演歌の迷い道

 
 東京オリンピックが開催された当時、小生は小学校の4年生だった。ガキの頃から家 の手伝いは遊び半分というか冷やかし程度しかしなかった小生は、子供の頃は日の暮れ るまで外で遊びまわったという記憶しかない。
 遊びといっても、当時のこと、縄跳びやら鬼ごっこやら、缶蹴りやら、チャンバラご っこやら、そういえばパッチン(違う地方ではメンコとか呼ぶらしい)とかで、とにか くカネの掛からない遊びばかり。
 一番カネの掛かるのが草野球のボールとかバット、グローブとかだったかな。でもバ ットとかグローブはみんなで使いまわしできたし、一度買えば少しは持つわけで、何故 か負担に感じていたのはボールだったような気がする。
 きっと、ボールはしょっちゅう、何処かの怖い小父さんの庭先やら池やらに飛び込ん でしまって探し回る羽目になったし、なんといっても破裂して使い物にならなくなって しまうわけで、結局のところ、ボールを買わざるをえず、それが日々の悩みだったのか もしれない。
 そうした野球少年であり、"遊び人"だった小生は、実は一方では演歌少年だった。あ るいは歌謡曲っ子だったと言っていい。物心付いたときから人前を憚らずにラジオや、 やがて東京オリンピックが近づいた頃だったかに家にやってきたテレビから流れる歌の 世界に没入していた。
 何かの折にみんなと遊びはぐれた時、一人で誰もいない小学校のグラウンドでプール のブロック塀に向かって、ボールを投げては拾いを繰り返したりするのだが、それに厭 きると家に帰ってテレビに齧りついてしまう。手元には漫画の本が必ず置いてある。た まには自分で買うのだが、ほとんどが当時、盛況だった貸し本屋さんで借りた漫画の本 であったように記憶する。  多分、テレビでは鉄腕アトム(最近、何かの雑誌で連載が始まったとか聞いている) や鉄人28号とか、あるいはエイトマンとかを見ていたはずだが、しかし、同時に例えば 日曜日の夕方に放映される"シャボン玉ホリデー"は毎週、欠かさず見ていた。否、聞い ていたというべきか。
 確か、当時もその前に夕方の6時から"サザエさん"も放映されていたはずで、その後 の6時半からが"シャボン玉ホリデー"の時間帯だったはずだ。
 クレイジーキャッツやらザ・ピーナッツやら、さらには布施明に中尾ミエとか伊東ゆ かり、あるいは園マリとかがレギュラーのように登場していたという印象がある。
 番組の始まりの曲は今、忘失したが、終りに流れるギター一本によるスターダストの 演奏でのエンディングは、妙に惹き込まれるものがあったのは何故だろう。それほど自 分に音楽心があったとは思えないのだが、ザ・ピーナッツとクレイジーキャッツのハナ 肇とのギャグの後の静かな曲の演奏で、祭りか宴の後の寂しさという感覚が子供の心を も捉えたのだったろうか。
 口唇・口蓋裂で生れた小生は、その整形手術もうまくいかず、歪んだ顔の持ち主であ る自分を物心付く頃に発見した。
 だからというわけではなかろうが、自分には人並みの人生はありえないのだと、早す ぎる結論を自分に対して下してしまった。人生なるものは自分にはありえないものだっ た。それは遠くの木の陰から祭りで騒ぐ人々の喧騒を眺めるようなもの、あるいは凍り ついた篝火(かがりび)を眺めているようなものだった。
 保育所時代のある日、自分は人生を諦めてしまった。つまり自分を放棄したのだ。
 あるいは、自分は人生が怖かったのかもしれない。あまりに遠く離れた世界に踏み迷 ったために道を辿り直すことができなくなっていた。否、勇気がなかっただけなのかも しれない…。
 だからこそ、小生は歌の世界を必要としたのかもしれない。
 小学校の終りから中学に入った頃に『君といつまでも』を始めとして加山雄三の映画 "若大将シリーズ"が流行っていた。小生は身の程知らずにも加山雄三に、あるいは加山 雄三的世界に憧れた。
 恐らくはその憧れの念は誰よりも強かったのではなかったろうか。
 何故なら自分には決してありえない遠い、遠い世界、でも切望してやまない世界なの だったから。
 だから、歌いながらその世界に没入しつつも、しかし、自分には一生、無縁の世界な のだなという醒めた思いが脳裏にしっかりと居座っていた。
 そうして自分という人間の中に鬱屈した、どこか倒錯したとさえ誤解されかねない歌 の世界が創出されたのである。
