歌の世界に没入できないことがある。
けれど、実際には演歌歌手にありがちだが、多くの女性(男性も?)歌手はシ
ッカリ者で性格的には男性的な方が多いらしい。だからだろうか、男性との縁が
薄いか、仮に縁あって結婚しても、男性が女性に頼りがちになってしまうようだ。
自分で頑張ろうという気概が失せてしまうのだろうか。松原のぶえさんの場合も、
実はそうだったということになる。
[これは必ずしも意外ではないと小生は思うのだが、演歌では女性が弱い立場に
あり、男についていきますとか、男に振られて泣いてますとか、断ち切れない未
練を忍んでいるとか、今時、そんな女、おるんかいな、という世界を歌っている
ように思われている。
確かに、そのように理解されがちだが、実は、歌われているのは女の未練とい
う以上に、怨念であり、強烈な意志なのだ。
男がついて来いというからついていくのではなく、女が自らの意思で付いて行
くと歌っているのである。断固たる意思表明なのだ。そして実際に、ついていく、
追いかけ続けていくとしたら、強靭で持続的な意志の吐露でもある。
なかなか一筋縄ではいかない女性たちなのだ。それを画面や歌の上では泣き顔
っぽく歌っている。でも、歌う歌手も、そして歌われている世界さえも泣き顔と
は懸け離れた凄まじい意志と執念との錯綜した世界なのである。
しかも、そうした歌を作っているのは、曲も歌詞も男性であるという入り組ん
だ構造。結構、一つの世界として分析しがいがあると小生は思う。]
尚、彼女は昨年末、父君を亡くされている。実は、福岡・大分自動車道におい
て、車で逆走し衝突死されたばかりなのだ:
http://www.mainichi.co.jp/entertainments/geinou/0212/08-01.html
ブルームーンを、いや、蒼い月を彼女はどんな気分で眺め上げることだろう。
もう、こうなると彼女を応援するしかないね。
尚、彼女のホームページは下記である:
http://www.nobue-matsubara.com/
03/05/25 記
2.愛の終着駅…
このタイトルだけでこれは演歌の題名であり、八代亜紀という歌手を思い浮か
べるようだと、世代が偲ばれようというもの。
まして、歌詞が多少でも浮かぶなら、まさに演歌世代だと言っていいのではな
いか。
八代亜紀は、知るひとぞ知るだろうが、今は歌手としては勿論、画家として
も夙に知られている。絵をたしなむ芸能人は数多いが、彼女の絵は余技の域を超
えていて、数々の受賞もされている:
http://www.mirion.co.jp/art/art2.html
彼女のホームページ( http://www.mirion.co.jp/ )を開いてみて知った
のだが、彼女はボランティアでペルー「ラ・メルセ」という町に八代亜紀工業技
術学校を設立している。
突然、なぜ、『愛の終着駅』などというタイトルが出てきたかというと、過日、
ラジオを聞いていたら、久しぶりに八代亜紀のこの歌が掛かったからである。
往年の流行歌手であり、今も現役で活躍しているし、新曲も出しているわりに
は、彼女の昔の曲がラジオで聞けることはあまりない。
で、過日、実に久しぶりに掛かった昔のヒット曲というのが、この『愛の終着
駅』という曲なのだ。小生の気分にたまたま合致したというのか、じっくりと聞
くことができた。とてもいい曲に感じた。
以下のサイトで伴奏だけは聞くことができる:
http://www.ne.jp/asahi/azuma/shinichi/ai-syutyaku.htm
歌詞をそのサイトなどからコピーしてもいいのだが、著作権の問題があるかも
しれないので、歌詞の全容はそのサイトを参照願うとして、歌詞に纏わる印象な
どを少しだけ触れておきたい。
この曲は昭和52年の9月に出されている。当然のようにヒットした。つまり52
年の秋口から冬にかけてヒットしたということになる。あるいは翌年の春近くま
でも、よくテレビなどで彼女が歌っていたかもしれない。
この歌詞を初めて聞いた時、小生はまだ学生で鄙の地で一人っきりのアパート
暮らしをしていた。テレビなどないからラジオで聴いていたものだ。
歌詞の冒頭の一節の、「文字のみだれは 線路の軋み 愛の迷いじゃ ないで
すか」には女の直感のようなものを感じて、こんな女に出会ったら、最初は一途
に愛されて男としての自尊心が擽られるかもしれないが、そのうち女のあまりの
愛情にたじたじとなり、やがて逃げ腰となり、そのうち女から逃げるためだけの
ために浮気をするかもしれないと思ったものだ。
が、その前に、上掲の歌詞の前にある「寒い夜汽車で 膝をたてながら 書い
たあなたの この手紙」という歌詞に違和感を覚えた。
一体、この手紙は相手の男が書いたもので、女には男がどんな上掲の中で書い
