(04/01/19 up)
不入斗を「いりやまず」と、すんなり読める方というのは少ないのではな
かろうか。
小生にしても、ともすると「ふにゅうと」と読みそうである。ただ、多分、
この読み方では違うだろうとは思うので、喉まで「ふにゅうと」が出かかって
も、なんとか出さないで我慢するとは思うのだが。
「斗」が厄介で、俗な表記での闘争の「闘」の代わりに使われることがあるの
で、「と」と読むのだろうと憶測はする。で「はいらずと」などと無理矢理な
読み方も試みるが、やがて諦めて、ダンマリを決め込むしかなくなるのだろう。
唐突にこんな言葉を出した形だが、小生が仕事の途中でたまに休憩する場所
の近くにこの名前の店がある。漢字で表記してあるが、平仮名も付されている
ので、小生は、さすがに読めるわけである。
ずっと気になっていたのだが、その場を離れるとポカッと忘れてしまう小生
のこと、気が付いたら、その名前をいつか調べようと思い始めてから、数年が
経過してしまった。
年の瀬の忙しい砌(みぎり)、ほとんど自棄になって調べることを思い立っ
た次第である。これでも小生だって、忙しくて目が回ってしまっているのだ。
例によって「広辞苑」で調べようとしたが、データがない。そんなに珍しい
言葉なのだろうか。
そこで、早速、ネットの登場である。
すると、検索に246件も引っ掛かった。但しキーワードは「不入 いりや
まず」である。「斗」の字が仮名・漢字変換できなかったのだ。改めて、「不
入斗 いりやまず」で検索しても、ヒットする数は同じである。
で、分かったことは、「不入斗」というのは地名なのだということ。地名変
更されることが多く、「不入斗」が地名として現在も生きているのは、少ない
ようだということ。僅かに残っている、その筆頭は:
「横須賀市不入斗」
http://www.kanagawa-kankou.or.jp/area/shiset/yokosuka/ko061.htm
その横須賀の不入斗にある「「不入斗中学」は、山口百恵の出身校。」だと、
下記のサイトに書いてあった。彼女の歌った「横須賀ストーリー」とは、まん
ざら無縁ではなかったのだ:
「坂の街・ヨコスカの古道を歩く(前)」
http://members.jcom.home.ne.jp/3372442101/kaze-shioiri-3.html
「不入斗」という地名は、確かに珍しくはあるが、各地にあることも事実の
ようだ。神奈川県の横須賀もそうだし、千葉県の市原市にもある。
そんな中、小生がたまに休憩をする場所も、昔は不入斗という地名だったら
しいが、幾度かの地名変更の末、今では店の名前などに名残を留めるのみとな
っている例の一つだというわけである。
さて、では「不入斗」という地名(名称)の由来はどんなものなのか。ネッ
トで調べてみる。すると、「地名辞典」というサイトが見つかった:
http://www.ne.jp/asahi/anesaki/ichihara/timeijiten/timei.htm
その説明によると、「・谷間の入口を「入山瀬(いりやませ)」といったのが
転化した。・斗は年貢のこと。年貢免除のところ。(大名のお狩場であった)」
とある。
また、下記のサイトでは、もっと詳しく説明されている。その説明によると、
「「不入斗」の由来は諸説あるようです。一般的な由来は、古代の人々が谷間
の入り口を「入山瀬(いりやませ)」と称していたところから。それが次第に
なまって「いりやまず」となったといわれています。山がちな地形ということ
なのでしょう。また、昔、神社への献用地とされていた土地のことで、税の対
象にならないところから「不入計(いりよまず)」と呼ばれていたという説も
あるようです。 」
「いちはら地名辞典」
http://www.city.ichihara.chiba.jp/graph/ichihara0304/chimei/
ところで、小生が通りかかった時には休憩するその場所は、今は大森北とい
う味も素っ気もない地名になっている。その前は、入新井(いりあらい)とい
う地名だった。
この入新井も、作られた地名で、「明治22年、「不入斗(いりやまず)村」
と「新井宿(あらいじゅく)村」が合併し、入新井村が誕生」したのだとか:
