「君はさ、幽霊って信じる」
いきなりの質問だ。といっても、それが彼の癖みたいなものだ。彼だけに流れる
リズムがあって、どうやら突然、疑問が浮かぶらしいのだ。いつもマイペースの彼
は、疑問が浮かぶと我慢できない性質だ。そばにいる誰彼に質問をぶつける。
今日の彼の質問癖の犠牲者は俺だということ。
「ゆ、幽霊?」
「うん、幽霊。この世の中に存在すると思う? 存在すると信じてる?」
幽霊のことなど考えたことなどない、と言うと、ちょっとばかり嘘が混じる。で
も、真剣に考えるわけもない。こんな時は、逃げるが勝ちである。相手に同じ質問
を投げ返してやればいいってわけだ。
「そういうお前はどうなんだ、信じてるのか」
「僕か? 僕は信じてるさ。存在しないわけないよ」
「へえ、信じてるだけじゃなくて存在しないわけないだなんて、やけにハッキリ断
言してくれるじゃないか。どうしてだよ。信じてるってだけなら、分からんでもな
いけど、存在するって決め付けられると、なんだか問い詰めたくなるな」
俺たち二人は、居残りの仕事を終えたばかりだった。事務所でお客の問い合わせ
に四苦八苦したものだから、やっと開放されてホッとしたというより、脱力感で一
杯だった。もともと俺は夏バテなのか、今日は体調がすぐれなかったのだ。
が、頭がボーとしているのは、俺だけのようだった。彼は、仕事の興奮が覚めや
らないという感じなのである。そういえば、電話で相当、激しい遣り取りを交わし
ていた。顔を真っ赤にして、怒り心頭に達するのを懸命に堪えていたのが、傍にい
ても察せられたものだ。
まさか、客と幽霊談義でもしてたのだろうか、それで今になって俺に質問をぶつ
けているのか。まさか。
俺たちは街灯の弱々しい町外れの道をトボトボと駅を目指して歩いていた。あと
一時間もすると、始発の電車が来る。駅のロータリーの噴水近くで屯(たむろ)し
ながら電車を待つのが、この頃の週末の習いになっていた。せめて土日は休みたく
て、金曜日の夜は時間に関係なく仕事する。
というより他の連中は早々と帰ってしまうので、俺たち二人が残って仕事を片付
けるしかないのだ。残業。でも、只働き。そんな不遇を共に味わっている。なんと
なく、俺たち二人には戦友みたいな気分があるのだった。だからこそ、夢想っぽい
彼の疑問にも付き合うって訳だ。
「あのさ、人間って何だと思う?」
「えっ、今度は人間かよ」
「いや、だからさ、人間って、やがて死ぬだろ。で、死んで灰になるとして、あと
には何も残らないのかなってことさ」
「そりゃ、だから灰だろ、骨だろ、何かの遺品だろ、運がよけりゃ財産が少々かな。
あと、何だろ…」
「ってことはよ、人間の気持ちのようなもの、魂なんて大袈裟なことは言わないけ
どさ、心というのかな、そんなものは消え去るってことか?」
「そうだろ。残るって思うのか。残るとして、何処に残るんだ。この世で浮かばれ
ないで漂ってるってか」
「だからさ、幽霊は存在するかって聞いたんだよ。あのさ、医学が発達して、血液
なんてとっくに輸血とかで他人と交換できるだろ。骨だって内臓だって、皮膚だっ
て、交換できるか、ま、そのうちに自分の細胞から人工の、それこそ免疫の…、そ
の…、なんだ、とにかく拒否の心配なしの、いいのができるわけだ」
俺はとっくに半分、意識が薄れていた。できれば道端にバタッと倒れこみたいく
らいだった。彼の言葉が分厚い壁越しの呟きに聞こえる。
「それがどうした」
「だからさ」だからさ、というのは、彼の口癖である。
「だからさ、ということは、その人がその人であるものって何なのかってことさ。
だって、みんな交換可能なんだろ。人工で作ることができるんだろ。遺品とか財産
の類いなんて、簡単に消えるし、盗まれるし、どっちにしても、死んだらあの世に
持っていけるわけじゃないし」
(ああ! こいつは当たり前のことを言っている。それがどうしたというんだ!)
