虚構の欠片(断片二篇)

 
[ ここに掲げる二篇は、いずれも、そこそこの長さの短篇に仕立てるつもりでいたもの。だから、それぞれの末尾に(続く……かも)なんて、書いたのだけど、続かなかった…。小生のパソコンのフォルダーに入れっ放しも哀れなので、ちょっとだけ顔見せです。 (04/05/17 up) ]
 


                              
1.雨ったれ  

2.蛇 神  



1.雨ったれ  





           あれはもう遠い昔のことだ。高校生活にやっと慣れた頃、記憶では中間テストが終わって、ほっとしていた時期だった。ボクはやっとの思いで彼女にデートの約束を取 り付けた。
 もっとも、彼女にすればデートじゃなかったみたい。暇だったから? それ ともただの好奇心? もしかしたら断るのが面倒だったからかもしれない。とか く噂の多い女の子だったのだ。
 でも、そんなことはどうでもいい。明日は彼女に会える。彼女と二人きりに なれる。ボクは有頂天だった。ダメ元で「ねえ、今度の休み、付き合ってくれ ない」とデートを申し込んだら、びっくりするくらいあっさり彼女はOKして くれたのだ。
 申し込む時の緊張感は今もはっきり覚えている。

 彼女は掛け持ちで幾つかのクラブのマネージャーをやっていた。というか、 いろんなところに気軽に首を突っ込むのが好きだったようだ。どんな男子生徒 の集まりにも、すっと入っていって、数分もしないうちにずっと前からその仲 間だったような雰囲気を漂わせる。男の子には美人の彼女は人気があったが、 女友達が彼女にいるようには見受けられなかった。
 女の子には嫉妬されている?
 一方、ボクはというと、高校生になっても、何処のクラブにも所属しない、 所謂、帰宅部だった。彼女とボクとは、月とスッポンという取り合わせだった。 それは自分でも分かっていた。余程のきっかけがないかぎり、きっと、ずっと ボクは彼女を遠くで見詰めるだけだったろう、そう思っていた。

 あの日は、掃除の当番だったのか、たまたま教室に彼女がいた。ボクは、彼 女の追っ駆けみたいになっていた。ボクは例によって彼女に話し掛けられずに、 帰り支度をダラダラとしていた。彼女が居残っている以上、帰るに帰れなかっ たのだ。
 不意に彼女は、「ねえ、今度、野球の応援に行かない」と話し掛けてきた。 ボクには晴天の霹靂だった。えっ、いきなり、どうして? と事態が飲み込め なくて返事も出来なかった。そんなボクにお構いなしに彼女は続けた。
「今度、野球部の決勝戦でしょう? 絶対、応援しなくちゃね。ね、一緒に行 きましょう」
 彼女にすれば、一緒に行く相手が誰でも構わなかったのかもしれない。が、 ボクにすれば、なんだか思いがけない幸福の女神か天使が舞い降りた気分だっ た。ボクを、このボクを彼女は選んでくれた!
 が、ボクは断ってしまった。
「せっかくだけど、野球には興味ないし」
 なんで、あんな返事をしたんだろう。野球には興味がないって、正直な気持 ちそのままに答える必要などまるでないじゃないか! 大切なのは、野球見物 じゃなくって彼女なんだろう!
「あ、そう」
 彼女はあっさり、引き下がった。その淡白さにガッカリした。ボクである必 要なんてないんじゃないか…。都合が付けば、他の誰でもいいんじゃないか…。 ボクは、せっかくの幸運をちんけな僻みっぽさでふいにしてしまったのだ。全 く以って、持てない男ってのは、こうだから困る。
 彼女は、用事を済ませると、さっさと教室を出て行った。
 ボクは、薄暗くなった教室でありもしない片づけ仕事をして、そして心は虚 ろだった。
(なんてバカな奴なんだろう、俺って)
 そう、思ってみても後の祭りだ。世界が急に寒々しくなってしまった。なん だか全てが終わってしまったみたいだった。どうして自分の気持ちを素直に現 せないんだろう。ボクは、彼女が、好き、なのに。

 それから何日か経った或る日、また、彼女と教室で二人きりになるチャンス があった。さすがに彼女は、ボクを誘う気配はない。といって、別に先日のこ とを気にしている様子もない。その淡々としたところが、また、ボクは寂しか った。
 でも、そんな場合じゃない。ボクは乾坤一擲の勇気を振り絞った。こんなチ ャンスがそうあるはずもない!
「ねえ、今度の休日さ、何か予定ある?」
 ボクに振り返る彼女の目。揺れる髪。白い肌。あれほどあちこち歩き回って いるのに、どうして彼女は日に焼けていないんだろう、そんな場違いな疑問が 浮かんだことを覚えている。
「えっ、わたし? ないわよ」
「あのさ、よければ、付き合ってくれない」
「でも、何故?」
「いや、ちょっと、話があるし」
「ふーん、うん、いいわよ」
 あまりにあっさりとOKをくれた。

