ふでおろし

  [水ぬるむ春は、気の緩む妖しい気分を誘う春でもあります。
そこで、こんな掌編を作りました。ご賞味ください。(03/05/02up)]





 我が家の伝統で、息子のふでおろしは父と母が立ち会うことになっている。
 あれから、もう、何年が経つことだろう。

 それは、水ぬるむ5月の初めだった。祭日の朝早く、突然、母が真面目な顔 をしてボクを起こし、父の書斎へと呼んだ。
 そこでは父が、座卓に向かい何か書き物をしている。父は大切な人には、わ ざわざ硯で墨を磨り、毛筆の手紙を書いて送るのである。手紙の隅には、顔彩 で山里の風景やら田園風景やら、あるいは庭の雑草などを軽く描き添える。
 我が父ながら、なんとも息を飲む見事さだ。鼻には墨の香りがツンと来て、 なんとも心地いい。
 その間、ボクは坐って待たされる。でも、父の手際に見惚れているから退屈 はしない。いつかはボクだって父のようになりたい。母もボクの斜め後ろで父 が用件を終えるのを黙って見守っている。
 日頃、カカア殿下の我が家でも、書斎では父が断固、上席なのである。口を 挟ませない。この四畳半の限られた空間だけが父の天下なのだ。
 その点では、ボクは、いつか結婚するなら我が家全体がボクの天下であるよ うな家にしたいと思っている。でも、どうなるか分からないけれど。
 なんて、案の定、今はやっぱり女房の尻に敷かれている。トホホ、である。

 やがて、心置きなく用件を片付けた父が、語り始めた。その表情は、いつも と違う。その強張ったような、でも、気のせいか、にやけたくなるのを懸命に 抑えているような複雑な表情も伺えて、ボクは一層、緊張する。ただ事ではな いようだ。
「さて、お前も、もう、そろそろ覚えてもいい頃だ。聞き及んでいるかもしれ ないが、我が家の伝統で、初めての時は、両親の立会いのもとで行うことにな っている。最初が肝腎だからな。今日が、その日だ。庭先に準備万端整えてあ る。今日は快晴だ。青空の下、心行くまでやってもらうぞ」
 ボクはついにこの日が来たということに当惑したけれど、喜びも湧いてくる。 大人になるんだ。我が家の成人式なのだ。ふでおろしの日なのだ。
 ふでおろしといっても、何も書道を習い始めるというわけではないぞ。そう、 言うなれば、大地の上でのふでおろしをするのだ。
 開け放たれた縁側の向こうには、ボクの猟場が横たわっている。暖かな日差 しに獲物は、ボクの緊張を知らぬげに、のんびりゆったり寛いでいるようだ。 どこか、媚びるような笑みさえ浮かべているようにも思える。大人の女のよう だ。いや、どんな女(ひと)だって、ボクにはみんな大人の女(ひと)に見え たんだけど。

 あの女(ひと)をボクが今から……。
 ああ、そんなことをしていいものだろうか。人がそんな振る舞いをして許さ れるんだろうか。でも、その一歩を越さないと男の子は男になれない。一家の 大黒柱にはなれないのだ。ボクは勇気を振り絞った。拳を力一杯握っていた。 耐え切れるだろうか。最後までやり通せるだろうか。
 でも、ボクは負けないぞ!
 父も母も、すっかり身支度をしている。汚れても構わない恰好をする。終わ る頃には汗まみれになるはずなのだ。
「ここには他に誰もいない。お前は、最初から裸になれ。途中で脱ぐのは結構、 面倒なものだからな」
 ボクは何となく恥ずかしい。風呂とかは父や母と入ることもあるし、その時 は真っ裸っだけど、でも、外なのだ。お天道様が見てらっしゃるんだ。父や、 まして母は裸じゃない。その両親らの前で裸になるなんて。
 でも、獲物を前にしては、否応もないのである。

 そう、ボクの獲物は、陽光をタップリ浴びている。全てを世界に晒している。 その豊かな肢体を誇るかのように大地に横たわっているのだ。そうだ、神聖な 儀式なのだ。神代の昔から伝わる聖なる営みなのだ。
 母は黙ってボクを促した。
「最初は何も分からないかもしれないけど、でも、いいの。みんな初めての時 は失敗するのよ。恥ずかしがることはないの。相手は大人よ。思いっきり飛び 込んできなさい」
 思いっきり! 
 ああ、ついにこの日が、ボクが大人になる日が来たのだ。次第に父や母の視 線も気にならなくなってきた。もう、眼前に広がるのはボクには無限の海原と も思われるような肥沃な大地だった。
 恐る恐る一歩を踏み出してみた。ぬぽ! 豊穣の海はすっかり濡れている。 そうだ。父はボクがやりやすいようにお膳立てしてくれていたのだ。ボクが起 きない間に、熟練した腕と体ですっかり濡れさせてくれていたのだ。
 大地の底から泉のように生暖かな液体が湧く。ボクは滑るように走っていけ ばいい。欲望の赴くままに、父と母の寝室の隣りで妄想を逞しくしていたよう に、今こそ、渾身の力を篭めて大地と戯れるのだ。相手はボクなど軽く飲み干 すような巨体だ。大人の笑みを浮かべている。何の遠慮もいらないと父母が言 ったじゃないか。