たか分からないはずである。せいぜい汽車の中で書いていますくらいは男が書く
かもしれないが、しかし、夜汽車だとか、まして「膝をたてながら」などとは、
まず男は書くまい。
なのに、おんなはそんな科白を吐いている。何か変ではないか、などと理屈っ
ぽい小生は思ったのである。
詩を詩として、そのまま感受し受け入れられない野暮な小生らしい感じ方だっ
た。
無論、詩なのだから、愛の情景、お互いの状況を聞き手に分かってもらうため
の方便だということくらいは理解できたけれど。
この歌は、女の執念が凄まじいくらいに現れているように思える。
上に紹介した「愛の迷い」という歌詞もそうだし、「窓にわたしの まぼろし
が 見えたら辛さを わかってほしい」という歌詞も、窓に女の「まぼろし」が
ボンヤリと映る程度ならいいけれど、歌詞の全体の雰囲気からすると、女の(わ
たしの)この凄まじい執念が分かる?! あんた このあたしから逃げられると
思ってんの という脅しめいた、鬼気迫る感があって、怖かったのである。
何だか幽霊に追いかけられているようだ。
ただ、小生は18の時より全くの一人暮らしで、特に昭和の52年の頃は友人も
皆、卒業したり退学したりして去っていったので、恋人もいない小生は、女の執
念だろうが何だろうが、女の情念という名の幻想を心の透き間に埋めることで、
アパートでの孤立した生活に耐えていたような気がする。
それから今さっき、彼女のホームページを初めて開いて、これまた初めて知っ
たのだが、彼女は昭和46年にデヴューされている。
小生は何となく、彼女は昭和の50年代の半ば近くにスターとなったような気が
していたのだ。舟唄のヒットが昭和54年で、その印象が強いのだろうか。その頃
には、フリーターをしていた小生も、さすがにテレビを入手していて、画面で彼
女を見る機会が増えたからなのだろうか。
というより、実は、大学を小生の勝手な感傷的な気分の中では追われるように
して去り、また、大学のある鄙の地を同時に去った頃、「愛の終着駅」がヒット
し、また、大学時代に思いを寄せていた女性に八代亜紀の猫系の顔がちょっと似
ていたこと、そうした諸々の思い出のある地を去った頃と彼女のヒット曲とが重
なっていて、それで昭和50年代半ば近くに活躍していたというイメージが自分の
中で強いのかもしれない。
恥ずかしながら日本の歌手でレコードを買ったのは八代亜紀とチェリッシュだ
けである。思い入れの程が知れるというものだ。
今となってはプレーヤーもないし、ラジオ以外では音楽を聴く機会もないが、
しかし、仕事先で車の中で昔の曲を聴くと、実にしみじみと聴けてしまう。
たまに聴くからいいのか、それとも昔の曲にいいものが多いからなのか、小生
には分からないのだけれど。
02/11/14 記
3.平井賢の「大きな古時計」に思うこと
平井賢の「大きな古時計」がヒットしている。
この曲は、小生も好きな曲だ。
小生がこの曲が好きになったのは、数年前に帰省した時、家族と一緒に立山・
黒部をバス旅行した時だ。雨模様の日で、ちょっと残念だなと思っていたら、現
地に着くと雨は上がってくれた。ただ、靄っていて、かの有名な称名の滝がバス
からは伺うことが出来ない:
http://village.infoweb.ne.jp/~fwix8221/Syoumyo_Taki.htm
ちなみに、称名の滝は落差が日本一である。その割に有名でないのは、信仰の
対象となっているため、観光目的のための宣伝は積極的に行っていないからであ
る。
旅行を終え、みんなバスの中でグッタリしていて、沈黙気味だった。黒部にあ
るかの黒四ダムを見物し、しかもきつい階段を踏み締めて展望台の上にまで立っ
たのだから疲れきっているのも、無理はない:
http://www.toyama-net.com/inheritance/the%20kuroyon/
登ったのは、小生(その頃、運動不足で太り気味の四十過ぎの冴えない男)と
若くピチピチした姪っ子(今や2児の母になろうとしている)、姉夫妻(当時、
五十歳近い)、小生の父母(当時、七十に届こうという年齢だった)というメン
バーである。
小生らはともかく、父母もが、険しいと表現したくなる階段を登り切ったのだ。
一番、顎が上がっていたのは小生だった。
余談が過ぎた。
さて、帰りのバスの中で、テレビが「ちびまる子ちゃん」をやっていた。その
時の物語の流れで、「大きな古時計」が流れてきたのだ。
近くの席に居るお袋も親父も年老いてきて、こうして家族で旅行する機会も減
るだろうなと、この曲を聴きながら、しみじみ感じてしまったのだ。思わず涙が
溢れてきたりして。
そんな記憶があるので、小生にはこの「大きな古時計」には、思い入れが深い
のである。
その「大きな古時計」が、今、平井賢のカヴァーの形ではあるが、ヒットして
いる。