   約束の日は、夜来の雨が降り続いていた。でも、天気のことより、駅裏の路 地にある約束の場所に向かいながら、ボクは最後まで彼女が来てくれるかどう か心配だった。
 が、指定した公園に行くと、セーラー服姿の彼女が先に来て待っていてくれ たのだ! ボクには信じられない光景だった。ボクを待つ女性がいる。このボ クを待つ女性がいる。
 しかも、その女性というのはボクの憧れの彼女。男の子なら誰もが気にかけ る彼女が、公園の端の物置の庇で雨宿りしている。あの子の心には、少なくと も今はボクがいるんだ。
 ボクは、嬉しすぎて何だか逆に顔から表情が消えたような気がする。喜びを どう表現していいのか、まるで分からない。素直に表に出せばいいのだけど、 もしかしたら狐に馬鹿されれている、そうでなかったら、何処かの物陰から彼 女の彼氏とかが現れて、ボクを脅しつける…、そんなバカな心配ばかりが先に 立っているのだった。
 それどころか、こんな光景が信じられなくて、しばらく待ちながら、交差した足元を眺め下している彼女の姿を見呆けていたものだった。本当なのだろうか?! 彼女がボクを待っているなんて。
「あっ、待たせちゃった? ごめんね」
「ううん。わたし、人を待たせるの嫌いだから、勝手に早く来ちゃったの」
 そしてボクたちは(ああ、ボクたち!)傘を差して歩き出した。
 ボクは黒い傘。彼女は、ピンク色の傘。傘に打ち付ける雨の音が煩いような、 でも、二人を甘い孤独に閉じ込めてくれる不思議な音のシャワーに聞こえたりした。
「今日は、来てくれてありがとう」
「ううん、こちらこそ、わたしを誘ってくれて」
「忙しいんじゃないの、あれこれ誘われて」
(ああ、なんてつまらない質問。他に話は浮かばなかったものか)
「そんなことないの。休みの日はいつも、一人」
「へえ、じゃ、一人で何してるの?」
 ボクは心底、信じられなかった。男なら、誰も彼もが彼女を誘いたくてならないものだと思っていたのだ。
「何って、何にも。ただ、のんびり。雑誌を読んだり、編物したり」
「へえ、編物? 何、編んでるの?」
「秘密。ふふふ」
 ボクは、秘密という彼女の言葉に引っ掛かってしまった。誰か恋人へのプレ ゼントなのかと、どうしても飛躍した考えに至ってしまう。
 それからはボクたちは、ずっと黙って歩き続けた。住宅街を抜け、何処かの ビルのエントランスを訳もなく覗き込み、雨の中、ビニールの合羽姿でジョギ ングする男の姿を見送った。
 歩きながら、なぜか町の歓楽街を通る羽目になった時、ボクはやたらと心臓 がドキドキしていた。クラスの誰かがこの辺りのラブホテルを使ったという話 を聞いたことがあったのだ。ありえないこととはいえ、妄想が先走る。いや、 臆病なボクは、妄想さえもが萎縮している。
 でも、どうしてあんな場所を歩くことになったのだろうか。
 やがて、近くの川の土手を登って行った。土手は雨でぬかるんでいる。足元 が気になってか、難儀する彼女に手を差し出したいと一瞬、思ったが、出来な かった。対岸は水煙に霞んで夢幻のような光景になっていた。
 雨なんだから、何処かの喫茶店にでも入ればいいのだろうけれど、高校生は入って はいけない規則になっていた。だからって、雨の日によりによって舗装もされ ていない土手に向う必要はないはずなのに。
 でも、ボクには何もアイデアが浮かばなかったのだ。何もかにもがチグハグ だった。ただ、一緒に歩いていたいだけだったのだ。
「ねえ、話があるって言ったでしょ。何なの? 聞かせて」
 あまりに長い沈黙に疲れたのか、彼女は喋りだした。
「話? うん」
 そう言ったきり、ボクはまた黙り込んでしまった。ボクは、雨に靄ってうっ すらと見える小高い山並みを眺めたり、雨のせいで濁流になっている川面を眺 めたりした。川には上流からビニール袋やら何かのポリ容器などが浮かんでは 沈みながら、流れ去るのが見えた。なんて、情緒のない川なんだろう。
