(03/10/30 up)
昨日、ラジオで久しぶりに歌手の日野美歌さんの声を聞くことが出来た。最近
は、あまりテレビでお見受けする機会が少ないが、小生には、ちょっと懐かしい
歌手である。
彼女のヒット曲は、なんといっても、佳山明夫と競作となった「氷雨」である。
昭和57年末に発売され、ヒットし、翌昭和58年にはNHK「紅白歌合戦」に初
出場を果たしている。
その後、昭和61年にデュエットソングの定番ともなっている「男と女のラブ
ゲーム」をヒットさせている:
日野美歌 オフィシャルサイト「桜かふぇ」
ラジオでは、日野美歌さんのエッセイが評判がよく、それで、知り合いに、こ
れなら歌詞も書けるわよ、と言われ、この度、初めて歌詞を書き、彼女作詞の歌
が発売されたということで、ラジオに登場したらしい。
ある人に曲をもらい、これに歌詞を当てはめればいいのよ、と言われたとか。
その成果が、「桜が咲いた」。
日記を読むと、なるほど、文章は達者だと感じる。恐らく、座談、というか飲
み会の席でのお喋りも楽しい人なのだろうと感じさせてくれる。相当な飲兵衛だ
と自認もされている。
なにより、忙しいだろうに、日記をこまめに更新してるのが好ましい。
上記のオフィシャルサイトでは、彼女が好きだという桜にちなみ、彼女が集め
た古伊万里の
「アンティ−クな桜文様の陶器達も見ることができる。
その中に見つけた次の言葉は印象的だった:
年代物の陶器には現代の陶器の様な完璧さは無いが、様々な災害や
戦火を逃れて色々な人の手に渡り通常の人間の寿命よりも遥かに長
い歳月を経て今も尚、人々をより一層魅了しながら息づいている。
さて、小生にとって、彼女が、あるいは彼女の曲「氷雨」が懐かしいのは、曲
が出された昭和56年の春に止めたあるアルバイト先での失恋が関係しているか
らである。
約3年ほど、そのバイト先でお世話になったのだが、働き始めて2年目になっ
た頃、気になる女性が小生が働くバイト先の事務所にやってきた。
最初は遠くで彼女を見て綺麗な人だなと思うだけだった。が、ひょんなことか
ら、小生は、彼女の仕事の補助をすることになった。そのためもあって、彼女に
初めて紹介された時、彼女の声にビックリした。どこから声が出ているんだろう
と、一瞬、戸惑ったほどだった。喋り方も舌足らずな感じがある。
美人である。すらっとした体型。会社のユニフォームが似合う。目が愛くるし
い。唇の形がいい。その彼女と声や喋り方の対比が、とてもアンバランスだった。
が、すぐに慣れた。
慣れたら、なんだか、その声とか独特な喋り方が耳を離れなくなる。
バイトが楽しくてならなかった。事務所には本社から何かの商品の配送の指示
が来る。すると、その伝票で小生に彼女は更に指示するというわけだ。
可愛い彼女から、伝票を渡されながら、「これ、お願いね」と笑顔で言われる
と、もう、雲の上をフワフワ歩いているような心境だった。
もう、とっくに恋に陥っている。長年、引き摺ってきた高校時代の失恋も、さ
すがに癒えている。長い大学時代の人生の、そして恋のモラトリアムもさすがに、
とっくの昔に終わっている。
しかし、天は我に味方せずだった。アルバイト先には、他に二人のバイトがい
た。彼等は、事務所の他の女性の下で働いていた。でも、女子社員の事務所は同
じである。
彼等二人は、仲良しだった。バイトが終わっても、一緒に遊びにいったりもし
ているようだった。
小生は、いつも、一人だった。バイトが終わると、書店へ行くか、そうでなか
ったら、アパートに帰って本を読んだり、テレビを見たり、当てもなく散歩をし
たりという毎日の生活を単調に送っていた。
小生は、しかし、ひたすら能天気だった。彼女の下で働けることが嬉しいと感
じているだけだった。事務所で、あるいは倉庫で雑談できれば、十分、満足とい
うわけではないが、それ以上を求めることは考えなかった。
が、水面下では、大きく事態は動いていたのだ。或る日、他の二人のバイトの
うちの一人から、彼女は、実は、相方と親しくなっている。それだけではなく、
アパートでベッドを共にしていると聞かされた。