 歌は一体、何を歌っているのだろう。歌を聞くこと、そして歌うことで一体、何が現 前しているのだろう。
 幻想?
 そう言い切れるなら話は簡単なのだけれど。
 自分を諦めたと述べた。しかし話がそれだけで済む筈がない。人の人並みに暮らした いという願望は強烈なものなのである。人の視線に苦しみながらも、幾たびかの哀れみ と蔑みの目を感じながらも、自分は表で遊ぶことを選んだ。
 そう、外で遊びたかったのだ。ただ、それだけの純粋な渇望の念が小生を表に引きず り出してくれたのだ。
 それでも自分が住む場所は当時は田舎というのか田園地帯で村から町に変わって間も ない頃だった。だから行き逢う人も、大概、見知った人ばかりだった。
 心中、みんながどのように思っていたとしても誰も優しく接してくれた。その優しさ が自分の、まともな人間ではないのだ、だから必要以上に優しくしてくれるのだ、とい う形で逆に自分のプライドを傷付けていくことになったとしても、とりあえずは波の立 ち騒ぐことはなかった。
 でも、街に出ると…。
 小生は父に連れられて何処かへ出かけたという記憶が一つもない。
 が、母は母の郷里へ向かう時にも、あるいは繁華街の中心にあるデパートに出かける 時にも、"平気"で小生を連れ出してくれた。
 バスに乗ること、そしてデパートへ出かけることは小生には地獄へ叩き込むという宣 言と同じことを意味した。
 バスに乗るというのは見知らぬ人の目線に自分の顔を晒すことだった。それは他人の 視線という鏡に、衆目の面前で自分の顔をつくづくと眺めることを意味した。
 そしてデパートに出かけるということは、バスに乗ること、それに加えて鏡とガラス と白い壁と照明の世界に自分を放り出すということ、無数の容赦のない視線の洪水に飛 び込ませるということだった。
 自分はガラスの笹舟、落下しつつあるビー球、剥き身の心だった。
 デパートから外へ出る頃には小生はへとへとになっていた。誰が何をしたというわけ ではない。ただただ、自分で自分という人間の罠に嵌っただけだったのだ。
 けれど、自分の心は無数の視線という刃に切り刻まれるのをいかんともすることは出 来なかった。無数の視線はガラスや鏡や白く塗りこまれた壁にぶつかり、乱反射を繰り 返し、自分という人間にも、さらには殻に閉じ込めようと懸命の小生の心のどんな透き 間をも決して見逃さずに進入し、突き刺さってくる。
 ダラダラと血の涙が流れていた。神経がズタズタになっていた。体の表面も、そして 心の表面も力の限り固くして外界の一切から身を、心という身を守ろうと懸命に努めた のだけれど、いつもその甲斐はないのだった。
 でも、そうした地獄を幾度となく潜り抜けさせてくれた母には感謝の念しかない。
 なぜなら、そうした地獄をサバイバルすることなしに、多少なりともの社会性を持っ た人間にはなれなかったろうから。
 母がどんな気持ちで自分を<外の世界>へ連れ出してくれたのか、聞いたことはない 。ただ、自分が勝手に感謝しているだけである。あれ以上の地獄はありえないと確信さ せてくれたのだ。
 平気で(平気を装って)街を歩くことを、街を歩くことを避けない人生を小生に選ば せてくれたのだ。
 どんな子であっても、平気で素知らぬ顔で街中を歩くこと、そうした通過儀礼を経る ことなしに社会は遠いままなのである。
 さて、しかし、それでも、気が付いたら自分の心は石のようになっていた。何を見て も何を体験しても何も感じることのできない枯れ果てた心になっていた。干からびてパ サパサで、視線という太陽にまともに照射され過ぎて、水分の一滴だに失われてしまっ たのである。
 石の心、凝り固まった心。その心の中に僅かに鳴り響きえるのが歌だったのだ。自分 には歌しか慰めになるものがなかったのだ。
 が、その歌は、しかし、一体、何なのだろう。歌を歌うことで、自分が自分の人生を 生きることを諦めた代償を得ているだけではないか、という疑念は、悲しいことに自分 にずっと付き纏うことになったのである。悲しい堂々巡りがそこにはあるような気がす る。
 さて、これから先は、実際に聞き、又、実際に歌った演歌や歌謡曲、ポップスなどの曲を具体的に採り上げながら、その歌の世界への思い入れを含めて、小生の心の奥で思い描いた世界を辿ってみよう。
(6月17日制作)

