一人暮らしの地震対策(他)  

(04/11/07 up)
 



一人暮らしの地震対策  

付:文化の日だったっけ  





一人暮らしの地震対策





 
 今、テレビ朝日の番組を見ていた。タイトルは、「緊急サバイバル特番! 巨 大地震は必ず来る!! 徹底分析! もし東京を巨大地震が襲ったら…あなたは生 き残れるか」というもの。
 いつもながら番組のタイトルは仰々しかったり、おどろおどろしかったりする。 でも、東京に限らず巨大地震は来るのだろうし、富士山の噴火も近い将来、起き るに違いない。東海・南海地震ももしかしたら相当に切迫している可能性が大き い。
 最初のうちは、ちょっとネットのアップ作業をやっていて、余所目で見るつも りもなく見ていたのが、いつの間にか、見入ってしまった。
 こういう番組を見ると、役に立つ情報が得られることがある。
 たとえば、ラップ(サランラップの類い)やビニールのが意外に役に立ったと いった情報も、小生には目新しかった。ラジオや携帯電話、避難の際のサンダル か運動靴、懐中電灯、緊急用の食糧、ペットボトルの水などが役に立つというの は、さすがに小生も知っている(知っているだけというのが小生らしいところだ が)。
 では、ラップが何故、意外にも役に立ったというのか。
 それは水に関係する。地震が生じた時、絶たれるのは電気でありガスであり情 報の伝達手段であるが、最も困るのは水である。最悪の場合、給水が可能になる まで三十日の断水が考えられるという。
 つまり雨水など、最低限の水で窮乏生活を耐え忍び生き延びなければならない。 あっても僅かな水で、その水をいかにうまく使うかが喫緊の課題になる。
 その際、ラップが役に立つ。というのは、仮に瓦礫の下などから皿などを得ら れたとして、その皿でなんとか食事をしたとしても、普通なら皿を洗う必要があ る。そうでないと汚れたままでは、一度しか貴重な皿を使えない。さりとて飲め る水も不可欠のもので、皿を洗うのに水を使うのは勿体無い。
 その時、皿にラップをして、ラップの上に食事を盛るわけである。そうすれば、 食事が終われば汚れたラップを廃棄するだけで済み、皿は綺麗なままというわけ だ。
 ビニールの袋も、やはり水に関係する。つまり、例えば給水車が来たとして、 水をどうやって受ければいいのか。まさか素手というわけにはいかない。何か適 当な容器、バケツとか洗面器とかがあればいいが、瓦礫の下から、上手い具合に 使える容器が引っ張り出せるという保証はない。運良く開いている雑貨屋さんが あっても、とっくに必要な容器類は売り切れになるだろう。
 そんな時に、ビニールの袋があれば、その袋に水を溜めることができるという わけである。
 それを見て、テレビではゲストのタレントの方が、使い捨ての容器類(紙コッ プなど)を避難袋に用意しておけばいいという話をしていた。
 なるほど。でも、避難袋には最低限の容量のものしか詰め込むことができない。 紙コップ類を詰め込む気になれるものかどうか。小生には判断が付かない。
 さらに、地震に伴う緊急事態の場合、特に災害地への外部からの電話が通じに くくなる。その場合、どのように連絡を取ればいいのか、その手段についても話 をしていた。

 そして、もっと大事なこととして、番組の最後にメッセージ風に特集されてい たことは、近所付き合いの大切さだった。
 阪神淡路大震災の時、その震災での死亡年齢をグラフで表すと、基本的に若い 人より年齢の高い人の死亡の数が多い。それはなんとなく予想できる。体力など が最終的には物を言うのだろうし。
 ところが、死亡した人の数を表すグラフでは、高齢者を中心に山が高くなって いるのは当然として、他に、意外にも二十歳前後の辺りがちょっと突出している のである。
 何故、若いその年代の人たちの死亡の数が、飛びぬけているのか。
 それは、若い人たちが学生だったりして一人暮らしをしているケースが多いこ とが理由として挙げられていた。このことは、アパートなりマンションなりに暮 らしていても、若い人は、多くは近所付き合いどころか、隣の部屋の人とも付き 合いがないし、顔さえ知らないというケースが多いことが関係している。
 だから、その人の生活パターンなど分からないので、災害があったその人がそ の時間帯に部屋にいたのかどうかさえ、周囲の人には分からない。
 まして、災害の際は、誰しもが逃げたり、生き延びるのに必死で、仮に生き延 びたとしても、次に気遣うのは家族だろうし、隣近所に住む顔見知りの誰彼なの だ。あの時間帯だったら、あの人は必ず在宅していたはずだ。あの人は無事だっ たのだろうか。ちょっと確かめてみよう。で、生き埋めの状態だと分かったなら、 生き延びた人たちが協力して、誰か当局の人を呼ぶとか、仲間で協力して助ける とかするわけである。
 まさに顔見知りであり近所付き合いが日頃からあったればこその話である。  住んでいるのかどうか、災害時に居たのかどうかさえ分からない他所の人を助 けるのは、余程、余裕が生じてからの話となるのは、仕方のないところだ。