ショックだった。彼女の笑顔の向こうには、小生などおらず、そのどこか寂し
げな、でも、とても神経の細やかな男がいる…。
そんなことも知らず、ただ、漫然と彼女と一緒に仕事ができるだけで楽しい、
そう思っていたのだ。
その後、一時、仕事が暇になり、倉庫の掃除や整理もやり尽くして、仕方なく、
倉庫の片隅でルソーの「エミール」を読んでいたことがあった。河出書房新社の
世界の大思想シリーズの一冊で、従来のハードカバーで且つ箱入りのものではな
く、ソフトカバーになったものだった。が、中身は従来通りの大部な本だった。
いつしか、その本を倉庫の中で、読み終える日がやってきた。あと、数頁、あ
と一頁、そしてとうとう読了した。
と、その瞬間だった。突然、彼女が倉庫の扉を開けて入ってきた。小生は、倉
庫で本を読んでいることは、一応、隠してはいたが、しかし、とっくに彼女に知
られていることは承知していた。公然の秘密というやつである。
それでも、一瞬、焦った。
が、彼女は、小生の焦りなど、関知せず、伝票を手に配送依頼された商品を探
しているのだった。どうやらそれは在庫があるのかどうかの確認のようで、小生
に探すことを頼むまでもないものだったらしい。
が、見つからなかったようで、扉の外に出て、彼女は、どこかに電話し始めた。
小生は、「エミール」を読み終えて手持ち無沙汰になったこともあり、どうとい
う意味もなく、やはり電話口に向った。そして、電話する彼女の様子を眺めてい
た。
そのうち、眺めるだけでは我慢がならなくなって、電話する彼女の顔を覗き込
んだりした。
好きな女。惚れた女。でも、奴の女。眼前の憧れの彼女。エミールの読了。教
育の終了。他人のものとなった、俺の好きな唇。旅立ち。終わり。失恋。いろん
な感情が交錯した。
やがて、彼女は立ち去っていった。
その年の暮れ、いつ、雪が降ってもおかしくないような或る日、小生は、風呂
場でのガス中毒で死に損なった。
別に自殺を試みたわけではない。アパートの隣りが警察犬の訓練所で、とにか
く臭いがひどい。小生のアパートには風呂場が付いていたのだが、風呂場の窓が
よりによって訓練所にまともに面している(だから、風呂付きにもかかわらず家
賃が安かった)。
臭いがひどいにも関わらず、窓を締め切ることは、真冬になっても我慢してい
た。
が、そのときは、魔が射したのか、なぜか、つい窓を締め切ってしまったので
ある。部屋と風呂場の仕切りとなるドアは、これは、いつもしっかり締めている。
あっという間もなかった。気が付いたら、テレビの受像機が放送終了ともなる
と砂嵐になるように、世界が砂嵐状態だった。全くの無音だった。小生は意識を
失った…はずだった。ことによれば、永遠に。
が、それでも、最後の最後の瞬間、倒れる方向を考える理性が働いた。小生は、
部屋へ通じるドアに倒れかかった。
幸い、ドアは、部屋の方へ開く仕組みになっていた。小生は、部屋に倒れこん
だ。喘ぎ。痛いのか痺れているのか、麻痺していて何も分からないでいるのか、
自分でも何も分からなかった。とにかく、素っ裸のまま、喘ぎ続けたことだけは
覚えている。
その冬、生き長らえた小生は、いろいろな意味で一気に弱気になった。何かが限界に来ていたのかもしれない。サラリ
ーマンになろうとは露ほども考えなかったのに、収入の魅力に惹かれ生活の安定
を考えるようになった。同時に、ルソーの「エミール」を最後に、高校の二年の
頃からの哲学時代、我が古典の時代は終焉した。まともな本は読めなくなってし
まったのだ。
夜の底をどこまでも落ちていくような、それとも星と我とのみが対峙するよう
な形而上感覚に覚えていた快感が、恐怖の的となってしまった。孤独が恐ろしく
なった。狂気にギリギリ迫るような破れかぶれの姿勢がすっかり影を顰めてしま
った。
それが、昭和55年の末の冬のこと。
翌、昭和56年はひたすら当たり前の生活を求めるだけになっていた。事務所
の人の紹介で正式の社員として働く先も得て、昭和56年の四月には社員になっ
ていた。
失恋の痛手を引き摺り、弱きの虫を抱え込み、それでも小生は、素晴らしい環
