[ 本稿は、9月末に徒然なる侭に書き下ろしたもの。でも、忙しさにかまけてアップできないでいた。すると、あるサイトの掲示板で「垢すり」のことが話題に上っていたので、本稿が垢すりに無縁ではないこともあり、急遽アップすることにした。 (03/11/08 up) ]
昨日、車中でラジオを聞いていたら、ヘチマのことがちょっと話題になってい
た。但し、まともには聞けなかったので、どんなことを話されたのか、まるで覚
えていない。
どうしてヘチマが急に話題になったのだろうか。やはり今の時期に開花するか
ら? ヘチマが食用にされているってホント?
そこで、なんとなくヘチマのことを調べてみたくなった。
というのも、ヘチマという言葉を聞いた時、なんとなく懐かしい感覚があった
のだ。
何が懐かしいのだろう。ヘチマの料理。これは食べたことがあるのかないのか
自体も分からない。遠い昔、まだ田舎にいた頃に食べたことがあったのだろうか。
食卓に上ったことがあったろうか。
記憶には何も蘇ってこない。ただ、若い頃は、名うての偏食家の小生のこと、
食卓にあっても手は一切出さなかったことは断言できる(断言できてしまうこと
が悲しい)。
では、郷里を離れてから、ヘチマに接する機会があったろうか。
なかったことはないだろう。
が、小生の印象には残らなかったというだけのことなのだろう。
そもそも、町中で、あるいは何処かの郊外で、ヘチマの花を見かけていたとし
ても、桜と梅の区別を付けるのに三十年を要した小生のこと、何の花だろうね、
で終り、ただ、通り過ぎるだけだったろう。
念のため、ヘチマの花などを観賞してみたい。
ここでまず気が付くように(あるいは知っている人はとっくに知っているのだ
ろうが)、ヘチマは漢字で表記すると、「糸瓜」となる。つまり「ウリ科」の植
物なのである。
こういう画像を見ると、そういえば、田舎でも、あるいは何処かへの旅行先で
こんな光景を目にしたことがあったなと思う。
手元の事典によると、「ウリ科の一年生つる草」とある。あまり詳しい記述は
引用したくない。その代わり、ちょっとだけ詳しい、そして親しみやすいサイト
があったので、示しておく。そちらを読むほうが楽しい。
そう、昨日のラジオでも触れられていたが、ヘチマはヘチマ水を採るなどして
化粧品に使われることがあるとか。そういえば、小学校の理科か何かの授業でヘ
チマが扱われたことがあったような気がする。
ヘチマ料理というと、沖縄ということになるのだろうか。近年、ゴーヤチャン
プルーを使った料理が持て囃されているけれど、ヘチマ料理は栄養的にどうなん
だろうか。上記のサイトでは、味は絶品! とあったけれど。
事典によると、「ヘチマは夏の野菜として欠かせない。若い人にも人気があり、
調理用途が多く、酢の物、和え物、炒め煮など、いろいろ工夫されている」とい
う。その中の代表が、このサイトで見ることができる。
事典によると日本では鹿児島県より南で栽培されるという。このことからする
と、小生の田舎(富山)でヘチマが栽培されていたということはないことになる
のだが、さて、真相は小生には分からない。
そのヘチマは、原産地はインド、西アジア、アフリカと、ハッキリしないよう
だ。ただ、インドでは古来より、果肉、花、枝葉が咳や痰の薬に用いられてきた
とか。中国には16世紀に伝わり、食用とされたらしい。成熟した果の繊維が靴
の敷物に利用されたとも。
日本には江戸時代の初めに渡来したという。
面白いのは、和名であるヘチマという名前の由来である。「糸瓜」は「いとう
り」と読める。ここから「とうり」に変化し、「と」はいろはの「へ」と「ち」
の間(ま)にあるので、「ヘチマ」となったと言われている。
(「事典によると…」以下の項は、「NIPPONICA 2001」より)
小生は、日曜日の朝に放映されている、所さんの「目がテン!」が好きで、土
曜日が仕事で日曜日の朝に帰宅した時には、徹夜で疲れた神経を鎮めつつ、ダラ
ダラと見ていることがある。
その番組でも、「たわし&水 万能ヘチマ」が採り上げたらしいが、小生は見て
いない。
料理にも縁がない、化粧にもまして縁の薄い小生が、多少でも縁があるとした
ら、やはりヘチマタワシだろう。こればっかりは使った記憶がしっかり残ってい
る。これあるがゆえに、ヘチマと聞いて、懐かしく感じたのだろう。