http://www.city.ota.tokyo.jp/ittemiyo/chimei.htm
上掲のサイトにも、「不入斗の名は、かつてこの地が磐井神社の社領であり、
国守に対する貢租(税)が免除されていたためにつけられた」と書いてある。
また、新井宿(あらいじゅく)という地名については、「万葉集や続後 集
などに、「荒藺(あらい)ヶ崎」「荒藺ヶ磯」などと詠んだ歌があり、「荒藺
宿」、中世には「荒井宿」とも書かれていました。この「荒藺」が何をさすの
かは、はっきりしません。ちなみに「藺」は「藺草(いぐさ)」、すなわち畳
表にする草です。」とも。
(なお、引用文中の「続後 集」が意味不明である。)
地名を探り辿ると、昔の土地柄や土地の表情が見えてくるような気がする。
ちなみに、小生が居住している町の名前は、あまりに杜撰というか便宜上、
都合がいいからつけられた地名であることが露骨で、書く気には到底なれない。
ただ、近くに新井宿という名称が附せられた施設などがあり、かすかに昔を偲
ばせてくれることをわずかな慰めとするばかりである。
03/12/28 20:32
美と伝統と
大仰な表題をつけてしまった。が、別に難しいことを論じるつもりはない。
また、その能もない。あくまで思うところをつらつら書き連ねてみるだけの
ことである。
どこかの新聞を読んでいたら、ある党の憲法草案で、憲法に日本の伝統を
大切にする云々といった条文を書き加えるという案が検討されているとあっ
たので、せっかくの機会だから、少しだけ日本の伝統とか美などについて考
えてみようと思ったことも、動機になっているかもしれない。
しかし、小生などに日本の伝統も、まして日本の美とは何かについても語
る素養がないことは言うまでもない。ただ、では、憲法などに日本の伝統や
日本の美を大切にするなどと書き込む、その発想法に違和感を覚えるだけな
のだ。
教養のない小生に、伝統についてだろうと日本の美についてだろうと語る
資格も何もないことは繰り返すのも愚かなことだ。また、日本の伝統とはど
んなものを指すのか、日本の美とは何かを正面切って問うことは、尚更に無
謀極まりないことだと、重々自覚しているつもりである。
ただ、伝統や美を大切にするという言い方そのものは、一般論としては全
く反論の余地がなく、大切にしようとと言われて、嫌だとか、壊してしまえ
というのは、アバンギャルドな姿勢を日ごろから持している人でもない限り、
ちょっと今更主張しづらい。
そもそも伝統や美が出来上がったものであり、たとえば京都や奈良の古寺・
名所・旧跡などを訪ねたら、そこにあるものとして、既にあるものなのだと
したら、そうした類のものを今更、何処かに瑕疵を見つけて、あれよりこっ
ちのほうがいいとか、他にも注目すべき名所はあるのではないか、などと知
られざる美の形が世に埋もれていることを嘆いてみたりするくらいが関の山
だろう。
そんなことより、小生が思うのは、美も伝統も歴史の中で形成されてきた
もの、また淘汰の果てに生き延びてきたもの、選び抜かれたもの、時には戦
いの最中を掻い潜ってきたものなのではないかという点を思うだけなのだ。
松本城とか姫路城とか、美しい城(天守閣)がある。これらは機能と美と
の調和したものなのだろう。が、同時に多大な労苦の果てに築城されたもの
であることは言うまでもない。誇りを持って築城に献身した人もいるだろう
が、費用を捻出するため過大な年貢を納めるよう強いられた人もいたに違い
ない。それでも、戦いの日々が現実であった以上は、そんな無理難題も当た
り前のことだったのだろうが。
もっと遡ると、京都のお寺も奈良のお寺も、多くは庶民の血涙の上に作ら
れたものなのではないのか。荘園などの労働者の上前を徹底的に撥ねて、優
雅で煌びやかな建築物が建てられたのではなかったのか。血税を絞り上げて、
貴族らの洗練された美意識と素養と見栄と彼らなりの平和への祈りとで建て
られたものなのではないのか。
そもそも古典文学の多くは、貴族の生みなしたもののはずだ。貴族の中に
も上下があり貴賎があるのだろうが、それにしても、一般庶民とはかけ離れ
た世界、閉ざされた空間の中での、ある種温室の中で促成栽培されたものな
のではないか。