 このことをちょっと敷衍すると、年代の高い人に死亡する人が多いということ は、そうした年代の人の中に実際には一人暮らしの人が多いのであって、体力が なかったり病気持ちだったりして、ただでさえ体が災害には耐えられないという こともありえるが、一人暮らしで近所との付き合いも侭ならないし(子供がいて、 余儀なく付き合うという事情もありえないし)、一人、空しく瓦礫の下で座して (埋まって)死の時を待った人も多かっただろうということを予想させる。
 悲しい現実、でも、大いにありえる現実である。

 小生としては身につまされる話だった。冴えない風体の中年男で、近所付き合 いもないし、この部屋に小生が住むとは、集合住宅である事情を鑑みると、知ら ないだろうと考えるしかない。小生も隣りどころか、何十人も同じ住宅に居住す るのに、顔見知りはいないも同然である。こんな人間が実際には多いのだろう。 今更、近所付き合いといっても、胡散臭く思われるのが関の山である。
 小生のような人間は、やはり運を天に任せて、座してその時を待つしかないの だろうか。これが小生の地震対策だとしたら、ちょっとお話にもならない。でも、 これが現実なのだ。なんとなく最後は侘しくなってしまったものだった。

03/09/21 記




文化の日だったっけ





 昨日、三日は文化の日だった。三日だということは、さすがに分かっていたが、その日が祭日だったとは、会社の駐車場に来て初めて気がついた。
 尤も、どうも、日中にしては、普段着姿のお父さん方の姿をよく見かける。どう見ても、出勤という風ではない。仕事にあぶれて焦っている風も伺えない。もしかして、という予感はあったのだが。
 どうにも否定できなくなったのは、駐車場に車が妙に多いことに気付いてからである。えっ、もしかして、今日は休日なの? 分からないが、週日であれば、小生が出勤する頃には、駐車場の車は、既に半分以下になっているはずである。残っているのは、小生のように拘束時間が約20時間の勤務形態ではなく、ナイト(夜勤)の車が大半。
 とにかく車に乗り込み、ラジオをオン。何気なく聴いていたら、文化の日がどうしたとか、叙勲がどうしたという話題が。そうだったのか、と、やっと得心が行った次第。
 一人暮らしをしていると、世間の波から取り残されがちである。そもそも、終日、会話というものがない。起きても、ボヤーとした頭のままに起き上がり、トイレを済ませ、食事をし、場合によってはテレビを見、昨夜、読み残した新聞など眺め、着替え、時間が来たら出勤。
 それらのステップを機械的に踏んでいく。鞄に詰め込むものの確認、財布や鍵束、そして戸締りなどの確認、そこには、当然ながら会話などの入る余地がない。新聞も、朝は開かないままに手に抱えて出勤し、待機中などに読むことにしているので、当日の予定なども、その日の夕方乃至は夜中までに知る。
 困るのは、衣替えの時季である。暑ければ、そのように、寒ければ、そのように衣服を用意するのだが、さて、いつ、衣替えしたらいいのか、さっぱり分からない。外を見ても、人通りは見えないので、今日は比較的寒そうだし、長袖なのか、上着を用意するだけでいいのか、見当が付かない。
 もっと、困るのは、常識が養えないことである。付き合いの範囲が狭いこともあって、結婚式や葬式、引越し、誕生祝い、その他の際に、何をどうしたらいいのか、まるで分からない。分からないだけではなく、ちょっと自分が面倒だと思ったら、もしかしたら義理もあって、付き合い程度のことはしなければいけない場合であっても、義理を怠ってしまう。
 すると、もう、人との付き合いが減っていく。狭まっていく。ドンドン縮小再生産を繰り返す。当面は、付き合いを怠るだけだったのが、もう、顔を合わせるのも、心苦しくなり、気が付くと、陸の孤島に居るような生活になってしまうのである。
 取りあえずは、都会(のはずれ)に住んでいるので、生活に不便はしない。健康に気を使いながら、細々とは生きて行ける。が、隣近所との付き合いも、面倒で憚っているうちに、知り合いさえ、近くにはいない。
 新潟は中越での震災を見て、隣近所との付き合いや、コミュニティの大事さを目の当たりにしている。かの、阪神・淡路大震災の時も、地域住民の交流の大事さが、報道などで繰り返し伝えられていたが、この度、震災を被った地域は、山間地であり、尚のこと、地元住民同士のつながりが濃い。仮設住宅を建設するにしても、何処か広いところに、まとめて沢山、作り、被災者を寄せ集めるのではなく、地域のコミュニティごとに、小さな単位(数)での仮設住宅の建設が望ましいという。