やがてはナイロンタワシというか、タオルにその座が取って代わられたが、昔
は長くヘチマタオルが重宝された。
後年、韓国式垢すりがテレビで話題になったことがあるが、小生の田舎では、
垢すりは入浴の際の欠かせぬメニューだった。少なくとも、必ずしも風呂の好き
なガキではなかった小生だが(入浴するのが面倒だった。そんな時間があれば、
漫画の本を読むか、テレビを見るかしていたかった…。お袋に言われて渋々入浴
していたものだ)、それでも風呂に入ると、湯船に浸かるより必ずすることが二
つあった。
それは、頭を洗うことと、垢すりである。
洗髪と垢すりの習慣は、ずっと続いた(洗髪はこの際、話題から省く)。
垢すりをすると、ボロボロと垢が出る。若いから新陳代謝が盛んだったのだろ
う。で、入浴後は、それまで分厚い脂分で蔽われていた皮膚が、やっと息を吹き
返したかのように、深呼吸しているのが実感できた。心なしか、皮膚が新鮮にな
り、また、ツヤツヤになったような気もした。
が、いつしか垢すりをしても(洗髪をしても)、まるですっきり感が得られな
くなった。ただ、皮膚が垢っぽくなっているだけになったりする。しかも、それ
までは皮膚が滑らかになったように感じたのが、逆にパサパサという不快な感覚
ばかりが残るようになった。
あれこれ考え、何かの本を読んで、あ、そういうことかと気づいた。
垢を擦るのは、つまりは皮膚を痛めつける可能性がある。垢すりをした後、皮
膚が滑らかに感じられるのは、痛めつけられた皮膚を防御するために体液が下か
ら湧き出たに過ぎないのだということ。
もともと、垢すりは下手にやると、古い死んだ皮膚だけではなく、その下の新
鮮な皮膚細胞(組織)も損傷を受けるわけである。
若いうちは、それでも回復力もあるし、新陳代謝も盛んなので、垢すりをして
もその後、すぐに回復するので、爽快感さえ覚えられるが、ある年代からは、体
力も落ちれば、回復力も萎えて、新鮮な皮膚細胞はやられっ放しで、回復するに
は相当な時間を要することになる(場合によっては傷付いたままになったりして)。
同時に、ある年代からは、何故か皮膚がいつもパサパサしているように感じる
ようになったが、これも、あまりに神経質に石鹸やシャンプーを使って体を洗い
すぎることに原因の一端があるらしいと分かった。
また、垢すりで一見すると体の表面が清潔になったかのような錯覚があるが、
実は皮膚は体を最近から防御する大切な器官なのであり、それを自らの手で過剰
に洗う(痛めつけている)ために、口内でいえば、喉がカラカラになり、粘膜が
損傷し、黴菌が繁殖しやすくなるようなもので、結果として、外界のちょっとし
た刺激にも耐えられなくなる、シーツに皮膚が触れるだけで痒くなる、などなど
の悪影響が出るというわけである。
このことに思い至ってからは、洗髪の回数は減らさないものの、シャンプーを
使う回数は半減させた。また、石鹸をタオルなどに塗りこんで体を洗う回数も減ら
した。当然、垢すりは厳禁である。
この結果、特に冬などに肌が妙にパサパサすることはなくなった。垢は入浴や
シャワーを浴びる際に、湯で洗い流せる分だけ流せればいい、そう、割り切った
ら、なんだか、皮膚も安心したように感じる。気のせいか、風邪を引く回数も減
ったような気がする。
[ 垢すりの功罪(というより罪ばかりのようだけど)については、「垢すり」などを参照のこと。洗髪も、シャワーはともかくシャンプーを使っての洗髪は週に一度か二度に留めたほうが無難のようである。 (03/11/08 追記) ]
こんな余談を書いたど、遠い昔、ヘチマタオルを使って背中などをゴシゴシと
洗っていた頃は、そんなことなどまるで考えなかった。確かに、若かったから余
計なことなど考える必要もなかったのだ。
新陳代謝は今も我が体において行われているのだろうか。ま、細々とは行われ
ていると期待しているけれど。
ただ、回復力も体力もない今は、余計な損傷を体に与えないよう、かなり自ら
の体に気を使っている。ヘチマで背中をゴシゴシなど論外である。
それでも、その爽快感を味わえたらなと、時には思うのである。ま、叶わぬ夢
みたいな願いだけれど。
03/09/26 21:37

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