西田佐知子篇

 
 歌謡曲って何だろう。何か今では古びた、時代遅れの音楽って受け止め方が普通なの かもしれない。
 でも、仮に歌謡曲をその時代に一番受けている音楽って性格付けをしたなら、流行の 音楽は全部、ジャンルに関わらず歌謡曲ってことになる。
 遠い昔、後白河法皇が撰述した『梁塵秘抄』だって「今様」の集めたもので、「今様 」の意味するところは、その時代に流行った歌謡のことなのである。
 今様は多くは当時の女芸人が宴席で歌ったものとされていて、それが次第に広まった ものらしい。後白河法皇はその今様の大ファンで、ガキの頃から身辺に女芸人を次々に 召し寄せては今様を習得し、やがては「自らが今様界の第一人者と仰がれるほどの歌唱 力を身に付けた」という(『新潮日本古典集成 梁塵秘抄』の解説を参照した)。
 無類の権謀術数家で平家の世から源氏の世まで巧みに生き延びた後白河法皇は、また 無類の歌舞音曲好きであり、かつ女好きでもあった(孫娘をも褥の中で寵愛したほどで ある)。
 ま、とにかく小生としては歌謡曲をもっと評価したいし、きっと21世紀に数多くの 所謂歌謡曲が残るものと信じているのである。
 さて、小生の少年時代に遡ると(小生は1954年の生れ)、それまでザ・ ピーナッツを初め、数多くの歌謡曲・演歌に既に親しんできたが、やはり思春期の頃の 音楽が一番印象深いのは自然といえば自然なのだろう。
 その代表格は、何といっても西田佐知子である。最近、井上揚水のカバーでヒットし ている『コーヒー・ルンバ』(以前、荻野目洋子だったかがカバーしたことがあったは ずだ)や『アカシアの雨がやむとき』そして『女の意地』など数々の名曲がある。そう 、『赤坂の夜は更けて』『涙のかわくまで』『東京ブルース』などなど。
 『アカシアの雨がやむとき』は'60安保のテーマソングだったという話もあるが、 実際にヒットしたのは62年で、翌年その頃の通例で流行った曲を題名に使った映画 も封切られている。結構、評判のいい映画だったらしいが、小生は残念ながら見ていな い。
 西田佐知子が一般に知られるようになったのは、62年の初頭に『コーヒー・ルンバ 』がヒットチャートの上位にランクされることによってらしい。が、小生の感じやすい 心に沁みたのは、やはり極め付きの『アカシアの雨がやむとき』である。
 西田佐知子の決して力まない歌いぶり、にもかかわらずハスキーな鼻声が小生の胸の 奥から浸透してくるようで、小生は生意気にも惚れてしまったのである。実際には腰を も揺さぶってくれた(意味は察して欲しい)。今でも女性で理想の人をと問われたなら 密かに西田佐知子と答えるだろう。但し、小生にとって西田佐知子は大切な胸の奥の人 なので、実際には別の無難な名前を挙げるだろうけれど。
 けだるいような、けれど何処か理知的な大人の女という感じがたまらなかったのであ る。
 だからであろうか御多分に漏れず小生も巨乳の女には目を惹かれるのだけれど、惚れ るのは何処となく病を押し隠しているような痩せ気味の、髪の長めの、そして肌の白い 女性に限られたようである。
 小生は、しかし、そんな理想の女性には一生めぐり合えないだろうと、西田佐知子を 見て思い込んでいた。実際、そうだったけれど、それは単に運に恵まれなかったという ことではなく、もっと幼い頃からの鬱屈した性癖の故だったのだと自分なりに納得して いる。
 それはその2年後だったかに発売され、翌年に大ヒットした加山雄三の歌(の世界) に対しても同様なのである。
 つまりは、小生のような根性の曲がった人間にはまともな人生はありえないと、幼い 頃、恐らく物心付いた頃に思い込んでしまっていたからだ。
 加山雄三の『君といつまでも』『夜空の星』『銀色の雨』『旅人よ』など、どれをも 密かに胸の中で歌っていたが、それは遠い世界を、近づくことはありえない憧憬の世界 を空想の中でのみ希求する世界を開放する意味で、自分が歌うことを許していたのであ る。あまりに加山雄三の世界は健康的で開放的で、つまりは自分的ではなかったのだ。
 そのやや違った座標軸の上でだが、西田佐知子の世界も小生には遠い世界だった。何 も小生がまだ小学校の終りくらいで、幼すぎたからという意味ではない。自分には女性 との相思相愛の仲というのが全く現実味を感じられなかったからである。
 けれど、それでも、出来そこないの小生でも、西田佐知子の大人の女ならありのまま の自分を受け入れてくれるのではないか、という幻想までも拒否することはできなかっ た。
 が、ある日、西田佐知子は結婚してしまった。それも関口宏氏とである。全く納得で きなかった。承服し難い気分だった。よりによってあんな奴と(失礼、これはガキの頃 の正直な気持ちを綴っている。実際には小生は関口宏氏という人物をテレビを通して以 外、知る由もない)!
 小生は落胆したのである。惚れた女が、何であんな男につかまってしまったのか…( これまた失礼。実際には西田佐知子が関口宏氏に惚れたのかもしれないし、小生にホン トの事情が分かるわけもない)。
 というわけで、関口宏氏と結婚して引退した西田佐知子は最早、スポットライトの前 で歌うことはなくなってしまった。最後は惚れた女に愛想尽かしをされたような形にな ったが、彼女の歌は小生の胸に一生、残ることは間違いないだろう。
(6月30日作)
余談:
「コーヒールンバ」井上陽水(フォーライフ)¥1223
 既にかなりの売れあげを記録しているので周知の事実だろうが、上記のレコードに
小生の好きな西田佐知子の「コーヒールンバ」と加山雄三の「旅人よ」とが一緒にフ
ィーチャーされている。しかもペギー葉山の「ドミノ」もが入っている。
 この「ドミノ」はペギー葉山の歌う歌の中でも小生の好きな曲である。ペギー葉山
というと「学生時代」が有名だ。流行った当時でも、小生は何処か気恥ずかしさを胸
に覚えつつ密かに歌っていた記憶がある。舟木一夫の「高校三年生」もそうだが、ま
だ学生生活など遠い先のことだったのに、しかし、学生生活への憧れの心を擽られた
し、それ以上に、多くの同年代の者には正面きって学生時代を、つまり青春を歌い上
げるなんて、こっぱずかしいし、気恥ずかしいし、表面は内心の正直な思いに目をつ
ぶって、冷淡を装う中、自分もそうした空気に乗っていた。
 しかし、実は結構、おセンチになって歌っていたのである。が、ペギー葉山のファ
ンというわけでは必ずしもなかった。その中で「ドミノ」は素晴らしい歌で、「学生
時代」とは違って、歌い上げるのではなく、あくまでバラードソングなのである。
 上記の盤には以下の曲が入っている。それにしても井上揚水は今、何故、カバーソ
ングを歌うのだろうか。
 ま、そんな素朴な疑問など関係なく、彼の歌の世界を楽しめばいいのだろうが。
           1)「コーヒールンバ」(西田佐知子)
           2)「星のフラメンコ」(西郷輝彦)
           3)「ドミノ」(ペギー葉山)
           4)「旅人よ」(加山雄三)
 参考に小生の大好きな加山雄三の曲、「旅人よ」の歌詞を以下に示しておこう。言
うまでもないだろうが、弾 厚作というのは加山雄三の作曲の時のペンネームである。