意識朦朧としている俺は、自制心も利かないし、そのうち癇癪を起こしそうだっ
た。何だってこいつはこんなに元気なんだろう。何なら、頭をぶち割って、脳味噌
を覗いてみたいものだ。
その瞬間、俺の脳裏に閃光が走った。まさか、こいつは俺の過去を知っているん
じゃなかろうか。俺が消し去った女のことを。誰も知るはずもない、その女とのこ
とを当てこすってやがるんじゃなかろうか。
「ってことはさ、俺が俺である証拠って、どこにあるんだ? 身の回りの品なんて、
どれも代替可能だし、どっちにしても誰のものであってもいいわけだし、それが現
代じゃ、体まで代替可能で、要するこの体だって、たまたま俺が所有しているだけ
ってことじゃないか。じゃ、俺は一体、何者なんだ。そもそも肉体以外に俺ってあ
りえるのか?」
俺はもう、眠気と披露で吐き気がするほどだった。脳髄の奥がガンガン鳴り響いて
いた。やっと仄見える駅の赤い灯りが血の滲みに感じられていた。赤黒い滲みが脳髄
に伸び拡がって、やがてあの無様な格好で横たわる女の姿を思わせたりするのだった。
まさか、彼は女のことを探るために俺に近づいてきたのか。人嫌いな俺に親しく付
き合うのは、そのせいなのか。俺と奴とは仕事上の戦友だなんて、俺らしくないお笑
い種だったのか。
空は晴れている。気持ち、霧か靄が立ちこめている気もする。なのに、星が数え
切れないほど瞬いている。それは星の煌きというより、頭をハンマーで叩かれた瞬
間の赤い衝撃のようだった。月が山並みに姿を没している辺りには、光暈(こうう
ん)がワンワン湧き立っている。闇の底に微かに夜明けの予感が漂っていた。早く
帰って寝たい。何なら、そこらの公園で寝たって構わない!
「その肉体が、実は交換可能な仮初のものだとしたら、俺は一体、どこにいるんだ。
俺って何なんだ?」
(そんなことは、こっちが聞きたいよ!)怒りで、思わず叫びそうになった。
(今更、昔のことを持ち出すんじゃないぜ。もう、この世から消え去った女じゃな
いか!)このままじゃ、何が口を突いて出るか知れたものじゃなかった。
が、幸か不幸か、もう、気持ち悪くて言葉を発する元気もない。ただ、怒りとも
恐怖とも付かない情念だけが煮え滾っているようだった。頭の痛みがますます昂じて
いた。俺はフラフラして、倒れこみそうになった。壁か柱かに体を預けた。
睡魔が不敵な笑みを浮かべている。その手には、本当にハンマーが握られている。
睡魔という悪魔は、こんな格好をしているのかと、俺は初めて気付いた。今、元気
なのは奴と睡魔の野郎だけなのだ。あの日の俺もそうだったっけ…。
俺はとうとう我慢がならず、吐きそうになった。
すると俺の目の前に奴の姿があった。
「バカヤロウ、そこにいたら邪魔じゃないか、吐くぞ!」
俺は思わず奴を突き飛ばした。そして、思い切り吐いた。吐き出した。胃の腑の
中身を全て撒き散らした。赤いモノ、紫のモノ、黒っぽいモノ、脂っぽいモノ、何
か固そうな白っぽいモノ…。
…それから何時間が経ったのだろうか、ふと、俺は気がついた。
すると…、
道端には奴の腑抜けた体。電信柱にはペットリと人間の影。
02/07/07(22)
[本編は七夕の日に作ったものを、ネット友達のAYAさんの詩「純子」へのレスを意識して改編した作品です。小生がAYAさんのページのキリ番を踏んだ際、彼女に詩をリクエストしました。小生が彼女に課したテーマが「幽霊」です。AYAさんの詩「純子」は以下を参照してください:
「Memento-mori」
→「works」→「記念碑」→「純子」]
[本作品の続編として掌編作品「蜘蛛の巣」を書きました。参照願えれば嬉しいです。 (03/08/08 記)]

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