 でも、やっぱり初めての体験は難しい。ほんの数歩も足を踏み入れないうち にボクは粗相をしてしまった。何処か訳の分からない場所を抉ってしまったよ うで、濡れていた大地が一気に乾燥してしまった。愛する大地は、一瞬、凪の ように静まり返ったような気がした。父や母が笑っている。大地も空もボクの ドジを嘲っているに違いない。ボクは萎えていた。
 恐る恐る振り返ると、母は微笑ましいとばかりにいつもの笑みを浮かべてい るだけ。父は、ボクの視線を受け流している。そして、「やっぱり、いきなり 体当たりじゃ無理か…」と独り言を呟いて、納屋の中から何か妖しげな道具を 持ち出してきた。
 ボクは、(それは何?)と尋ねたかったけれど、喉がカラカラで言葉が出な い。
 父はその道具のスイッチを入れる。
 すると、その道具は勢いよく回転し始めるのだった。
(まさか、そんな道具を使うの? 大丈夫なの?)と問い詰めたかったけれど、 舌が渇きでまるで動かない。
「見てろ、こんなふうにやるんだ」そう言って、父は潤いの失せた女体に道具 を突っ込んだ。遠慮も配慮も何もなかった。グイグイと一物を突っ込んでいく。 抉るように擦るように、こじ開けるように捻るように。
 大地は身を捩っていた。悦びのあまりなのか、あまりの苦痛に顔を顰めてい るのか、ボクには判断が付かなかった。
(そんなひどいことを!)
 でも、ボクは、すっかり父の手際に魅了されていた。やがて大地はまた濡れ てくる。ジュクジュクと生ぬるい愛液が溢れ返り、荒地だった大地が水の滴る 沃野と化した。

 父は一切、手加減などしないのだった。大地を掘り起こし、表を裏にし、裏 を表にし、縦のものを横にし、横のものを縦にして、ありとあらゆる姿態を眼 前に繰り広げさせるのだった。モーターの音が鳴り響いていた。大地の喘ぎ声 を駆り立てていた。喉の奥、腹の底からの叫びがあった。歓喜の叫び、雄叫び、 阿鼻叫喚とはこのことなのだ。
 父と母の寝所から夜毎聞こえる歓声の正体はこれだったのだ!
(ああ、とうさん、もう、よしなよ。可哀想じゃないか。あんなに悲鳴を上げ てるじゃないか。優しくしてやりなよ。許してやりなよ。あとはボクがやるよ。 ボクにもやらせてよ! ボクがやるんだよ!) 
 依然としてボクは声が出ない。こんなふうにして大地を押し倒すのか。これ がボクが夢にまで見た、あれなのか。
 今日は指導するだけで、余裕のはずの父さえ、途中で一枚一枚脱いでいって、 仕舞いにはステテコ一丁になってしまっていた。ステテコを剥ぎ取らないのは、 最後の始末をボクにさせるつもりだからに違いない。
 ボクはたまらなくなった。もう、恥も外聞もなかった。真っ赤な情熱が迸っ ていた。血が沸騰していた。ボクがやる。だって、今日はボクのふでおろしの 日なんだろ?! あの、のた打ち回る女体はボクのためにあるんじゃないか! 
 ボクは、でも、父のようには道具に頼らなかった。真っ裸の体で、体当たり だ! 今度は男の意地でやるのだ!  

 ボクは精魂篭めてやり続けた。やっているうちに何をやっているのか自分で も分からなくなったりした。汗にまみれ、容赦のない陽光を浴び、剥き出しの 足を絡め、腕を突っ込み、掻き回し、あるいは思い出したように嘗めるが如く 優しく撫ぜ回し、猫の額ほども触れ忘れることのないよう、思い残すことのな いよう、頑張り通した。皺のどんな一本をも見逃さずに引き伸ばし、その裏筋 を愛撫した。窪みの底をまさぐった。ボクの汗と情熱を最後の一滴まで大地に 降り注いだ。
 ボクは男の名誉を保てたと思う。父も母もそのことは認めたと思う。
 やがて日が落ち始めた。戦いが終わった。女体は満足げに横たわっている。
 一日にしてボクは大人の男になったのだ。豊穣なる大地を従順なる子猫へと 飼い馴らし終えたのだ。
 こうして、田おこし代かきは終わった。ボクは耕運機などを使わずにやり遂 げたのだ。
 さあ、明日からはいよいよ田植えだ!

                                            03/05/02 01:18