今朝のテレビで、平井賢のカヴァー曲「大きな古時計」のヒットにちなみ、こ
の曲の誕生秘話をやっていた。雑誌とかにも書いてあるのだろうから、平井賢フ
ァンならずとも、この曲について既に詳しい人も多いのだろう。
原曲は、Henry Clay Work氏(1832-1884)による、1878年の作品であり、
「Grandfather's Clock」というのが正式なタイトルである。
まず、この曲の歌詞を見ておいたほうがいいだろう。日本語に訳詞されたのは、
保富康午氏である(昭和37年)。彼は、原詩のninety years を語調(歌いや
すさ)の都合もあり、敢えて百年と訳している:
http://homepage1.nifty.com/cats/music2/clock.html
昭和の30年代にNHKの「みんなのうた」で広まったものである。
この曲の訳詞で、興味深いのは、一つは上記したようにメロディとの絡みで、
原詩のninety years を敢えて百年と訳したことであるが、もう一つ、大きな改
編が為されている。
あるいは、改編と言うより、日本的曖昧が施されているということかもしれな
いが。
それは、原詩の各連の終わりが、When the old man died.. と、おじいさん
が死んだということが、最初から明確に記されている。
ところが、日本語の訳詞では、「おじいさんと一緒にチクタクチクタク」して
いた時計が、「今はもう動かない その時計」とされ、恐らくはおじいさんも時
計と共に亡くなったのだろうけど、直接は明示せず、あくまで時計が今は動かな
いと書かれているだけだということだ。
詩を読んだり聞いたりすれば、ああ、そうか、と、分かるのだけど、しかし、
間違っても原詩のような「When the old man died..」という形を直接、訳すこ
とはしないのである。
あるいは、原詩の「My grandfather's clock was to large for the shelf
So it stood ninety years on the floor;」のように、かなり具体的で説明調
であり、時計が何処に放置されていたか、何故、床に放置されたのかが分かるよ
うになっている。そうした一切が、日本語訳では曖昧化されているのだ。
誤解しないで欲しいのは、小生は訳詩を非難しているのではないことだ。
そうではなく、現に多くの方に慣れ親しまれるような訳詞にすることで、日本
にも広く普及したのだろうということである。
参考に、「ジョージホテルでの「大きな古時計」誕生秘話」は以下で詳しく知
ることができる。それが原詩に相当に採り入れられていることが分かるだろう:
http://www.worldfolksong.com/gfc/text2/george2.htm
それにしても、今の時代、百年と言わないまでも、一人の人間の一生に付き合
ってくれる機械など、どれほどあるだろうか。パソコンは、性能アップという名
目もあって、十年だって使っている人は少ないだろう。
何でもかんでも、使い捨ての時代なのだ。
[マンションでさえ、日本では、せいぜい数十年での改築を前提にしている。日本の建築技術は、そんな程度のものなのか。百年以上が当たり前というイギリス並というのは、遠い夢なのか。(04/05/23 up時、追記)]
もしかして、そんな我々の姿勢が、逆にモノたちに復讐され、人間さえもが使
い捨ての憂き目に遭っているのではないか…、そんな迷想を抱いてみたりして。
腕時計を何十年と使っている人は、どれほどいるだろう。車も、せいぜい10
年か。ひどいのは、マンションである。日本の場合、築数十年(それも三十年、
四十年、五十年である)で、中古であるだけでなく、耐用年数が尽きるというの
だ。ヨーロッパ(特にイギリス)のように百年、二百年も大切に先祖代々受け継
がれてきたのが自慢というのとは、ほど遠い。
日本の建築技術は、それほどに低劣なものなのか。悲しいことだ。せめて百年
は住めるように出来ないのだろうか。あるいは、日本人の飽きっぽい性分の故に、
未だ住めても改築するか、あるいは建て替えてしまうということなのか。
きっと(半分は願望なのだが)これからは、一度買ったものを大切に扱い、ど
れほど長く持たせたかが自慢になる日が、日本にだって来ることだろう。
ちなみに、小生が一番、持たせている機械は、目覚し時計である。大学入学の
時に、大学の生協で買ったもので、今年の春に30年となった。
我が郷里の家の柱時計は、十数年の昔、既に代替わりしている。
もし、仮に、小生がガキの頃に初めて見たテレビ、あるいはその前に居間に鎮
座していたラジオがあれば、そしてあの頃、居間の柱に掛かっていた柱時計があ
ったならば、どれほど懐かしい気持ちになることだろう。
02/09/07 記