 長い長い土手の道を何処までも歩いた。ボクはただ、彼女と一緒にいたいだ けなんだ、そのことが嬉しいんだ。でも、彼女はそうじゃない、話があるから 付き合っているだけ…、そのことに拘り、ボクは勝手に寂しがってみたりした。
 そのうち、土手が橋に行く手を阻まれて、ボクたちは土手を降りて、見知ら ぬ町の路地を分け入った。ボクはまるで貝のように押し黙っていた。
 彼女も黙り込むしかなかった。やがて、目の前に神社が見えた。自然とその 境内に入っていった。彼女は社の階段を登り、ポケットから小銭入れを取り出 して、賽銭箱にお賽銭を放り、鈴を鳴らした。
 手を合わせる彼女の後ろ姿を見て、ボクは初めて彼女が何だか寂しい人なの だと直感した。誰とも気軽に付き合う彼女は華やかそうに見えて、実は孤独な 人なのかもしれないと感じた。
「ねえ、何、祈ったの?」
「秘密」
「秘密?」
「うーん、でも、話をしてくれたら教えてあげてもいい」
 そういって、彼女は悪戯っぽい目をして微笑んだ。そんな表情を見るのは初 めてのような気がした。彼女が親しく感じられたのは、その時が初めてではな かったろうか。
「話? 話か…」
「そうよ、だって、話があるから誘ってくれたんでしょ? きちんと話してく れなくっちゃ」
 ボクは勝手にオレの気持ちなど、とっくにお見通しだろと言いたい気分だっ た。ボクがキミのこと、好き! だから、だから誘ったんじゃないか、その他 に会う理由などあるはずがないじゃないか…、そんなことわざわざ言えって言 うのか?! でも、彼女は、ハッキリ言うことを求めていた。
 彼女と<デート>し始め、一緒に歩き始めて何時間が経ったろうか。歩くし かないだなんて、なんて不器用な、愛想のないデートなんだろう。それもこれ もボクのせいなんだ。
 彼女は、本殿の階段に腰掛けながら、ボンヤリ遠くを眺めていた。もう、不 器用なボクにうんざりしているようにも思える。ボクはさすがに焦り始めてい た。そうだ、気持ちは言葉で伝えなくっちゃいけないんだ!
「話…。あの、ボク、キミのこと、好きなんだ」
 やっとの思いでそれだけポツリと言った。言ってしまった。喉がカラカラだ った。それ以上の科白など、何も浮かばなかった。浮かんでも喋れなかったに 違いない。
 彼女は、ふっと微笑んだような気がした。が、すぐにダンマリを決めていた 時の無表情に帰ってしまった。それでも、しばらくして、
「ありがとう、嬉しい。そんなこと言われたの、初めて」
 ボクは舞い上がっていて、彼女の言葉の意味などまるで理解できなかった。 とにかく気持ちを伝えたんだ。
 雨は相変わらず降り続いていた。空はどんよりしていて、今日一日、降り止 みそうにない。でも、いいんだ。このまま二人きりで居られる。こんな雨の降 りしきる中、誰も参拝にも来ないだろうし。
 雨は甘い孤独をくれていた。雨の音が心臓の鼓動のように聞こえる。それは 胸の高鳴り。弾む心。あまりの嬉しさに我を忘れそうになるボクの気持ちを鎮 めてくれているようでもあった。
 彼女からは、ボクへの思いなど何も聞くことができなかった。というか、彼 女がボクをどう思っているのか、実は一度も確かめられなかったことを、ボク はずっと後になって気がつく始末だったのだ。
 あの寂しげな笑みは何なんだろう、それだけが気掛かりとして残った。
 が、ボクは、そんなことより、彼女が付き合ってくれることのほうがはるか に嬉しかった。信じられなかった。多くの男子生徒の噂の的の彼女が、今、ボ クの側にいる。一緒の時を過ごしている。口だって利ける。
 ボクは、その日、二人のデートがどのように終わったのか、さっぱり覚えて いない。覚えているのは、その日の夜、雨のトタン屋根を叩く音を寝床で聞き ながら、甘い夢を見ていたことだけだ。