境の中で、当たり前のサラリーマンとしての生活に溶け込もうとした。テニスを
し、やがてゴルフも覚えた、飲み会にも付き合った。
少しは会社に馴染んだかと思える昭和57年末に日野美歌の「氷雨」が出たのである(前年の秋、松田聖子の
「風立ちぬ」が出ている。これについては、日野美歌の項に無縁ではない思い出がある。いつか、機会があったら書いてみたい)。
ちなみに、日野は恋い焦がれた彼女の生地だった。小生は、勝手ながら、日野
という名前に因縁を感じ、「氷雨」にあの彼女の面影を織り込んで聞いていたの
である。
03/10/29 記
2.車中の楽しみは…大塚文雄篇
(04/05/31 up)
小生は車での仕事に携わっている。ともすれば単調になりがちな日々の中で、楽
しみなのは、やはりラジオから流れる音楽だろう。
お喋りも聞き入ったら楽しいのだろうが、交通事情などで、話に身を入れて聞く
わけに行かない。つい、途切れがちの会話やお話を聞くことになり、前後の脈絡が
見えなくなって、最近は初めから講演(談話)ものは聞かないようになってしまっ
た。
やはり音楽が一番だ。これだって途切れることは途切れるが、ほんの一節を聞く
だけだって、あるいはメロディの断片が耳を掠めるだけだって、それなりに悦びを
与えてくれるのだ。
昨日の夜は、民謡の大塚文雄氏の特集をNHKでは流していた。普通なら民謡は、
最初から選ばないのだが(趣味に合わないので)、民放が子ども相手の番組ばっか
りだったので、選択の余地が少なかったのである。
そう、小生が聞くのは歌謡曲(演歌)ポップス(往年の)、ジャズ、クラシック、
往年のロック、最新のも少しは聞く(歌詞が聞き取れるものは)程度。つまり、民
謡だけはダメなのである。
でも、民放にその時間帯では聞くべきものがなかったことが幸いした。聞いてよ
かった。大塚文雄という民謡歌手は、テレビでも活躍しているし、何といっても一
般には、お酒のコマーシャルの時に流れる「会津磐梯山」で有名だろう。あの、独
特の高音と張りのある声は、一気に彼の名を世間に知らしめた。
尤も、小生はガキの頃、日曜日だったか、昼間、食事時だったと思うが民謡のコ
ンテスト番組があり、我輩は見たくなかったのだが、父親がチャンネルの選択権が
あるもので、仕方なく、その番組を見ていた。その中にしばしば大塚文雄氏が登場
していたので、彼の名前をしっているだけではなく、彼の歌も幾度も聞いてはいた
のだ。
が、ファンになるということはなかった。
やはり、別に忌避するほどではないが、若い耳には民謡は受け付けなかったのだ
ろうと思う。
そんなわけで聞くともなしに聞いていたのだが、昨夜の彼の歌を聞いていて、小
生もファンになってしまった。大塚氏が尊敬するという三橋美智也(彼も民謡畑出
身である)の持ち歌を歌ったが、三橋美智也以外の歌手が歌っていいなと思えたの
は初めてだった。
最後に「月山」を歌った。小生は初めて聞いた。しみじみと聞けて、夜の寂しさ
を忘れさせてくれたのである。
若い頃、民謡の修行をしていた頃、先生に勧められて三味線を習ったらしく、番
組の中でも弾き語りを披露してくれた。
ところが、彼、曰く、自分は三味線は苦手で…、なんて言うところが意外にシャ
イな感じがしたりして。絶対音感を有しているとかで、音程を外すことはないと、
そのシャイな彼が言うのだから、やはり天性の音楽家であり、民謡歌手なのだろう。
ネットで大塚文雄について検索してみたら、一部からは彼が商業主義に走ってい
て、民謡本来の持つ素朴さを失ってしまった云々という厳しい批評も見受けられた。
35年も民謡一筋で、しかも第一線で歌ってきたら、そういう指摘もされることも
あるのだろう。芸能界というのは、厳しいものだ。
素晴らしい歌(音楽)は、聞き惚れると、一瞬ではあろうと、全ての俗世の苦労
や面倒を忘れさせてくれる。
昨夜は、ほんの一時、そんな至福を味わったのである。
01/11/11 記
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