 年を取ると、新しい付き合いを構築するのは、結構、億劫だったりストレスになったりする。巨大な仮設住宅の集合地に近くで顔見知りもいないような形で寄せ集められたのでは、交流も何も叶わないのである。
 さて、翻って自分はどうだろうか。今だって、都会の片隅で孤立して生活している。それは、近くにコンビニもスーパーも病院も仕事先もあるから、大概のことは、他人様との付き合いを避けても(避けるつもりがなくても、自然と途絶えがちになっていく)、一人で暮らせる。
 暮らせていることは、確かに、そのとおりなのである。下手すると、一ヶ月だって、仕事以外では他人と会話をしないことがしばしばである。いつだったか、病気して一ヶ月以上、寝込んだ時も、誰一人、訪ねてこない現実の厳しさを実感した。このまま、息絶えていっても、誰かに気付かれるまで、どれほどの時間を要することだろうと思ったものだった。
 ただの一人も、心のパートナーを作れなかったのは、自業自得であり、仕方ないのだし、我が侭な自分だから、仕事以外では付き合いを持たないほうが楽だ、という思いもある。この生活の在り様は、自分が選んだ結果なのだと自覚しても居る。
 自由にできる時間が少ない中、読書や執筆ができるのも、一人暮らしだからなのだろうと思う。
 文化の日。祭日。そんな日に仕事して、文化の香りの欠片もない時の迷い子になっている。せめて仕事で少しは忙しかったら、余計なことを考えずに済むのだが、閑散とした仕事。街。一時間以上も町中を走っても、何処かお客さんのいそうなところで待機しても、何時間もお客さんにも見放された状態でいると、まさに、都会の片隅で自分は見捨てられているような、妙な錯覚に陥りそうになる。
 世には、文化に携われる立派な人も居る。が、さて、自分はどうかと言うと、自分なりに創造の根を不毛なる我が心の荒野に植え付けようと懸命である。空っぽの頭を引っ掻き回し、何がしかの想像の空間を作り出そうとする。
 今週は、車中に、三島憲一著『ニーチェ』(岩波新書)を持ち込んでいる。昨年から、貰った本、拾った本、昔読んだものの再読が読書のメインになっている。本書も、貰った本である。
 本書の謳い文句によると、「西洋の理性中心主義とキリスト教道徳を容赦なく批判し,力への意志,神の死,永遠回帰を説き,生は認識を通じて美となるべきことを主張したニーチェ.ハイデガーからドゥルーズ=ガタリまで,彼なくして二十世紀思想は語りえない.『ツァラトゥストラ』など深い孤独の思想を読み解き,彼の批判が現在の状況とどう関わるかを考える.」という。87年の本である。
 ニーチェは一時期は、芸術(ワーグナー)での生の救済を夢見た。
 目の前に突然、口を開けた深淵。絶望。神の死。それを美の創出で乗り越えようとした。
 小生は、美を追い求めつつも、むしろ、虚の時空を虚構の空間で埋めようとしている自分を感じている。空白、喪失、欠乏、徒労、その虚の空間を、さらに虚なる虚構の時空の創出で糊塗しようとしている…。
 学生時代だったか、文筆を田植えに喩えてみたことがある。田圃に手で苗を植えていく。そのように、原稿用紙の桝目に文字を埋め込んでいく。原稿は、自分にとっては泥田なのである。
 今は、原稿は、モニター画面である。というより、むしろ、液晶の画面、さらに言うと、電子の順列と組み合わせの抽象空間こそが、原稿用紙なのである。この物足りなさ。が、創出する空間が虚構の空間なのだとしたら、電子の波に形を与え、与えては崩し、崩しては新たな形を必死になって与えようと足掻く、しかも、出来上がった作品も、電子の気紛れな並びにしか残されていないという、この在り方こそが、創造に一番、相応しいのではと思ってしまう。
 その抽象の空間に束の間の形を創出し、その虚なる位相を墓場とする。
 人間にとって…、というより、自分にとって欠けているもの、他人には常識で見えているし、足りているはずのものが、欠如している。しかも、自分では自分の顔も背中も鏡などを使わない限りは、つまり、生の形では眺められないように、自分に一番欠けていて、しかも、必要なものも見えないのではないかと感じる。それこそ、突然、尻尾に噛み付かれた猫が、尻尾を追い掛け回すように、小生も尻尾を追ってグルグル回っているような気がする。追いつけない。
永遠に追いつけない。尻尾を切り離さないと、自分の実相を確かめることが出来ない。  何が自分に足りないのだろう。
 でも、ひょっとして、本当は、とっくの昔に気付いていたりして。
 そんなことはないと信じたいのだが。

November 4, 2004 blog 記