    岩谷時子 作詞
    弾 厚作 作曲

    風にふるえる 緑の草原
    たどる瞳輝く 若き旅人よ
    お聞きはるかな 空に鐘が鳴る
    遠い故郷にいる 母の歌に似て
    やがて冬が冷たい雪を運ぶだろう
    君の若い足あと
    胸に燃える恋もうずめて
    草は枯れても 命果てるまで
    君よ夢を心に 若き旅人よ

    紅い雲行く 夕日の草原
    たどる心やさしい 若き旅人よ
    ごらんはるかな 空を鳥が行く
    遠い故郷に聞く 雲の歌に似て
    やがて深いしじまが星を飾るだろう
    君の熱い想い出
    胸にうるむ夢をうずめて
    時は行くとも 命果てるまで
    君よ夢を心に 若き旅人よ
    んんん んんん・・・

 ところでこの岩谷時子という作詞家も素敵な曲(歌詞)をたくさん供給してくれて
いる。彼女は越路吹雪のマネージャーを務める傍ら、作詞活動を行ったらしい。訳詞
なども多く手掛けているという。
 ザ・ピーナッツの「ウナ・セラ・ディ東京」(「東京たそがれ」をイタリア語で言
い換えたもの)や、岸洋子が歌った「夜明けの歌」(作曲はいずみたく)、園まりの
「逢いたくて逢いたくて」、加山雄三の「旅人よ」の他、「君といつまでも」も岩谷
時子の作詞である。彼女の作詞家としての仕事も膨大で、ここでは敢えてメモ書きに
留めておく。
 ザ・ピーナッツについては後日、是非、項を改めて語りたい。畢生の女性コンビ歌
手のハモる歌や姿は今後も語り継がれるに値すると小生は信じている。参考にザ・ピ
ーナッツのファンの広場サイトを示しておく。
   http://www.interq.or.jp/world/gracenet/peanuts-holiday-top.htm 

(7月3日記す)