(続く……かも)

03/09/21 作




2.蛇 神  






  俺は蛇の野郎に追われていた。
 何処へ行っても奴は現れるのだった。
 こんな旅などするんじゃなかったと後悔しても遅い。
 山間(やまあい)の寂れた宿に泊まって、深い地の底から湧き出した湯に身 を沈めよう、ゆっくりと溜まった垢を流そう、そんな俺に似合わぬ思い付きな ど、いつものように嘲笑っていればよかったのに、つい、何故か、妙に里心と いうのか、この辺で後ろを振り返ってみるのもいいかと思ってしまったのだ。
 それが間違いだった。
 人気のない改札口を出た。駅員さえもいない、朽ち果てかけている殺風景な 駅舎だった。数年前だろうか、板塀に上塗りされた白いペンキが剥げかけてい る。駅舎を出ても看板一つ立っていないのだった。
 何か背筋がゾクッとするような妖しい感覚が過ぎった。標高が千メートルを 超えているせいにだと気にはしなかったのだが、もしかしたら俺の体はもう、 何事かを予感していたのかもしれない。
 背後からレールの軋む音が聞こえてきた。たった一人の乗客を降ろした電車 が折り返し、去って行ったのだ。俺は見捨てられたような気がした。
 いや、でも、俺は日頃、町外れとはいえ、ビルの一角で事務仕事をやってい る。書類の山に埋まるようにして働いている。上司や部下はいるのに、何故か 俺だけが電話に出る。大抵は通信販売で売った商品についての苦情だ。俺が悪 いわけじゃない。碌でもない物を売る会社が悪いんだ。それとも、パンフレッ トや広告を見たら、ひと目で胡散臭い商品だと気付かない客が悪いんだ。俺は、 ただ事務仕事をこなしているだけなのだ。そもそも何を売っているか自体に俺 は関心を持ったことがない。何を売ろうと同じじゃないか。どんな商品だって 完璧なものがこの世にあるはずがない。結局のところ、買ったものに不満を覚 えるのは必定なのだ。
 何かを買う、買って使うか食べるか飲むか飾るか誰かに遣るかする。そして 月日の経つうちに錆びれたり、不具合があったり、もっと新しいものに目移り する。そんなこんなを繰り返すうちに人生は過ぎ去っていくのだ。それでいい じゃないか。何が問題なのだ。何かを買うとは、己の時間を蕩尽すること以外 に、どんな意味があると言うのだ。
 でも、俺は客の苦情を承る。長々と話を聞く。先方が受話器をガチャンとや る頃になって、やっと客が何を買ったか、何に不満なのかに思い至る。なんだ、 そうだったのか、それだったら最初からそう言ってくれればいいのに、と思う。  その繰り返しである。
 だからこそ、俺は電話もないような村はずれのような場所に憧れて、やって きたのだ。携帯電話も置いてきた。俺がここにいることは誰一人知らない。
 尤も、俺が何処に住んでいるかを知っているのは町にある時にしても、会社 にある住所録だけで、この世に俺の住処を知る奴など、一人もいないのだけど。  ロータリーもない小さな駅舎の前に立ち、途方に暮れた。一体、どっちへ向 かえばいいのか。売店もなければ案内板もない。それどころか、生活の臭いが 欠片もしないのである。
 人気がないだけではなく、犬も猫もカラスもハトも、地面を眺めてもアリ一 匹さえ見当たらない。そうだ、生活臭どころじゃない、生命の存在を伺わせる ものは何もないのだった。
 けれど、目の前には鬱蒼と生い茂る森があった。駅舎を呑み込みそうなほど に深い森なのだ。じっと立っていると、本当に次第に森がジリジリと迫ってく るような気さえした。俺を駅舎もろ共に飲み干しそうな予感さえ漂った。
 そのうち、ようやく俺はこの周辺の空気に慣れてきたのか、森の一角が僅か に開いていることに気付いた。もう、その空間に飛び込むしかなかった。緩慢 な動きの津波のように森が圧し掛かってくるのだ。俺は逃げるように、まるで 命からがらといった風情で、そのモーゼが分けた洪水の中の道を辿った。
 何か背後に冷たい影を感じて振り返った。すると、すぐそこに蛇がいたのだ。 駅舎が蛇の頭に成り変っていた。とっくに遠くに去ったはずの電車が大蛇の長 い長い胴体だった。乗った時から、奇妙な絵柄の電車だと思ってはいたが、ま さか大蛇の胴体だったとは、思いも寄らないことではないか。
 改札が真っ赤な口だった。大きく口を開けて、俺を呑み込もうとする寸前だ ったのだ。
 俺は逃げるようにして、森に飛び込んでいった。森の中に射し込む太陽の光 が道なき道を照らし出していた。その小道は陽光に浮かび上がるように森の奥 へと続いているのだった。
 どれくらい駆けただろうか。息も切れていた。さすがにもういいだろうと後 ろを振り返った。が、すぐに後悔した。俺が駆け抜けてきたはずの道は森の深 い闇に呑み込まれて、そこには何もないのだった。打ち上げられた波が、砂の 浜に染み込んでいくように、道は通り過ぎた先から闇に沈み込んでいくのだっ た。
 あるのは静かなる闇と俺の足元の日溜りのような空間だけだった。

(つづく......多分)

03/05/28 作