だからといって、そこに涙がないとか、苦悩がないとか、まして教養がな
いなどと言うつもりなど、まるでない。また、貴族という種類の連中がいた
からこそ、世界に類を見ない文学世界が構築されたのだ、とも言える面があ
ることも分からないではない。
しかし、一滴の珠玉の美を泥田から、泥濘から、濁った水から、蓮の花の
咲くようにして織り成されるには、どれほどの土壌が必要だったことか、ど
れほどの血の涙が流されたことか、どれほどの男女の愛憎が、身分の差の故
の憎悪が渦巻いたことか。
美は時にエゴの産物なのかもしれないと、ほんの一瞬でも思わない人が居
たとしたら、その人は幸いなのではなかろうか。愛と憎悪、嫉妬と祈り、赦
しと見栄と諦念とが入り混じった現実。そこから己の心と体を濾過装置にし
てまでも、あるいは他人の憎悪をまでも濾紙に使ってまでも、美への希求の
念は強いことがある。他人を踏みつけにしていることなど、思いも寄らない
ままに、美への懇願の念だけに駆られて、数知れない人の心と体をボロボロ
に傷つけ引き裂いてまでも、一片の詩の断片を結晶させる、そんなことを体
験しなかった芸術家がいたとしたら、いるとは思うけれど、ひたすらに羨ま
しいばかりである。
伝統も美も戦いの果てに生まれるもの、戦いを掻い潜って、やっとのこと
で生き延びたもの達の軌跡、磨かれ抜いた玉の連なりなのではないのか。連
なりに加われなかった無数の死屍累々たる、背筋も凍るススキの原、安達が
原の様が伝統と美との錦秋の背景に透かし見えないだろうか。
美も伝統も、常に作られつつあったのだし、現に作られつつあるのだろう
し、これからも作られていくのだろう。ただ、それは、何処かに形として厳
然として安置されているもの、遥拝されるだけのものなどではなく、今まで
も、今も、これからも、きっと愛憎の最中に、祈りの果てに、戦い勝ち取る
果てに、しかも、運に恵まれて形成されることもあるに過ぎないのだと思う。
伝統を大切にする、当たり前の心であり、当然の姿勢のように見受けられ
る。でも、一旦、出来上がったものを墨守するようになると、これから形成
される伝統の芽を封印することになる。美は常にとは言わないまでも、多く
は既成の美を裏切り、時には踏みつけにし、また時には醜悪そのものだった
りする。伝統を否定してこそ生み出された美がどれほどあったことか。
伝統を大切にするとは、もしかしたら今のこの生まれいずる苦しみを、あ
るいは生みの歓喜を、狂騒を、つまりは誰もが美と思う織り成された錦秋の
美を引き裂くき、焼き捨てることから生まれるものなのかもしれないではな
いか。
新しい美は何処から生まれるか、誰にも分からない。美を現に生み出しつ
つある当人にさえ、分からないでいるのかもしれない。六道の闇夜で呻吟す
るばかりでいるのかもしれない。
くどいようだけれど、小生などに、伝統や美について言えることがあると
したら、それは極僅かなこと、つまりは、今をとことん生き、感じ、味わい、
考え、見るほどのものを見、そうして惜しむことなく己を燃え尽きさせるこ
とが大切なのだろうと思うだけ、その果てに大海の一滴くらいは何かしらを
生み出せる僥倖に巡り合えることがあるかもしれないというくらいのものな
のである。
04/01/01 00:14
徒然なるままに
昨日、車中で信号待ちをしていたら、何処かの看板に「赤ん坊」という言葉を
見つけ、ふと、どうして「赤ちゃん」とか「赤ん坊」とか、「赤」が付くのか疑
問に思った。
で、「広辞苑」で調べると次のような説明が:
「生まれて間もない子供。体が赤みがかっているからいう。赤子。あかんぼ。」
なんだ、あまりに単純すぎて、二の句も継げない。もうちょっと何か「赤」が
付く理由がありそうなものなのに。
小生、取り上げたばかりのホントの赤ちゃんを見たことがない。テレビ等では
さすがに見たことがある。確かに全身が赤い。あるいは、出産したばかりの時は、
体液も附着していて赤っぽいということもあるのか。
「赤」が冒頭に付く言葉は多い。「赤っ恥を掻く」「赤裸々」「真っ赤な嘘」
「赤心」。何気なく広辞苑を眺めていたら、「赤い気焔」なんて言葉もあること
に気付いた。「黄色い声援が飛ぶ」なんてフレーズなら聞いたことがあるが、小
生、「赤い気焔」なんて言葉を初めて知った。広辞苑によると、「女性の盛んな
意気」だって。まあ、予想通りの意味合いである。
他にも「赤」が冒頭に付く言葉は数数ある。「赤紙」が懐かしいという世代は、
さすがに数少なくなったようだが、まだまだ意気軒昂に頑張っておられる方もい
る。小生の父もその一人である。現下のきな臭い情勢を思うと、懐かしいどころ
じゃなく、身につまされる恐れなしとしないのが悲しい。
「赤字」なんて言葉、事態は避けられるものなら避けたいが、日々にズシリと響
いている。国家も小生も。
ところで、「赤っ恥を掻く」「赤裸々」「赤心」と並ぶと、赤が心の状態に冠
せられると、どうやら包み隠しの無い裸の心ということになるようだ。赤ちゃん
の「赤」と関係があるということなのか。生まれたまんまの、裸の心。
ところで、その日、やはり信号待ちでボンヤリ路上の看板などを眺めていたら、
「マッチ棒」という言葉に目が行った。そうだ、前にも、どうして「マッチ棒」
なのか不思議だったのだ。
マッチ…。漢字では当て字で、燐寸と書く。昔は、煙草に火を点けるにしても、
台所で火(炭)を熾すにしてもマッチを使ったものだった。喫茶店で貰う店名の
入ったマッチを集めたりして。
マッチを擦ると、シュッという小さな音を立てて小さな焔が生まれる。そのふ
わっと焔が発生する感じがたまらなく切なく、素敵だ。
さて、「広辞苑」で「マッチ」を調べても、「摩擦によって発火させ火を得る
用具」などと、成分などの説明がされているだけで、何故、マッチという名称な
のかの説明がない。
事典を引くと、17世紀後半、リン(燐)の発見がされ、簡便な発火法の研究が
生まれたとある。但し、マッチの原型は19世紀の初期になってやっと見られたの
だとか。
マッチは拘る物品として格好のターゲットのはずである。早速、ネットで検索
したら、以下のようなサイトをヒットした:
「燐寸博物館」
http://www.tanaka-match.co.jp/
このサイトには、ちゃんとマッチの歴史も紹介されている。
その冒頭には、「明治維新がおこる20年前の1848年、アンデルセンの童
話「マッチ売りの少女」が発刊された」とある。懐かしい童話だ。小生もガキの
頃、アンデルセンの童話は読んだものだ。
というか、小学校の何年生だったかのクリスマスのプレゼントが何故かアンデ
ルセンの童話で、子供の小生には分厚い豪華本に映った。どうしてこんな本をプ
レゼントされたのか、小生はまるで分からず、内心はキョトンであり、また、ガ
ッカリでもあった。
小生は本の好きな子供ではなかった(少なくとも自分ではそう思っていた)。
漫画の本は読み漁っていたけれど。貰った本には、挿絵がたっぷりあり、行間も
広いし、活字も大きいとはいえ、漫画の本でない本は小生には宝の持ち腐れだっ
たはずだ。
それでも、健気にも無理に喜んでみせ、また、実際に一応は読んだという記憶
がある。面白かったという印象は、まるで残っていない。その本は、今も屋根裏
部屋の書棚にある。
しかし、そもそも何故、マッチという名称なのかが分からない。
マッチに使われる燐のことをちょっと思い出した。余談・雑談ついでなので、
書いておく。小学校の何年の時だったか覚えていないが、友達を介して、燐を入
手した。マッチの材料ともなる燐である。興味本位で燐を燃やすと、呆気ないく
らいに火がつく。何だか怪しい色の焔が上がる。見惚れていると、そのうちに頭
が痛くなった。燐の中毒にでもなったのだったろうか。
安全マッチに使われる燐は、無害な赤リンや硫化リンだし、さらに安全に気を
配って、製品と成っている。その前は、黄リンが使われていたとか。もしかした
ら、小生が入手し悪戯していた燐は、簡単に燃えたし、臭かったし、黄リンなの
かもしれない。
黄リンは自然発火するほどに呆気なく燃える物質なのだとか。
そういえば、マッチ棒の名称への疑問とか、赤ちゃんの「赤」への疑問を抱い
たその日、もう一つ疑問に思った言葉があった。でも、それは後日、気が向いた
ら触れることにする。既に十分以上に長くなったし。
04/01/08 21:17

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